悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (204)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十九

「どうやらこのハルサキ山に棲む魔物は‥ 人を騙(だま)すのが得意みたいだ‥‥‥」

警戒の意味を込めて高木セナに言った言葉を、ぼく自身も噛み締めていた。
ぼくと高木セナの十数メートル前方に存在する巨大迷路の廃墟は、ハルサキ山に棲む魔物『ヒトデナシ』の重要な拠点(きょてん)であることは間違いなさそうだ。
連れ戻すつもりだったツジウラ ソノや他の大切な仲間達がみんな、導かれる様に中に消えてしまったのなら、ぼく達がこのままここで手をこまねいていられるわけがなかった。

「あそこに見える廃墟は‥‥ この辺り全体がフィールドアスレチックの施設だった頃に建てられた『巨大迷路』なんだ。ぼくはこれから、中へ乗り込もうと思うけど、君もついて来るかい?」
さっきからついつい目が行ってしまうという感じで、廃墟の外壁(そとかべ)に吊るされている腹を裂かれた死体を不思議そうに眺め続けている高木セナに、ぼくは問いかけた。おそらく彼女は、それらの死体がすべて作り物ではない事に、未だピンと来ていないらしかった。
「つまりあの中には『ヒトデナシ』という魔物がいて、ぼく達を待ち構えているかも知れない‥‥。あんな風に、腹を切り裂いて逆さまに吊るすためにね‥‥‥」
「‥‥‥‥ ・‥ ・‥」 平静に見えていた高木セナの体が、僅かに震え出すのが分かった。彼女が、睨(にら)みつける様な視線をぼくに向けた。
「平気。平気よ。わたしは殺されはしないもの。 ヒカリくんも同じ。わたしとヒカリくんが殺される運命にあるのなら、とっくにわたしが『夢』を見てるはずだもの」
「あ! ああ‥」予想もしない高木セナの頼もしい言葉に、ぼくは驚いた。
「だってそうでしょ? 自分が死んだり、大切な人が死んだりする一番知りたいことが出て来ない『夢』だったんなら、最初からそんなものいらない!」
「そっ そうだな!」ぼくは素直に感動していた。特に彼女が、ぼくを『大切な人』と呼んでくれたことに、心が揺さ振られた。

「行こう。みんなを、連れ戻すんだ」

ぼくと高木セナは、巨大迷路の廃墟に向かって歩き出した。西側の外壁を左手にして歩を進め、南側へと角(かど)を回り込んで行った。
「あった。あそこだ」 予想通り、南側の中央に外壁が途切れている部分がすぐに見つかった。巨大迷路の唯一の出入り口である。
壁面にはびこっているツタが、その周辺部だけ不自然に後退していた。何者かがこの廃墟に出入りを繰り返している紛れもない証(あかし)だ。中央を壁一枚で仕切って、左側の入り口と右側の出口を分けただけの造りの出入り口であるが、おそらくこの施設が閉鎖された際、受付係員か待機していた小屋や看板、タイムアタックの時間をカードに記録する機器などが撤去されたのと同時に、何枚かのしっかりした板が全面に打ちつけられることで密閉されたはずである。その板が入り口の方は全部、出口の方は上三分の一が剥がれ、草の地面の上に無造作に落ちていた。釘の大きさや板の頑丈さを観察してみたが、それらが自然に剥がれ落ちたとは到底考えられないものだった。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
ぼくと高木セナはしばらくの間、入り口の奥の暗がりに『蟠(わだかま)る様に存在する闇』を、押し黙ったまま‥覗き込んでいた‥‥‥‥‥

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (203)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十八

「何なの?! これ?! お化け屋敷の飾り付け???」
そんな訳の分からないことを唸(うな)りながら、声の主(ぬし)がぼくの伏せている場所の後方から近づいて来る。ぼくは、それが誰だかすぐに分かった気がしたが、声を掛けたり首を回して確かめることが出来ないでいた。
「‥それとも、ホラー映画のさつえい(撮影)か?何か??‥」
声の主のそいつは、すっかり廃墟の外壁(そとかべ)に目を奪われている様子で、ぼくの存在に全く気づかないまま近づいて来る。
なんだか嫌な予感がした‥‥

ゴリッ
「いてェ!」 ぼくの左足のふくらはぎ辺りに痛みが走った。そいつが思い切り踏んづけたのだ。

「ぎゃッ!?」 そいつはやっと足元のぼくの存在に気がつき、飛び退(の)きながら短い悲鳴をあげた。

「ヒカリくん!! どうしてこんなとこに!寝てるの?!」
高木セナが、飛び出してしまいそうなくらい目を真ん丸にしてぼくを見ていた。
ぼくはというと思わず起き上がって、踏まれた左足を両手で抱え込んでいた。
「きッ きみこそ! どうしてこんなところに‥‥」そこまで言いかけてぼくは、自分の体が痛みにちゃんと反応して動いていて、声もしっかり出ていることに初めて気がついた。

「君のおかげで‥‥催眠術が解けたみたいだ‥」
「????」
不思議そうにこちらを見ている高木セナにぼくは、足の痛みに引きつった顔で微笑みかけた。


こんなにも早く、やむなく置き去りにして来た高木セナと再び合流できるとは思わなかった。
彼女がここまでやって来た理由を聞いてみると、やはり不思議そうにこう答えた。
「ヒカリくんと別れたあと‥‥とりあえず私、林の中のみんなのところへ戻ろうと思ったの。林の入り口まで行ってみると、林の奥の陰からいきなり、葉子先生が歩いて出て来て、すごくビックリしちゃった! ビックリし過ぎて、声をかけないで思わず隠れちゃった。そしたら葉子先生の後ろから、他のみんなもくっついて出て来て‥‥、それがみんながみんな、いつもと違うどこか変な感じで‥‥、そしてそのままお喋(しゃべ)りひとつしないまま‥葉子先生を先頭に一列になって、芝生広場を横切って行っちゃったの‥‥‥‥」
「それでここまで、後をつけて来たと言う訳か‥」ぼくの言葉に、高木セナはコクリと頷いた。

「ねえヒカリくん、葉子先生は生き返ったの? それとももともと最初から死んでなかったの?」
「あの時は確かに、葉子先生の呼吸は止まっていた。でも‥後で蘇生した可能性はあるかも‥知れない‥‥」ぼくは言葉を濁(にご)した。なぜならぼくは、息を吹き返したにしてはどこか葉子先生の様子が奇妙だと感じたし、何よりも『風太郎先生の身に起こった出来事』を知っていたからだ。

ぼくは警戒の意味を込めて、高木セナにこう言った。
「どうやらこのハルサキ山に棲む魔物は‥ 人を騙(だま)すのが得意みたいだ‥‥‥」

次回へ続く