悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (45)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その三十

ポツッと開いた粘土の穴が‥‥何であるのかを見極めようとする間に、その穴の周辺に十個程の新たな穴が出現した。驚いて、近づけていた顔を慌てて上げる。改めて人形の頭を見直してみると、穴はさらに増え百個近くになっていた。
プツッ‥プツプツプツプツプツプツプツプツプツプツツツツッッ—-—
「ひっ!」
俺は思わずのけ反っていた。無数の小さな穴は、粘土で出来た委員長の人形全身にあっと言う間に拡がっていった。
そして人形の体が一瞬、ぶるっと身震いしたように見えた。

俺が瞬きをした次の瞬間、事態は決定的に変動した。
すべての穴が出口だった。すべての穴が出口となった。すべての穴から噴き出したのだ。
穴から噴き出したのは、神経質に折れ曲がった幾多の細い線と毛筆で無造作に打った歪(いびつ)な形の点や奔放な「払い」で構成され、蟠(わだかま)りかけた煙の怪しさを纏(まと)った、それぞれがまったく不揃いな生き物たちだった。
虫。虫である。
蜘蛛‥飛蝗(ばった)‥芋虫毛虫‥蛾‥蝶‥蜻蛉(とんぼ)‥蟷螂(かまきり)‥蝉‥蝸牛(かたつむり)‥蛞蝓(なめくじ)‥蚯蚓(みみず)‥蟻‥蟻地獄‥‥‥‥‥‥
俺の知っている虫たちだったが‥‥‥ただ一つ違うところがあった。
それらは普通と違って、全部がどす黒かったのだ。
ウオォ—ン!ボドボドボトォオオ!バサササァァ—-
宙に舞い上がる一群があり、他の大部分は、机の上あるいは床に落ちて水の波紋状に拡がった。委員長の人形はと言うと、空気が抜けた風船がしぼむようにその形が崩れていった。
俺は虫を見て、生まれて初めて気味が悪いと思った。初めて、嫌悪した。

後退りしていた俺のつま先に、虫の先頭数匹が取りついた。
「くそぉお!来るな!」俺はそいつらを払い落とし、思い切り踏みつけた。
プチッ ブチッ ブチリ!
その行為が合図だったのかも知れない。教室じゅうに散らばろうとしていた虫たちが方向を変え、俺を目指して集まって来た。
ゾゾゾゾゾゾゾゾォ—ッ ブオァオオオォォォォォ——–
「なっ何だ⁉おい!」
翅(はね)を持つ虫たちが俺の上半身に纏(まと)わりついて来た。床を進んできたものたちは、俺の両足から我先にと這い上がって来た。
「うわああああああああ‼」
両手を振り回し両足を小刻みに動かして虫たちから逃れようともがいた。しかし、足がもつれて俺は床に倒れ込んだ。
ガシャーン ガララン! 近くにあった椅子と机が一緒に倒れて大きな音を立てた。

「フフッ‥無様ね‥‥」教壇から、委員長の声が聞こえた。
「何だとォ⁉」床をのたうち回りながらも、俺は問い質す。「これは罰か⁉これは君の復讐かあ⁉」
「いいえ違う‥・それはあなたに暇つぶしの遊び道具に使われた、虫たちの復讐じゃないのかしら?」
「‥‥くっ」俺は返す言葉が無かった。
その時、体のあちこちに痛みが走った。強靭(きょうじん)な顎(あご)を持つ虫たちが、俺を噛み始めたのだ。
「ぐあああ‼やめろおお‼」俺は体についた虫を片っ端からむしり取り、握り潰した。

「‥‥痛いのは心?‥‥それとも体?」委員長が呟いた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (44)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その二十九

それはまるで‥‥‥B級のゾンビ映画でも観ているような光景だった。

「彼を捕らえなさい!」
委員長の指示が、席から立ちあがった一同を波打たせた。
教室後方の出入り口へと走り出した俺に、粘土の人形四体が立ちふさがる。最後部の席に座っていた、小学六年にしては上背(うわぜい)のある連中を模した人形である。
彼らは俺が造形したであろう(記憶にはないが、おそらく無意識でいつの間にか出来上がっていた‥)代物であるせいか、右手と左手、右足と左足の長さと太さが違っていたし、座っていることを前提としたバランスの身体つきなので、立ち姿は何かちぐはぐでおかしかった。それ故、動きは酷く出鱈目で奇怪に見えたが、見た目からは想像もできないほど敏捷(びんしょう)であった。
驚愕(きょうがく)のあまり思わず足を止めでしまった俺に、粘土で出来た数本の腕が伸びてきた。
ベドッ!グイッ!ムンズ‥・
身をかわす間もなく俺の体は彼らによってしっかりとホールドされ、まったく動けなくなった。粘土の手はずっしりと重く、氷のように冷たかった。
残りの人形たちも、さらに俺を取り囲むように集まって来た。

「わっ、分かった。頼む‥放してくれ。もう逃げるような真似はしない‥‥‥」
俺は動揺していた。とんでもない事態になっているのを、やっと実感できていた。
「‥‥いいわ。放してあげなさい」委員長の声に、俺を捕らえていた人形たちの手が離れていった。
解放された俺は委員長を見た。いつの間にか彼女は教壇に立ち、教室全体を見渡していた。まるでこれから俺と粘土の人形たちに退屈な授業を始める、担任の教師のように。
罪を裁かれ、罰を受ける‥‥俺はここから出られない‥‥‥‥‥‥
この校舎に入った時から俺の運命は、すでに委員長の手中にあったのだ。

「あらあら!」委員長がおどけた口調で言った。
「そこの席に一人、立てないで座ったままの子が居るわね‥。どこか具合でも悪いのかしら?」
委員長の目線の先、確かに未だに動かないでいる人形があった。それは、委員長の人形‥・。頭の部分が大きすぎて折れ曲がり、机に突っ伏したままの状態の彼女自身の人形だった。
委員長が俺を見た。「ねえ!あなた。その子の様子を看てみてくれない?」
彼女の言葉に呼応するように、俺を取り囲んでいた人形たちが静かに退いていき、道を開けた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」何を企んでる?何があるんだ?と、そう思いつつも仕方なく俺は委員長の人形の席に近づいていった。

机に突っ伏して動かない人形を見下ろす。
委員長は一体何を望んでいる?この人形の姿勢でも直せばいいのか?‥‥・
しばらく眺めていたその時である。「‥ん?」人形の粘土の表面、髪の毛を模(かたど)った後頭部あたりが、僅かに変化した気がした。俺は顔を近づけて目を凝らす‥‥‥‥‥
‥‥プ‥‥‥プツッ‥‥‥‥‥‥
小さな‥‥穴が開いた。

次回へ続く