悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (73)

第二夜〇仮面 その十七

『故きを捨つる心あらば 新しきもの来るやもしれず』

私はその碑文を読んで‥‥‥骨董屋のおじいさんの言葉の「ひるこ神社」に関する下りを思い出していた‥‥‥。
「蛭子神は‥‥捨てられた後に福をもたらす神に転じて戻って来た‥言わば変化を象徴する存在と考える事ができます‥‥‥‥」

私は石碑を横に通り過ぎ、水に浮かぶ様に続いている敷石がフツリと途絶えているところ、どん詰まりにあたるやや大きめの石の上まで進んでいった。そして身をかがめ、周囲の水の中を覗き込んでみる。
やはりそうか‥・。水底は今いる石のすぐ下辺りから急に深くなっていた。それでも透明度が極めて高い分、数メートルくらい先までは底の様子はまだはっきりと窺(うかが)える。水藻の緑と沈殿した泥が見えた。そして、いるのかと想像していた魚でも亀でもない、自然の造形物とは違う色々が、そこかしこに見え隠れしていた。
‥‥写真が何枚か見て取れる‥‥。真珠のネッツレスが鈍い光を放っている‥‥。ブランド物の財布、鍵と免許証に‥、あれはアナログレコードだろうか?‥‥。野球のグローブや地球儀、フルート、犬の首輪まで沈んでいる‥‥‥‥。すぐに泥に飲み込まれるか、藻の陰に隠れて見えなくなってしまう小さな品を含めると、おそらく計り知れない数の様々な物が水底に眠っているに違いない。
つまりここは、つまりはここで、参拝者がそれぞれが用意してきた「決別したい自分を象徴する品々」を沼の水に沈め、「過去」として捨て去るわけだ。そして「新たな物事の到来」「新しい未来」を祈願する。
私は今そんな特別な約束事を交わす場所にいるのだと、水底の品々が無言の内に教えてくれていた。そして、その事を理解した瞬間からある予感が頭の中に湧きあがった。このまま水の中を覗き込んでいたなら、必ず見つかるだろうと‥‥‥‥‥‥

「‥‥‥‥あった‥。やっぱり‥‥」
それは‥‥背筋が寒くなる光景だった。水藻の隙間から、人の顔がこちらを見上げていた‥‥‥。

虚ろな目が二つ。口元は水の揺らぎのせいだろうか、微かに笑っているみたいに見える。髪の毛が無い事もあってか性別を判断するのは難しいし、おおよその年齢すら分からなかった。だが間違いなく「仮面」である。きっと私が遭遇したのと同じ経験をした誰かが、事態を収拾する願いを込めて、外れて残されていた知人の仮面を水の中に捨てたのだ。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」私は背中のリュックの中に今もある、みんなの顔の事を考えていた。
私はこのまま、大事にこれを持ち歩いて一体全体どうするつもりだったのだろう?一度外れたこの顔を、私がみんなに着けさせたと骨董屋のおじいさんに指摘されたこの仮面を、みんなに再会できた時にこれ幸いとふたたび彼女達に着けてもらおうとでも思っていたのだろうか‥‥‥‥‥‥

「‥‥‥それじゃあ、虫が良過ぎるよ‥‥‥‥」
そんな心構えでは、新しい認識など永遠に生まれない気がした。そして結局、みんなには永遠に会えない気がした。

「故きを捨つる心あらば、新しきもの来るやもしれず‥・」私は碑文を諳(そら)んじていた。
リュックからみんなの顔を取り出し、足元の石の上に広げた。
そして改めて、それらをそっと両手に取って‥‥、「文音‥‥、凪子‥‥、陶子‥‥沙織‥‥‥、実奈‥‥‥‥」と、みんなの名を囁(ささや)きながら一つ一つ‥、一枚一枚ゆっくりと‥‥、沼の水の中へ投じていった。
みんなの顔は揺れながら、それでも裏返ったりする事なく正面をこちらに向けたまま、私を見続けてくれている様に、静かに沈んでいった。

「必ずまた‥会おうね‥‥‥‥」私は両手を組んで祈っていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (72)

第二夜〇仮面 その十六

私はひるこ神社の鳥居をくぐり、参道を進んでいった。
手水舎(ちょうずや)も狛犬も無い神社だった。人が常駐する社務所らしき建物も見当たらない。あるのはただ参道の正面、沼を背にして建つ小ぶりの社殿がひとつ。
「そうか‥‥‥‥」私はその前に立ち、納得した様に呟いた。
初詣などに行く大抵の神社は、賽銭箱があって参拝者が手を合わせる「拝殿」と、その奥に御神体が鎮座する「本殿」があるものだが、恐らくこの「ひるこ神社」の場合、建っているのは拝殿のみで背後にある「沼」自体が信仰の対象、御神体そのものなのだと思われた。
私はいつも神社でそうする様に、ここでも賽銭を投げて作法道理のぎこちない参拝を済ませた。そして、すぐに山道に戻って「胎内くぐりの洞窟」を目指すつもりだった。並行世界のみんながこの神社に立ち寄ったとしても、やはりすぐに行き過ぎただろうと考えたからだ。彼女達は基本的に神社仏閣に興味を示すタイプの人間ではない。それでも強いて思い出してみるなら‥‥陶子が、「厩戸皇子(うまやどのみこ)」を描いた漫画に心酔していた時期があって、飛鳥時代のお寺を調べていたっけか‥‥。
夕暮れ前の低い日差しを受けた沼の水面(みなも)のきらめきには多少の未練はあったが、私は踵(きびす)を返し、拝殿とその後ろにある沼に背を向けた。

コポッ‥コポリ‥‥‥‥
その時、奇妙な水音が私の耳に届いた。

私は帰る参道の途中で振り向いていた。沼の真ん中辺りに幾つかの幽かな波紋が広がるのが見て取れた。
「‥‥何か‥‥‥‥いるの?」
しばらく眺めていたが、次の変化は起こらなかった。
私は、返した踵を再び返してしまっていた。気になったのだ。
魚か‥亀の仕業か?確かめられるものなら確かめたい。ほんの二三分でいい、近づいて沼の水を覗いてから帰ろうと思った。

沼は、奥行きが100メートルは優にある。横幅も50メートル前後というところか。観光案内地図に描かれたペンキの絵は「ゾウリムシ」に見えたが、まさにそんな形をしていた。三方の岸は生い茂った樹々や丈の高い草に囲まれていて、水際まで近づけるのは拝殿の後方からだけだ。
私は拝殿を回り込み、沼に向かって歩いて行った。雑草の生えた地面は徐々に湿り気を帯びていったが、ぬかるんで足を取られる事はなかった。
「あ‥・」途中まで行った右手に、平らな自然石が点々と敷かれているのに気がついた。きっと参拝者に用意されたものだろう。私はその石の上を辿って歩いた。

「わあ‥‥こんなに透明だったんだ‥‥‥‥」
なだらかな傾斜の土の地面が透き通った水の中に沈み込んでいった。水は手ですくって飲めそうなくらいきれいに見える。どうやらこの沼は、周囲の山から染み出した清らかな湧き水を湛(たた)えているらしい。
連なる敷石が辛うじて水の上に顔を出してもう少し先まで続いていて、その石の道が途切れる手前に、子供の背丈ほどの黒い岩がポツンとまるで道標の様に立っていた。
近づいて見てみると何やら文字が刻まれている。辺りの水底には参拝者が投げたものか、無数の硬貨が沈んでいるのが見て取れた。
石碑だ。

碑文‥‥‥石碑にはこう刻まれていた。
『故きを捨つる心あらば 新しきもの来るやもしれず』

次回へ続く