悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (65)

第二夜〇仮面 その九

顔出しパネルでみんなの顔が剥がれた理由は、解った‥‥‥様な気がする。
しかし私にとって一番知りたいのは、みんなが『仮面』を剥がされてどうなったのか?、どこへ消えたのか?‥‥だと言う事も、分かり過ぎるくらい判った。

「あのォ‥‥‥、残されていたみんなの顔が仮面だとして、みんなは別の顔になったんですか?例えば私が全然知らない顔になってるって事ですか?」
さっきまでの調子から、おじいさんは私の質問にすぐに答えてくれるものだと思っていた。ところがおじいさんは徐(おもむろ)に私から目を逸らし、私が並べた机の上のみんなの顔に今日何度目かの視線を向けた。
おじいさんの唇はしばらく結ばれたままになった。
「あのゥ‥‥‥」沈黙を予期していなかった私は、せっかちに言葉を続けた。
「消えた人達にはもう会えない‥・。仮面が外れて透明人間になったんだ‥‥・。おじいさんはそうおっしゃったと聞いています」

「確かに‥‥言ったかも知れない‥‥‥‥‥」そんな呟きから、おじいさんの口述は再開された。
「なかなか簡単に説明し難い現象なんですが‥‥‥。私は、すべて認識の問題だと考えているんですよ」
「に‥認識?」
「あくまでも仮説に過ぎませんが、あなたのお友達は仮面が剥がれ本来の、或いは本当の顔に戻った。あなたはそれが認識できなくなって、彼女らを見失ったのです」
「ちょっと待ってください。例えみんなが私の知らない顔になって認識できなくなったとしても、目の前から煙の様に消えるわけが無いと思います」私は正直に反論した。
「いや。私がここで指摘している認識は、目で見て得られる視覚情報に対する脳の処理判別能力の事ではありません。言わば人の心の作用‥、人間の精神が物事の本質を知り、明確に把握する概念の事なのです。したがって認識できなくなったと言う意味は、対象が存在しているはずなのにその存在を感じ取る事のできない状況に陥(おちい)った。つまりは透明人間になった様なものだと私は例えてみた訳です」
「すっ、すみません。私はあまり頭の良く無い、ただの女子高生です。もう少し易しく言っていただけると助かります‥・」私はやはり正直に、おじいさんにお願いした。ふたたび眩暈(めまい)を感じ始めたからだ。
「申し訳ない。他に言葉が見つからなかったのです。‥分かりました。それでは、これまでに起こった事例についてまとめてお話しておきましょう」

「今まで、顔出し立て看板で写真を撮って仮面が剥がれ、撮影した当事者の前から忽然(こつぜん)と消え失せたすべての人々は、行方不明になったのでも消滅したのでもありません。その後も何の問題も無く、それぞれがそれぞれの場所で、それぞれの生活を普通に送られています。しかし撮影した当事者の方々だけは、仮面が剝がれた人々を今も認識できず、居なくなったと訴え続けています‥‥‥」
「ああ‥」私は呻(うめ)き声を漏らした。「やっぱり!やっぱり私はもう、みんなに会えないんですね!」悲しみが、涙が、いっぺんに込み上げてきた。私は両手で顔を覆って泣き出していた。
そんな私の様子を見かねたのか、おじいさんが慌てて言った。
「絶望する必要はありません。認識出来なくなった相手に、また新たな認識を持てるよう努めれば良い。そうすればお友達に会える日がいつか必ず来ます」
「‥‥‥‥‥‥新たな‥認識?」私は顔を上げておじいさんを見た。おじいさんはゆっくりと頷いてくれた。「だがその為にも‥‥、あなたに自覚しておいてもらいたい事をはっきりと申し上げておきましょう」

「今回、あなたとあなたのお友達がここ‥切っ掛けの地を訪れて生じた変化は‥‥、あなたのお友達にではなく、すべてあなた自身に起こった事なのです」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (64)

第二夜〇仮面 その八

記念撮影用の顔出し立て看板が、着けている仮面を剥がす装置として機能してしまっている‥‥‥‥。それは何故なのか?

おじいさんは続いて推論の根拠となるものを述べ始める。述べられた事柄は、「天と地と僕と」の物語の発端となる主人公ワタルが異世界へ迷い込む経緯をも、まさに同時に解説しているみたいに私には聞こえた。

「ここが古くからどういう意味合いを持った土地であったのか、あなたはご存知でしょうか?」
「‥‥‥い‥いいえ」わたしはそう言って俯いた。わざわざ訪ねていながら私とおそらく姿を消した五人みんなも、アニメ関連の知識しか携えて来なかった。胎内くぐりの洞窟にしたって、その謂(いわ)れなどは皆目(かいもく)知らなかったし、調べようともしなかった。
「古くは鎌倉時代の文献に、『切っ掛けの地』と言う表現でこの辺(あた)りの事が記(しる)されています。訪れた際に、何らかの啓示を授かったり、予想だにしなかった転機がもたらされたと言う意味合いの記述です」
「きっかけの‥‥地‥」
「そうです。ここを訪れた所為(せい)で物事に変化が生じた、或いは変化が始まったのだと‥‥」
「パワースポット‥みたいな感じ?」
「うーむ‥‥都度の解釈でしょうね。良い方への変化なら肯定的に捉えられますが、悪い方への変化だったら忌み嫌われる場所となる‥‥‥。そう言った意味合いでは、この先にある神社の祀神に何らかの関連性を見いだせるかも知れません」おじいさんはそう言いながら店の入口に目をやる。入口に背を向けて座っていた私は、首と体をねじってそちらを見た。
「表の道を山の方向にしばらく行くと左手に大きな沼が現れます。そのほとりに古びた社(やしろ)が建っていて、祀られているのが蛭子(ひるこ)神なのです」
「ああ‥」私は、店に来る途中で見つけた観光案内地図にあった鳥居の絵を思い出していた。
「記紀(古事記 日本書紀)による蛭子は国造り神話で生まれる神の一人で、疎まれるかたちで海へと流されます。やがて流れ着くわけですが、沿岸地域では海からやって来た豊漁の神 恵比寿(えびす)と混同視され、信仰の対象となって行きます。
つまり蛭子神は、捨てられた後に福をもたらす神に転じて戻って来た、言わば変化を象徴する存在と考える事ができます」

おじいさんのお話は正直、普通の高校生である私にはかなり難しいものだった。学校の授業中だと眠くなるところだが、今はそんな状況では無い。私は、嚙(かじ)りつく様な気持ちで耳を傾け続けた。
「変化を再生と捉えるなら、胎内くぐりの洞窟もまた然(しか)り。蛭子神社と沼とは道を挟んだ右手、山の麓(ふもと)あたりにあって、ここを目当てに訪れる方も少なくはありません。胎内くぐりとは、胎内でもあり他界でもある狭い洞窟を潜(くぐ)り抜ける事でいったんは死んで生まれ変わる、今までの穢(けが)れを祓い生き直すと言う意味を持つ行(ぎょう)なのです」

そして、眩暈(めまい)のしてきた理解不能寸前の私を他所(よそ)に、おじいさんはこう結論付けた。

「つまりこの地に古(いにしえ)から眠る力、訪れる人々に作用し続ける力があるとするならば‥‥、それは抱えている現状の解体と再構成、或いは初期化と言っても良い‥、をもたらすものであった。顔出し立て看板が装置として機能したのは、顔を出す為に開けられた穴が、変化を求める部位の特定に偶々(たまたま)繋がってしまったからだ‥‥‥‥と」

次回へ続く