悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (77)

第二夜〇仮面 その二十一

慌てて駆け出して1分もしないうちに、前方に「窓」が見えた。洞窟の外の明るい景色が「横長に潰れたひし形状」に切り取られた「窓」‥。
それは間違いなく出口だった。
入口はゆったりとした大きさだったが、出口はその五分の一もない。さらには岩の天井が圧迫する感じで低くなっていて、立ったままでは近づけない位置にある。四つん這いになって進んで行って擦り抜けるしか手段はなさそうだ。「胎内くぐり」の終わりは「難産」と言うわけか。私は逸(はや)る心を抑えて手と膝を突き、出来うる限りのスピードで「出口の窓」に近づいて行った。
出口まで2メート手前に達した時、その窓を、スカートの裾と白いソックスを着けた数人分の足が右から左へと横切って行くのが見えた。その内の二本の足が目を引く「ショッキングピンクと黒のツートンカラー」のスポーツシューズを履いている。私は、その派手なシューズを普段からさり気なく履きこなしている人間を身近に一人知っていた。
「実奈! 実奈! 実奈ァ!」私は手を伸ばして叫んでいた。「待ってええ! みんなあああァァ!!」
やった!胎内くぐりの洞窟の「出口の窓」は、分岐してしまったみんなと私の並行世界を繋いでくれる「時空の穴」となっていたのだ!
待って待ってと何度も叫びながら私はバタバタと手足を動かした。しかし、出口の床は外と地続きではなく、通せんぼをする様に40センチから50センチほどの岩が正(まさ)に高い敷居のごとく張り出していて、天井が低い分四つん這いのままで乗り越えなければ出られそうにない。私はその敷居岩に両手を掛け、力任(ちからまか)せに無理やり外へ這いずり出ようとした。狭い出口ではあったが、ゆっくり出れば何の問題も無かったはずだ。しかし私はこの上なく慌てふためいていたので、出口の天井の高さを完全に見誤った。頭を上げて通過するべきではなかったのだ。

ゴツン!
私は出口上部の岩の縁(ふち)に強(したた)か頭をぶつけた。さらにはその反動で、外の地面に向けて落下していくみたいに顎(あご)からつんのめっていった。
どてっ!!
意識が断層の様にずれ動く感じの激痛が頭の芯(しん)まで走った‥‥‥‥‥‥


「い‥‥‥いっ‥っ‥っゥゥ‥‥‥‥‥」
痛みが引いていくまで地べたに突っ伏してじっとしていた私は、小さく呻(うめ)きながら目を開けた。
「え?‥‥‥‥‥‥‥」目の前には、夜の風景が広がっていた。空には星が輝き、おそらく東の方角だろう、黒い輪郭となった山々の上に満月が顔を出していた。
いったいどういう事だろう? 私が洞窟の出口から這い出た瞬間は確かに明るかった。夕暮れだったとはいえ、まだその残光が十分辺りを照らしていたではないか‥‥‥‥‥‥

私はゆっくりと身を起こした。この狐につままれたみたいな状況を、はっきりしない寝起きの様な意識で振り返ってみた。
ズキリと頭が痛んだ。顎にも違和感がある‥‥‥‥。どうやら私は、顎や頭を地面に強く打ちつけた後‥‥、しばらくの間昏倒していたらしい。
「‥ああ‥‥‥‥‥」しがみついていた一縷(いちる)の望みが、完全に潰(つい)え去った事を知った。みんなはもう行ってしまったのだ。全身から力が抜けていき、それと同時に体のあちこちが痛み出した。

私はこれから‥どうしたらいいのだろうか‥‥‥‥‥
地面に座り込んだまま傷だらけの自分の体を、労わる様に静かに抱きしめた。涙はもう湧き出しては来なかった。

ツッツ‥ポンパパパンン‥‥・
唐突に小さなメロディーが耳に届いた。「??‥」すぐ近くから聞こえた。そうか‥背負っているリュックの中からだ。私は、もう使い物にならないと判断して、スマホをリュックに仕舞い込んだ事を思い出した。
「まさか‥着信?」慌ててリュックを開け、スマホを取り出す。

