悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (71)

第二夜〇仮面 その十五

少年は山道を彷徨(さまよ)っていた。

少年は両親の離婚を期に母と共に実家のあるこの田舎町に移り住み、祖母と三人で暮らし始めた。
山間部にあるその小さな町は多くの自然に恵まれてはいたが、都会での生活とは違って古い因習が人々の心に深く根付いていて、少年には決して居心地のいい場所ではなかった。転入した小学校でも馴染めず、友達はできなかった。
学校から帰っても独りぼっちの少年は、山歩きをするようになった。無理に周りの大人や学校の子達と交流を図るより、独りでいる事を選んだのだ。
少年は山道を歩きながら、もうずっと独りきりでいいやと思った。大人はいつだって身勝手で信用できないし、友達にしたって、住む場所が変わったからと言ってそこで新しい子を調達するみたいに簡単に作れるはずがない。
ああ‥つくづく子供は無力だ。子供は産まれてくる場所も家も環境も選べない。自分で選択できないのだ。いっそすべての関わりを捨ててしまって、すべてを振り出しに戻して、まったく別の世界で生きていけたらどれだけ気楽だろうか‥‥‥‥
そんな事を考えながら歩いていると、いつの間にかまわりの景色が変化していた。山道の幅が狭く勾配が急なところが増え、足元が険しくなっていった。実際少年は何度か足を滑らせたが、それでも踏ん張って先へ進んでいった。
祖母の言葉を思い出した。この辺りの山々は昔から修行をする人達にとっての神聖な場所であり、無暗に子供が立ち入っていいわけがないと、山歩きをするようになった少年は釘を刺されていた。
かまうものかと意地になっていた。大人の指図など全部自分達の都合ではないか。
ほとんど崖の様な場所を少年はよじ登った。手や足の衣服から露出した部分が傷だらけになった。急激な運動による汗なのか冷や汗なのか、区別のつかない汗が全身から噴き出していた‥‥‥‥‥‥

気がつくと少年は、巨大な岩が無造作に組み合わさったみたいな景観を持つ山肌の前に立っていた。岩と岩の合わせ目に隙間が出来ている部分に目が止まる。その縦長の隙間はまるで洞窟の様に、奥へ奥へと暗闇が続いていた。
好奇心が、或いは自分の気持ちを蔑(ないがし)ろにする者達への意味のない反抗心が、少年の足を前に動かした。少年は洞窟に吸い込まれていき、やがてその暗闇に溶けて消えていった‥‥‥‥‥‥‥

こうして少年は、この世界から姿を消した。
少年は名を、ワタルと言った。


私は山道を歩いて行った。
胎内くぐりの洞窟へ続く実際の山道はきちんと整備されていて、歩き辛さは感じなかった。未舗装で多少の勾配はあるものの、軽自動車なら楽に通れる道幅があり、でこぼこを均(なら)す様にジャリ石が敷かれていた。
辺りに茂る樹々に意味深げな陰影をもたらしている日の光が僅かに夕暮れの気配を漂わせ始めた頃、山道左手の低木の並び越しに忽然と鳥居が現れた。
「ああ‥‥そうか」私は再度、観光案内地図を思い出していた。胎内くぐりの洞窟に至る手前に描かれていた神社だ。
「これが‥ひるこ神社と言うことか。だったらすぐ傍に‥‥‥」
私は回り込む様にして左の脇道に入った。古ぼけた鳥居の前に立ち奥を窺(うかが)うと、やはり古ぼけたどちらかと言えば小ぶりのお社が見て取れた。そしてそのお社の背後には思いがけない水のきらめき。想像していたよりもずっと大きな沼が、神社のすぐ後ろに広がっていたのだ。
胎内くぐりの洞窟に着く前にみんなも、山を登りかけたこんな場所に悠然と水を湛える沼がある事に驚いて足を止めたに違いない‥‥‥と私は思った。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (70)

第二夜〇仮面 その十四

私は‥‥・みんなと私が今、並行世界(パラレルワールド)に二つに分かたれ、重なる様に進行するそれぞれの時空にそれぞれが存在している状態であると仮定することにした。そう仮定し信じる事で、完全に折れてしまいそうだった心をどうにかまだ持ちこたえられそうだったからだ。

映画や小説に出て来る並行世界は分岐や統合が時々起こり、起こる事によってストーリーが動き出したり予期せぬ展開が生まれていく。何かの齟齬(そご)で二つの世界がねじれ、融合して重なるみたいな接触点ができたり、行き来できる通路みたいなものが出現したりする。だったら私が遭遇しているこのとんでもない事態の中でも、ドラマチックなハプニングが起こるのを期待しても決して罰(ばち)は当たるまい。
実奈が私に拾わせようと捨てていったとしか思えない「お菓子の包み紙」は、その兆しとして信じるに足りるアイテムである気がした‥‥‥‥‥

私は、少し先を歩いているかも知れないみんなの姿を想像しながら、一本道の道路を黙々と歩いて行った。
先頭を行くのは文音と凪子‥‥。そしてその二人につかず離れずの微妙な距離を保ちながら陶子と沙織。一番後ろは出鱈目な軌道の天体が漂っているみたいな歩き方をする実奈だった‥‥‥。想像の中のみんなの顔はと言うと、今背中のリュックに入っている残されていた顔(仮面?)がまだちゃんとついている時のまんまだ‥‥‥‥‥‥
やがて文音が前方を指差す。それに答えて、すぐ傍を歩く凪子が大きく頷く。きっと二人は「天と地と僕と」の話をしている。主人公「ワタル」もこの道を彷徨って‥‥などと話している。この先には「胎内くぐりの洞窟」があって‥‥ワタルはとうとう洞窟にたどり着くのよ‥‥‥‥‥‥
‥・間違いない。みんながまだこの地に留まって自由行動を継続しているのなら、向かっているのは「胎内くぐりの洞窟」。そこしか考えられない。私はそれを信じて歩いた。並行世界にハプニングが起こる事も期待しつつ、やはり黙々と歩いて行った。

やがて道路は徐々に登り坂となり、両側に並んでいたお店が疎(まば)らになっていった。
さらに明らかに山が迫るのを感じ取れる場所まで来ると、お店は完全に消え失せ、前方にやや開けた場所が現れた。10台程が止められる広さの駐車場だ。
気味が悪くなったのは、ここまで歩いてきて誰一人観光客を見かけなかった事だ。それどころか前を通り過ぎて来たどの店の中にも、人の気配がまったく感じられなくなっていた。もしかしたらすべて、私の「認識できない」状態が更に進行しているせいではあるまいかと思った。「認識できない」事がみんな以外にも影響を及ぼして、私をこの世界に本当の独りぼっちにしようとしているのではないのか‥‥‥‥。

私は、1台の車も止まっていない無人の駐車場に足を踏み入れた。
舗装された道路は途切れ、観光案内地図の看板に点線で描かれていた山道がここから始まると言う訳だ。
駐車場の左奥にその山道の起点が見える。胎内くぐりの洞窟へはもう、そう遠くない距離のはずだ。
「‥‥‥‥‥みんな‥」
私は迷わず歩を進めた。並行世界にいるであろう、いると信じている‥みんなの幻影を追いかけて‥‥‥‥‥‥

次回へ続く