悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (36)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その二十一

「こいつ、ハゲてやがんの!」

今振り返ると、どうしてそんな酷いことが言えたのか自分でも分からない。
ただ、委員長のとんでもない秘密を知ってしまって体が熱くなるほど興奮し、鬼の首でも取ったようなのぼせ上った高揚感の中に身を置いていたことは確かだ。

驚いて振り向いた委員長に対して、俺はさらにこう付け加えた。
「おしゃれの振りして、そのヘアバンドはハゲ隠しだったのか!」

付け損ねたヘアバンドを両手に絡めたまま‥‥目を大きく見開いて真っすぐこちらを向いたまま‥‥そのまま‥‥‥委員長は動かなくなった。
俺はこの時、きっと笑っていた。ニヤニヤが顔に張りついていたに違いない。
そう‥‥ほんの数秒後まで‥‥‥‥俺は笑っていた。

驚いている委員長の表情は変わらなかった。しかし、彼女の開かれた両目から大粒の涙が溢れ出し、頬を伝った。後から後から溢れ出て、頬を伝って落ちた。とめどなく、落ちていった。
一切泣き声を上げなかったし‥・しゃくり上げることすらしない‥‥・。委員長が泣いているところを初めて見た‥‥という以前に、そんなふうに泣く子供を見たのは初めてだった。悲しみを訴えているのではない。悲しみを悟られまいと堪(こら)えている‥‥‥堪えて、悲しみが去るのを待っている‥‥‥‥俺にはそんな風に見えた。
俺は、ショックに身を竦(すく)ませた。とんでもないことを言ってしまったのだとやっと気がついた。

校舎のどこかから喚声が聞こえる。囃し立てる声と馬鹿にした笑い。誰かと誰かがいつものようにふざけ合っている。
その時の俺はもはや彼らとは決して相容れることのない、別の世界の住人になっていた。
胸が苦しくなり、冷や汗が噴き出した。いたたまれなくなり、後ずさっていた。
この場を繕う術(すべ)など持ち合わせていない。俺が一方的に委員長に注目しているだけで、彼女は俺のことを「いつもふざけてばかりいる男子の一人」くらいにしか思っていないはずだ。二人だけでまともな言葉の遣り取りをしたことがないし、出来はしない。
逃げるしかないと思った。

カコッ‥・
乾いた木がコンクリートを打つ音がして、俺は振り返った。
渡り廊下に敷かれた簀の子の板が鳴ったのだ。簀の子の板を渡って、誰かが大急ぎで校舎側の出入口に駆け込んだように見えた。
もしかしたら一部始終を見られていたのかもしれないと焦りを感じ、結局これがきっかけとなった。俺は委員長に背を向け、全力で校舎の入口に向かって駆け出した。

「かばんを取って来て、そのまま帰ってしまおう‥‥今日はもうそれでいい‥‥・」
校舎の中うす暗い廊下で息を整えながら、俺は教室に戻ろうとしていた。三階までの階段を登るため近道の廊下を左に折れた時、塵取りと外箒を抱えた島本と出くわした。普段からほとんど話もしない奴だったので、声も掛けずにそのまますれ違った。

「たかが女の子を一人‥‥泣かしただけじゃないか‥‥‥‥‥」
俺は自分自身に何度もそう言い聞かせていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (35)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その二十

「あれが‥‥‥私なの?‥‥」

自分の席は忘れていても、いつも見ていた委員長の席だけは忘れようがなかった。俺はポケットの中の紙を見せるピンチから逃れるため、今折れ曲がって変形したものが委員長の人形であることを彼女に教えた。
委員長はそれを聞いて、興味津々の表情で机に近づいていった。
俺は胸を撫で下ろし、委員長の後ろに付き従う振りをして、ポケットから取り出したクシャクシャになった紙の塊を一番近くの机の中に素早く放り込んだ。

「頭が‥大き過ぎたのよ」
隠ぺいを終えてすっかり落ち着いた俺は、委員長の肩越しに人形を見た。
まったく、委員長の言う通りだった。俺が作った‥らしい委員長の人形は、頭の部分に粘土を盛り過ぎたせいで胴体がその重さを支えきれず、突っ伏した形に折れ曲がったようだ。他の人形たちと比較して、この人形だけ随分と出来の悪い造形に見えた。
俺は不思議な気がした。そんな筈はないとも思った。机に近づき、改めて人形を観察してみる。
「私‥・あなたに嫌われてたみたいね」委員長が苦笑いをしている。
「‥‥‥‥‥‥」俺は、黙り込むしかなかった。

俺は委員長に憧れていた。それは間違いない。
実際に人形を作った記憶は持ちあわせていないわけだが、委員長の長くて綺麗な髪を懸命に再現しようとした‥・と言うよりも、そこには別の原理法則、あるいは独特の執着が作用して作られた痕跡があった。
粘土がデリカシーの欠片(かけら)もなく、強引かつ執拗に頭の部分に盛られていっている。
「何を‥慌てて‥・いるんだ‥‥‥‥‥」そんな言葉がつい、口を衝いて出た。
「どういうこと?」
「‥いや‥‥何でもな‥‥‥‥‥」そう言いかけた時、あの日の記憶が鮮明に甦(よみがえ)った。

六年生の夏休みが終わって最初の日‥‥‥‥
下校前の掃除の最中、俺は虫を仕入れるために校舎と体育館の間にある中庭にいた。簀の子の板が敷いてある渡り廊下から外れて下草に足を踏み入れた時、葉の茂った桜の木の陰に委員長が立っているのを目撃した。
意外に感じた俺は、彼女に気づかれないよう慎重に近づいていった。

委員長は、体育館倉庫部分の暗い窓を覗き込んでいる。何を見ているのかと俺はさらに近づく。
委員長はその日初めてお披露目した深い青色のヘアバンドに手を添えながら、首を右に左にと動かしている。目線が窓を向いたまま動かないのを見ると、どうやら暗い窓を鏡代わりにしてヘアバンドの位置を直しているらしかった。
俺は息を殺してそれを見ていた。実は、見とれていたのかもしれない。

結局、位置が気に入らなかった様子で、委員長は手を頭のうしろに回してヘアバンドを解いた。
外したヘアバンドを整え、付け直そうと彼女が小首を傾(かし)げた瞬間だった。俺は奇妙なものを目にした。
委員長の頭の左こめかみのやや上の部分に、直径2センチほどの白く丸いものが見えたのだ。

それが‥‥はげ‥・であることに気づくのには‥‥‥しばらく時間が必要だった。

次回へ続く