悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (69)

第二夜〇仮面 その十三

カサリ‥‥‥
道の真ん中で、小さな何かが微(かす)かに動いた。

脱力して道路にへたり込んでいた私は、反射的にわずかに首を動かし、五メートルほど前方にあったその何かを目で捉えた。
それは単なるゴミ屑‥・、お菓子の包み紙に見える。

私は我に返ったみたいに立ち上がり、すたすたとゴミ屑に近づいて行った。
「まさか‥‥‥」
私はそれを拾い上げる。いつもの「ポイ捨てゴミを見過ごせないゴミを拾う女」の発動ではない。確かめたかったのだ。

「‥‥‥‥‥実奈?」
拾い上げたゴミ屑には見覚えがあった。顔出しパネルの置かれていた駐車場に着く前に、実奈が捨て、私が拾った、お菓子の包み紙と同じものだ。
「まさか‥‥‥」私は同じ言葉を繰り返していた。
実奈は大抵の場合、コンビニで買った30円程の個包装になったチョコレート菓子を、制服のブレザーやスカートのポケットにいくつも忍ばせていた。気が付いたらモグモグと口を動かしていて、食べ終わった包み紙を所かまわずポイと捨てていく。一緒にいる私やみんなに差し出して振る舞う事は無かったが、私は「ゴミを拾う女」だったので、お菓子の味はさて置き、その銘柄(めいがら)だけはしっかりと覚えてしまっていた。
道路には観光客の姿は一切見当たらないし、偶然こんなものがここに落ちているはずがない。まさかではなく、これは実奈が捨てたもの‥・そんな気がする。そう思いたかったのかも知れないが、考えられない事もないはずだ。「認識できない」事の詳しい定義などきっと誰も知らない。骨董屋のおじいさんも当事者ではないから、あくまでも推測推論であると断っていたではないか。捨てたのが例え認識できなくなった実奈本人だとしても、ゴミ屑はその定義の範疇(はんちゅう)にはなくて、普通に認識できるのだと考えても決しておかしくはない気がする。

様々な考えを巡らすうちに私は、さっきまでの脱力感とは打って変わって、気持ちが高揚していくのを感じ取っていた。
「だったら!みんなが今もここにいて‥‥‥この道を通って行ったかも知れないってこと!?」
考えてもみなかった。考える余裕が無かったのだ。私はみんなを認識できなくなったが、みんなからは私は一体どうなったのだろうか?
私の前からみんなが消えた様に、みんなの前からも私が消えたのだろうか?
そしてそんな状態がそのまま進行しているのだろうか?
SFによく出て来る「パラレルワールド(並行世界)」みたいに‥‥‥‥‥。

私は、以前沙織がこっそりと私の耳元で囁いた言葉を思い出していた。
私がみんなといて、いつもみたいに実奈の捨てたお菓子の包み紙を拾い上げた時だ。
「実奈って、あなたがいない時にはゴミは捨てないのよ。知ってた?」
「え‥?」私は沙織の顔を見た。
「あなたがいるから、あなたに拾ってほしくてわざと捨ててるのよ」沙織はそう言ってえくぼを見せる。「あの子、あんまり喋らないしいつも何考えてるか分からないけど、あなたの事がお気に入りなの。大好きなのよ。ゴミを捨てるのはあの子なりのあなたへの意思表示なんだと思うわ‥‥」
「ま‥まさかァ」私は真に受けなかったが、歩いているだけで誰もが振り返る、まるでモデルみたいにスレンダーで美人の実奈が、それまでより近くに感じられる気がした。

道路の前方を‥‥、私の方を見ながらお菓子の包み紙を捨て、向き直って歩き去る実奈の姿が目に浮かんだ。
「‥・実奈やみんなはこの近くにいて、私を探してくれているのかも知れない‥‥」

私は手にしていたお菓子の包み紙をスカートのポケットに突っ込み、単純なその一本道の道路を、帰り道とは反対の山の方に向かって歩き出していた‥‥‥‥‥

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (68)

