悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (6)

序〇糞(ふん) その六
黒い欠片を乗せた手をさらに前へ差し出して、少年は言った。
「何も汚いもんじゃあねえ。それにこいつは無味無臭だ‥‥」

男に糞を飲ませて後で笑いものにしようと、少年が企んでいるとは思えない。
つまらない猜疑心(さいぎしん)に勝っていたのは、他人の悪夢が覗けるかも知れないという極めて魅力的な誘惑、強い好奇心だった。男はその虜(とりこ)となっていた。

手を伸ばす男・・・。微かに震える指で、少年の手のひらから黒い欠片を摘まみ上げた。
「‥‥まさか、こんなものが‥‥‥」
「悪夢の中味までは俺にも判らねえ。開けてびっくり玉手箱ってやつだ」

こうして眺めているより、さっさと飲んでしまえば全てははっきりすることだ。
男は腹を決めた。

男の決意を見透かしたようなタイミングで、少年が声をかける。
「そこいらに横になりな。体の力をすっかり抜いて試すといい‥」
男は従った。足元の草むらに座り込み足を伸ばした。少年はその様子をどこか楽し気に見ている。
男は、いよいよ欠片を口に含み、残る上半身もゆっくりと草の上に預けていった。そして中空に視線をさまよわせる僅かの間を置いてから、ゴクリと音を立てて飲み込んだ。

「さて、お立ち会い!」
少年の、そんな囃子言葉が聞こえた。
次に耳に届いたのは、意識が遠のいていく変調の‥‥‥音にならない音‥‥だった。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (5)

序〇糞(ふん) その五
次の糞を求めてか‥少年は立ち上がり、歩き出した。男も後に続く。
「‥‥またそいつを探すのかい?」
「ああ‥商売だからな」
「商売?」

相変わらず少年は、男に背を向けたまま話し続ける。
「集めたものは、ネットの上で売りさばく。一粒で一万円の値が付く代物なんだぜ」
「一万円だって!」
「そうさ‥出品したとたん、ものの数分で完売よ。こいつの価値は人間様が一番良く御存知ってわけだ」
「‥‥‥ハハ‥まさかぁ?」男は、少年の戯言に、いや、その戯言に乗せられている自分に気がつき、自嘲気味に笑った。

少年が歩を進めるのを止めた。そして、男の方を振り返った。男も、何かあったのかと立ち止まる。
「あんたも‥この世界に迷い込んで来たってえことは、ストレスで精神がぶれ始めてる確かな兆候だぁ‥‥つまりはおいらの、将来の大事なお客の一人ってことだ‥‥・」
「どっ、どういう意味だい?」
男は、少年のいきなりの指摘に戸惑った。どうやら少年は、男がここにいる理由を知っている口振りである。それどころか、全部を見透かされている気さえする。
少年は続けた。
「そういう時こそ、精神の凝りを解(ほぐ)す強い刺激が必要なんで、獏の胃袋でも消化できねえ程のすげえ悪夢を味わってみるってえのも、ひとつの手さぁ」
「き‥君は一体‥‥何者なんだ?」
「商売人さ・・・」

少年はズボンのポケットに手を突っ込み、黒い欠片を取り出して手のひらに載せた。
「砕けちまって売り物にならないもんだが‥‥良かったら試してみるかい?」
そう言って、男に差し出す。

「こいつを飲みゃあ、見ず知らずの他人様の悪夢を体験出来るって寸法よ。論より証拠、百聞は一見に如かずってやつだ‥‥」
男は、出会ってから初めて、少年の表情に変化が生じたのを認めた。
少年は口元に、微かな薄笑いを浮かべていた。

次回へ続く