悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (173)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五十八

「もしかしたらもう‥‥ 助けは来ていたのかも‥知れない‥‥‥」

「いったい何が見えたの? 説明して!説明してよ、ヒカリくん!」高木セナが感情的な声を出して食い下がってきた。ぼくとしても彼女にちゃんと説明したかったが、その前に、『吊るされている人間が警察官である』と断定できるだけのもっとしっかりとした確証が欲しかった。
「説明する。必ず説明するから、もうちょっとだけ待ってくれ」ぼくは早口でそう言って、すでに頭をフル回転させていた。何かを思い出そうとしていたのだ。今までのぼくの取ってきた行動の経緯の中に、彼らが警察官であることを確かめるためのヒントとなる記憶が、どこかに紛れている気がしたのだ。

「そっそうか!そういうことか!」僅かの間に、ぼくは該当する記憶に思い当たった。その記憶に促(うなが)されて、慌てて双眼鏡を『舗装道路』の方に向ける。駐車場の東の端から北に向けて真っ直ぐ伸びている道路で、ずっと先を東西に横切る国道と繋がっている例の一本道だ。車で『芝生広場』に来るには、この道路を利用する以外に方法はない。
ぼくが『巨大迷路の廃墟』の存在を間近に行って確かめ、そして去ろうと走り出した時、西の外壁(そとかべ)にすでに吊るされていた水崎先生と教頭先生の死体のとなりに、大人の男女の新たな死体が吊るされるのを目撃した。その時は外壁からすでにかなり距離ができていたため識別はできなかったが、それらが葉子先生と風太郎先生ではないかと一瞬疑ったのだった。その後、やっとの思いで茂みを走り抜けて舗装道路まで辿り着いた時、道路を挟んだ向こう側の茂みの中へほとんど横倒しになった状態で突っ込んでいる、白い軽自動車を発見する。誰も乗ってはいなかったが、真っ赤な血が車内のそこら中に飛散していた。
あの時は些(いささ)か冷静さを失っていたのだと思う。『新たに吊るされた死体』と『無人の白い軽自動車』のこれらの二つを関連づけて考えてみる余裕が無かったのだ。
しかし、今改めて考えれば、二つの関連性は明白に思える。白い軽自動車に乗って芝生広場に向かっていた男女が『ヒトデナシ』に襲われ、殺された挙句(あげく)の果てに巨大迷路廃墟の外壁に吊るされたのだ。

つまり、車で芝生広場まで来るには、この一本道の舗装道路を使うしかないわけで、もし警察がやって来てその当人達がすでに殺されて吊るされていたのだとしたら‥‥‥‥‥

ぼくは、舗装道路の方に向けた双眼鏡の視界を、手前から奥へ、つまり北へと、ゆっくり這(は)わせていった。
まず、記憶にある辺りの道路右側の茂みで止めて見る。やはり例の軽自動車の白い車体が、草木の中に垣間見えた。そこからさらに北へ‥。何物も見逃すまいと意識を集中しながら、瞬(まばた)きもせず双眼鏡を覗き込む‥‥‥‥‥‥

「はっ!」ぼくは双眼鏡をピタリと止めた。軽自動車があった地点から百メートル足らず北の場所である。
見つけてしまった。白と黒のボディーと天井に赤い警告灯を持つ車が、今度は道路左側に半分逸れて斜めに止まっていたのだ。しかし! ぼくが本当に驚いたのは! そのパトカーのさらに数メートル奥、バスの巨大な車体がこちらに腹を向けて道路を塞(ふさ)いだ状態で止まっているのを、レンズ越しに目の当たりにした時である。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (172)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五十七

ヒトデナシはもう! こんなに人を殺していたのか???
ぼくは双眼鏡で見たその光景にすっかり気が動転してしまい、冷静さを失いかけていた。

「いったい誰が? 誰が吊るされてる?!」ぼくは、ついつい言葉を漏らしてしまった。
「なに?なにを見てるの? ツルサレテルって何のこと?」ぼくが双眼鏡で見ているものを知りたくて、ぼくのすぐ横にぴったりと身を寄せていた高木セナが、驚いた声で問いかけてきた。
「あっ、いやっ、違うんだ‥」ぼくは誤魔化した。そして、手の震えを抑えるために双眼鏡を握り直した。
ここは落ち着いて観察しなければならない。新しく吊るされているのは、誰と誰なのかを。

巨大迷路廃墟の南側の外壁に咲いた『赤い花』は全部で五つ。つまり、腹を裂かれて内臓をはみ出させ、逆さまに吊るされた死体は五体確認できた。
しかし、その全てがどう見ても大人で、小学二年生らしき子供の死体が存在しないと分かった瞬間、誠に不謹慎ではあるがぼくは少しほっとした。
ぼくは仕切り直しをして、今度はそれら遺体の一つ一つの特徴を具(つぶさ)に観察していった。風太郎先生の双眼鏡は小型ではあるが、予想以上の性能を持っていて、こんなに離れていながらも様々な情報がぼくの目に飛び込んで来た。
まず彼らは全員、男性であった。着ている服やだらりと垂れ下がった両腕や頭部は、例外なく傷口から流れ出た大量の血で真っ赤に染まっていて、その特徴はおおよそでしか判別できないが、一番左端の男は薄手のパーカーを、四番目の男は農作業でよく見かける作業着を身に着けている。五番目の男はカッターシャツに濃い色のスラックスを履いていて、帽子は無かった(逆さまになった時、落ちたのかも知れない‥)が、どこか‥普段見慣れているタクシー運転手の服装を思い起こさせた。問題なのが二番目と三番目の男である。やはり帽子は被っていなかったが、身に着けているのは明らかに制服である。腹部が裂かれてはみ出した腸が絡みついてはいるが、切れてしまった腰のベルトに何やら棒状の物と、固そうな皮のケースが付いていた。ぼくには彼らが、『警察官』に見えたのだ。

「これは‥‥ まずいぞ‥」と、またしても言葉がこぼれ出た。

「何よ、さっきから! 少しは説明してよ!」しばらくの間相手にされず、苛々(いらいら)し始めていた高木セナが、不満の声をぶつけて来た。
「もしかしたらもう‥‥ 助けは来ていたのかも‥知れない‥‥‥」ぼくは、まるで独り言の様な口調で、彼女に答えた。

次回へ続く