第二夜〇仮面 その十二

「自分探しの旅」と言うものがあるのなら‥‥‥、私にとって今回の修学旅行はその逆で、「自分を見失う旅」となってしまった。
このままでは自由行動を終えて、しれっと集合場所に戻る事など到底考えられない。
「‥‥‥戻ったところでみんなを認識できない‥‥‥‥。みんなに会えはしないんだ‥‥‥‥‥‥」
道路に膝をついていた私は、まるで腰が抜けた様に力が入らなくなり、頽(くずお)れて尻を落とし、両手をだらりと投げ出した。

夕暮れにはまだ早い。澄んだ青い空には在り来たりの雲が浮かんでいるだけで、時々出くわして足を止めてしまう、何か暗示めいたものを感じさせる色彩や形状を持った雲では無かった。道路には相変わらず観光客の姿は見当たらないし、両側に並ぶお店にも一切の人の出入りは無い。「まるでこの世の終わりを予感させる雲」が空を覆っていたり、「旅の恥は搔き捨て」みたいな騒がしい観光客達が行きかっていた方がまだ気が紛れていたかも知れない。
今‥この世界には、私しかいない‥‥‥そう感じた。
私が道路に座り込んだままここで朽ち果てても、永遠に何の騒ぎにもならないだろう‥‥‥そんな気がした。
私はやっぱり‥‥今も‥独りぼっちだったんだ‥‥‥‥‥‥

小学校の頃‥‥誰とも上手くやれず、どのグループにも入れなかった私。気がつくと教室の片隅の机に一人ポツンと座っていた。
除け者にされているとは考えなかったし、惨(みじ)めだとも思わなかった。ただ、こうやって人は仕分けされ、それが常態化して、覆(くつがえ)しようのない序列が定着していくのが世の中の現実なんだとぼんやりと考え、それがひどく寂しく悲しい事だと思った。同級生達は序列が出来上がると、自分より上の人間の数には目をつぶり、下にいる者の数だけを至極(しごく)丁寧(ていねい)に数えていた。
そんな日常の中でも私は、何の手立ても講じずただ現状に甘んじていたのだが、気がつくとだんだんと卑屈になっていく自分がいて、その事にイライラする様になり、やがて少しずつ腹が立ってきて、自分の有り様(よう)自体が虫唾(むしず)が走るほど許せなくなった。
中学に上がる時、過去の自分を捨て去る良い機会が来たと思った。これを転機にして生まれ変わるのだと心に誓った。精一杯自分を鼓舞(こぶ)し、新生活に乗り込んだのだ。
結果は惨敗だった。身体に染み付いた空気は早々容易(たやす)く拭い去れるものではなかった。それに小学校の頃の私を知る子達が数人まわりにいただけで、かつての序列が伝染する様に継続されてしまった。
しかし、生まれ変わる方法を模索する事はできた。収穫があったのは学力だ。前向きに勉学にも励んだおかげで良い成績を取った。それだけで一目(いちもく)置く人間が現れた。序列にも当然変化が生じた。
そして高校進学。成績をどんどん上げていく事で少しでも上のランクの高校合格を目指し、それを果たした。小学生の自分を知る人間は消えていた。過去の自分を完全に捨て去り、新しい自分をデビューさせる時がついにやって来たのだ。
高校生になった私は、成績を上げるのに努力が必要であった様に、友達を作るのにもやはり努力が不可欠に違いないと固く信じ、実行に移した。
相手と同じ方を向き、同じものを見、同じ言語を話し、同じ空気を吸った。時には気持ちを押し殺し、演技して、作り笑いを浮かべるどころか、泣きまねをする事もあった。それらの努力がやっと実を結びかけて来たと感じたのは「噓から出た実(まこと)」、演技では無しに本気で笑ったり泣いたりできる様になった時だった。
私はもはや独りでは無く人と人との中にいる。私は「友達」と呼べるみんなと今、同じ時間と空間を共有しているのだと‥‥‥‥‥。

しかし‥‥‥その成果がすべてここで‥‥失われた‥‥‥‥。
私は脱力して道路にへたり込んだまま、いつまでも虚空を見ていた。

次回へ続く