映画監督に会いに行く

古い原稿を整理していたら、数枚のカラーイラストが出てきました。





ご覧いただいたのは、1990年週刊ヤングジャンプ8号の巻末グラビアに使われたもので、その年の1月末に封切られた日本映画「ZIPANG」の宣伝告知のための企画でした。

この時私は、イラストを描くだけではなく撮影所までライターの方と足を運び、映画「ZIPANG」の監督・林海象氏にお会いして取材までしています。
漫画家の私がそのような仕事を受けることになったのは林監督のデビュー作「夢みるように眠りたい」をいたく気に入り、その感動体験を周りの人に吹聴していたからかもしれません。

「夢みるように眠りたい」は1986年公開の映画。モノクロサイレントで字幕付きという活動写真と呼びたくなる仕上がりで、ミステリー仕立ての展開ですが何とも言えないロマンチックでセンチメンタルな結末が待ち受けていて、私は思わず涙を流してしまったのを覚えています。
佐野史郎氏がゆで卵好きの探偵役で映画初主演しているのも興味深かったです。

その「夢みる-」を手掛けた林監督にお会いできるチャンスをいただいたのです。
断る理由が見当たりません。

取材は撮影の合間、畳が敷かれたセットのような喫茶室で行われ、実のところ私は緊張のあまり何を話したのか良く覚えていないのですが、どういう経緯か大友克洋監督の映画「アキラ」(1988年)の話になり、その結末について林監督が語られていたのを思い出しました。
しなやかで物静かでありながら熱い思いをお持ちの監督でした。
その節は拙い質問にお相手下さりありがとうございました。

蛇足ですが、この時の取材で私は映画のラッシュというものを初めて観ました。
一本の映画がいかに手間暇をかけて作られていくかが窺える滅多にできない経験でした。

シン・ゴジラについて書いてみたくなりました

ご覧いただいた絵は昨年、映画「シン・ゴジラ」を観て興奮冷めやらぬままペンタブレットで描いてしまったものです。
タイトルは「鎌倉上陸」。

先週地上波初放送された記念に、今回は「シン・ゴジラ」について書いてみます。

私たちの世代は怪獣ブームの中で育ちました。幼い頃から怪獣映画がやって来る度に町のあちこちに張り出されるポスターに胸を躍らせ、テレビでは本放送はもちろん再放送も一話たりとも見逃さないほどの執着ぶりでした。
ゴジラシリーズはまさに中核で、ほとんどの作品を映画館で観た覚えがあります。

ただ幼い頃はそれで良かったのですが、成長し様々な価値観が芽生えるに至って、ゴジラが回を重ねるごとに正義の味方となり、フォルムもどんどんと劣化していく事に気づき熱が冷めていきました。

第二期といわれるシリーズ第16作「ゴジラ」(1984年)が封切られた時大人になっていた私は、リスタートされるはずの新作に大いに期待を寄せ映画館に足を運びました。しかし正直満足のいく作品ではなく、おそらくゴジラ好きの作り手の方々が思い入れし過ぎてかえって皆で駄目にしてしまったという印象です。
17作、18作目は私の好きな大森一樹監督作品だったのでやはり足を運び、それなりの満足でその後もシリーズを観続けました。

時代は平成に移り、ここで怪獣映画界に一陣の風が吹きます。「平成ガメラ三部作」の登場です。目からうろこが落ちました。私が幼いころから求めてきた怪獣映画がそこにありました。
監督は金子修介氏、特撮は樋口真嗣氏です。
ご存知の通り樋口真嗣氏は「シン・ゴジラ」の監督でもあります。

日本のゴジラシリーズは2004年「ゴジラ FAINAL WARS」で一応の収束をみて、いよいよ2016年がやってくるのです。
その4年前2012年庵野秀明氏が館長をつとめた特撮博物館で上映された短編映画「巨神兵東京に現わる」は脚本を庵野氏、監督は樋口氏。お二方はおそらく怪獣映画で育った同年代です。
庵野氏の代表作「新世紀エヴァンゲリオン」だけではなく、私はここに「シン・ゴジラ」の予兆をみました。

長くなりましたが
「シン・ゴジラ」を映画館で観終わって席を立つとき、思わず「生きてて良かった」という言葉が口から出てしまいました。
これが私の「シン・ゴジラ」の感想のすべてです。