悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (193)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十八

「いたよ!!見つけた! ツジウラさんだよ!!」

高木セナの叫びに反応して反射的にぼくの手が伸びた。少々乱暴な動きで、彼女の覗く双眼鏡に手を掛けようとしたのだ。しかしその前に、高木セナはぼくの気持ちをちゃんと察していて、すでに双眼鏡はぼくの目の前に差し出されていた。
「あ‥ ありがとう‥」
高木セナの気遣いのおかげで幾分冷静になれたぼくは、双眼鏡をしっかり構え、すぐにツジウラ ソノの姿を捉えた。

確かに風太郎先生の四、五メートル後ろを、ツジウラ ソノが歩いていた。こちらに横顔を向け、遮るものの少ない茂みの辺りを右から左へと、ゆっくり移動して行く。
ぼくは、ツジウラ ソノの様子をできるだけ具(つぶさ)に観察した。彼女はどう見ても、先を行く風太郎につき従って歩いている。ただ無表情に黙って前を見つめ、まるで‥話があると呼び止められて先生と一緒に職員室へと向かう‥生徒の様だ‥‥‥
「どう? ツジウラさんは 元気そう?」押し殺したみたいな小さな声で、高木セナが質問した。
「ああ、ここからだと普通に見える」
「ツジウラさんが林の前からいなくなったのは、風太郎先生に誘われたからだったのかなあ?」
「そ‥そうかも知れない‥‥ 確かにそんな風に見える‥けど‥‥」ぼくは曖昧(あいまい)な返事をしながら、頭の中に二つの解決すべき疑問を抱えていた。一つめは、『ツジウラ ソノの前を歩く男が、本当に風太郎先生なのか?』、二つめは、『安全の保障されないあんな茂みの中を、ふたりは平然とどこへ向かっているのか?』だ。
ぼくは、冷静であることを心掛けて、考えを巡らせた。風太郎先生は死んでいた。芝生広場の窪地にあったバラバラの死体は、確かに風太郎先生だった、それは間違いない。だったら、今茂みを横切っている男はなんだろう?奇跡が起きて生き返った『風太郎先生』なのか?それとも、何者かが何かの目的で、わざわざ変装して成りすましている『風太郎先生』なのだろうか?‥‥‥
いや、違う、違うんだ。にわかには信じ難いことだが、死体に掛けて置いたレジャーシートの変化から、死体が元通りに繋がって動き出したのは本当らしい。だがそんなものは、奇跡でも何でもない。そんなことが都合良く、この世に起こるはずがないのだ。
起こったとしたのなら、それは魔物の仕業に違いない。魔物がその不可解な力で現実を歪(ゆが)め、人を欺(あざむ)き貶(おとし)めようとしているのだ。『ヒトデナシ』という、『ハラサキ山』に棲む魔物だ!

「ツジウラを行かせてはだめだ!」ぼくはいきなり叫んだ。
「え?エ!え? どういうこと???」高木セナが驚いて、目をまん丸にする。
「彼女と一緒にいる風太郎先生は、もう!ぼくらが知っている風太郎先生ではないはずだ!」
ぼくは双眼鏡をすばやくリュックにしまい、すでに走り出そうとしていた。
「何?! ヒカリくん! 説明して!」
「後で説明する。きみも来るんだ、急ごう!」ぼくは高木セナの手を掴んだ。高木セナをひとりで残して置くわけにはいかなかった。

ぼくは、戸惑う高木セナの手を引いて、駐車場の舗装道路側の出口へ向かって走り出した。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (192)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十七

風太郎先生の首が右から左へと‥‥、背丈ほどの高さの樹々の向こうを移動していた。
「そんな‥ バカな!!?」ぼくは呻(うめ)いた。

「なに?、何?、何が見えてるの?」興奮気味に高木セナが、ぼくの左肩に両手でしがみついてきた。双眼鏡を構えていた左腕が揺れて、双眼鏡の視界も上下左右に揺れた。
ぼくは彼女に何も返答せず、慌てて双眼鏡の視界を修正した。見え隠れさせている邪魔な樹々を追い越し、その左側の、遮るものが疎(まば)らになった少し開けた場所に焦点を合わせた。
すると案の定、待ち受けていた視界に、風太郎先生の横向きの首が入ってきて、はっきりと像を結んだ。

「えェェ???!」
ぼくは、更なる衝撃を受けていた。何と、風太郎先生の首に、続きがあったのだ。首の下に上半身がちゃんとあって、おまけに下半身も、欠けることなくその上半身にくっついているではないか。
「そんな‥‥ 有り得ない‥‥‥」ぼくは二度目の呻き声を漏らしていた。
風太郎先生の無残な死体を見たことのあったぼくには、先入観があった。芝生の上にそれを見つけた時、右腕と左手が切られて落ちていた。上半身と下半身は二つにちぎれていて、首は、ずいぶん離れたところに転がっていた。ぼくは、それらを全部一か所に集め、レジャーシートで覆(おお)って手を合わせたのだ。風太郎先生の首が、樹々の隙間にちらりちらりと見えた時、ぼくはてっきり『切断されていた首』だけだと思ってしまったのだ。
それがどういうことだ?? 双眼鏡が今、結んでいる像は、首だけではなく全部のパーツが繋がって動いている。自らちゃんと歩いて移動している様に見えるではないか‥‥‥‥

風太郎先生が 生き返った‥‥
芝生広場の例の窪地を通り過ぎた時感じた違和感の正体は、死体に掛けて置いたレジャーシートの、『死体分の厚みが足りなかったこと』だったのだ。

「やっぱり! 誰かいたのね!」呆然としているぼくに、高木セナが両手を出して双眼鏡を催促した。
ぼくは無言のまま、小刻みに震えている手で、彼女に双眼鏡を渡した。

高木セナは、今までぼくが見ていた位置を、的確に把握できていた。すぐに「あっ」と声を出し、「もしかして、風太郎先生?!」と言った。
「間違いない、風太郎先生だ! 風太郎先生、体中あんなに汚れちゃって‥、いったいどこにいたのかしら?」
風太郎先生が、無残に死んでいたことは、誰にも話していない。ぼく以外に知らない。そして、バラバラだった体が元通り繋がって、今動いている、この‥まったく説明のつかない『底知れぬ不可解さ』も、ぼくだけのものだった。

「ああっ? もう一人いる!」双眼鏡を覗き続けている高木セナが、上擦(うわず)った声を上げた。
「え?」思考を非現実的な現象に囚われていたぼくは、思わず声が出て、現実に戻った。
「風太郎先生が歩いて行く後ろを‥‥ついて行く。‥もしかして‥あれって‥‥‥」高木セナの、双眼鏡を覗く両目が、細まるのが分かった。そしていきなり、嬉々(きき)として叫んだ。

「いたよ!!見つけた! ツジウラさんだよ!!」

次回へ続く