ディスプレイが夜の薄闇に光る。覗き込んだ私はやはりガッカリした。認識ができなくなった時と同じ、エイリアンの交信みたいな「文字化けのもっと酷い状態」は変わっていなかった。
「ん?‥」ところが今回は、読み取れる文字がところどころに見受けられるではないか‥‥‥。
カタカナに見えるその文字を、私は上から順に拾っていった。
「‥ヌ‥‥‥‥マ‥‥‥‥‥‥‥デ‥‥マ‥‥‥‥‥‥‥‥ツ‥‥‥‥‥」読めたのはその五文字。
「ヌ‥・マ・デ・マ・ツ‥‥」
「ヌ・マデマ・ツ」
「ヌマ・デ・マツ」

沼で待つ !」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (76)

第二夜〇仮面 その二十

何かが‥起こる気がした‥‥‥‥‥

ワタルは、この「胎内くぐりの洞窟」に入って異世界へ迷い込んだ。
ただのアニメのお話と片づけられなかった。だって私は、この地を訪れてすでに信じられない事態に見舞われているし、胎内くぐりの洞窟はこの地の象徴的存在の一つ。ここは古(いにしえ)より語り継がれた『切っ掛けの地』なのだ。何も起こらないはずが無いではないか。

また‥みんなに会えるかもしれない。
そうでなかったら‥‥そうでなかったとしても‥‥‥、みんなが「認識できない」でいるこの世界で生きていくより、別の世界へ迷い込んでしまっても私は一向(いっこう)に構わないのだ。


大きな岩が組み合わさってできた洞窟の中は、勇んで飛び込んだ私の足を止めさせるほど暗く、ひんやりしていた。
照明は用意されていない。手探りで進むべきかとためらっていると、次第次第(しだいしだい)に闇に目が慣れてきた。
目が慣れてみると、岩肌全体が白っぽいお陰だろうか、天井や両側に迫る壁との間合いがちゃんと把握できるし、足元も3メートルほど先まではぼんやりと見て取れた。ゆっくり進めば不都合は無さそうだ。
私は右手で岩壁に触れる。多少のでこぼこはあるが滑らかに摩耗していて、ぶつかって怪我をしそうな出っ張りはほとんど無い。進もう‥。壁に触れている右手をそのまま這(は)わせる様にして私は前進し始めた。

注意深く進んでいくと、胎内を象徴していると言うその洞窟は決して単調な構造ではない事が分かる。右に左に曲がりくねっていて先がどうなっているのか予想ができないし、さらには、大きな人は通れるのだろうかと疑われる幅が極端に狭(せば)まった岩と岩の隙間や、身を屈めても頭が閊(つか)えてしまいそうな低い天井が続いている(まるで動物の巣穴みたいな)場所もあった。
観光気分で気軽に楽しめるところではないと知って、持続させなくてはならない緊張感と不安でへとへとになりそうだった。それでも私が先へと進んだのは、現状を変えてくれる何かが起こってほしいと願う大きな期待。駐車場にあった「顔出しパネル」が仮面を剥がす装置だったのなら、ここ「胎内くぐりの洞窟」は一体どんな変化をもたらす装置なのだろうか?‥‥‥‥‥

かれこれ‥そんな迷路を彷徨うみたいな前進が二十分ほど続いただろうか‥‥。いきなり四畳半くらいの広さのある仄明(ほのあか)るい場所に出た。見上げると3、4メートル上方の岩の裂け目から僅かに光が射している。風も感じる。少しだが空気が動いている。私は深いため息の様に息を吐き、その風をゆっくりと吸い込んだ。
自分の鼻孔を通過する空気の音だけが‥洞内に小さく響いた‥‥‥‥‥

「え?」

私は何もあるはずのない辺りの空間を見回していた。
違う。今確かに何か聞こえた。人の声の様な‥‥‥‥‥‥。私は全神経を傾けて耳を澄ませた。

‥‥‥‥ ‥‥・・・ ‥‥‥‥ぉ‥‥‥・ ・‥‥ぃぁ ぃぃ‥ ‥‥‥‥‥

「ひっ!人の声だ!それも若い女性の!」
みんなだ!きっとみんなだ!みんなに間違いない!!! 私はいきなり全身の血が湧きたったみたいに興奮した。
「何処から聞こえる? 上の隙間から? それとも前??」薄暗い前方を見据える。「外だ!出口が近いんだ!みんなはもう外に出て外にいるんだ!みんなあァァァ!!」
私は駆け出した。右腕が右の壁に擦れた。左肩を左の壁に打ちつけた。足が縺(もつ)れて膝を突いた。それでも私はお構いなしに、出口に向かって駆けて行った。

次回へ続く