悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (206)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その九十一

もしかして 閉じ込められた?!
ぼく達が飛び込んだここは、いつまでたっても目が慣れてこない本当の暗闇だったのかも知れない‥‥ そんな場所で、すぐ後ろにあったはずの言わば『いざという時の退路』が消え失せてしまっていることを知って、ぼくの全身に鳥肌が立った。

「もしかしたらぼくたち‥‥ みんなと同じように誘い込まれたのかもしれない‥‥」
「えっ どういうこと?」
人の鼻先も見えない闇の中、にわかに緊張した高木セナが、ずっと繋いでいた手を引き寄せるようにして身を寄せて来た。そしてお互い握りあっている手に、ぼくと彼女のどちらからともなく、強い力が込められていた。

「こういう時は、無暗(むやみ)に動かない方がいい‥‥‥」
「‥うん わかってる‥‥」
ぼくは、こんな状況で今できることに考えを巡らせた。
「これからぼくは、背負ってる自分のリュックを下ろす。今繋いでる手を放すけど、その場を絶対動いちゃダメだよ」
「う‥うん わかった」
ぼくは慎重にリュックを下ろすと、中を手探りして、スマートフォンを取り出した。

「あっ」高木セナが小さく声を上げた。ぼくの手にしたスマホのディスプレイに光が点(とも)り、ふたりの顔を照らし出したのだ。
「すごい!ヒカリくん」
「君も同じものを持っていること、お忘れなく」
それを聞いて彼女も、早速自分リュックから自身のスマホを取り出し、不器用に触り始めた。「こう」とぼくが手を添えると、彼女のスマホにも光が点った。

「これで安心?」
「いや、こいつの電池はそんなに長持ちするわけじゃないんだ。取りあえず、周(まわ)りはどうなっていて、どっちに進めばいいかだけでも調べてみよう」
「わかった」
ぼくと高木セナはそれぞれのスマホを四方八方に向けてかざし、迷路の仕切り壁がいったい今どうなっているのか、照らし出そうとした。しかし、驚いたことにそんなものは、全方位の1メートル先にも2メートル先にも、スマホの光が届く限界のその先にも‥‥、一切見当たらなかった。
「壁とか柱とか‥ 何もないよ!ヒカリくん」
「ああ‥‥ 驚いたな‥」
まるで、真っ暗で何もない空っぽの大広間の真ん中に、ふたりして立っているみたいな感覚だった。
「本当にここは、巨大迷路廃墟の‥中なのか??」そんな呟きがぼくの口から漏れた。

だめだ。こんなところで立ち止まっている場合ではない。ぼくは、入る前のこの廃墟の外観を、頭の中に思い浮かべていた。仕切り壁はともかく、中央にそびえる『展望櫓(てんぼうやぐら)』は、確かに今も存在していた。方向を変えずこのまま真っすぐに進めば、すぐに櫓の土台の部分に突き当たるはずだ。ここが本当に、ツタで覆われた外壁(そとかべ)で囲まれていた‥廃墟の内側であるならば‥‥‥‥

「前に進んで‥みよう」 ぼくはスマホを持っていない方の手で、高木セナのやはりスマホを持っていない方の手を取った。「うん」とだけ言って、彼女は従った。
一歩、二歩、三歩‥ ぼく達は頼りなげな前進を開始した。そしてたぶん五歩目を踏み出した時である。「ねえヒカリくん。なんか聞こえない?」と、高木セナが言った。

「え?」 前進は中断。ぼくは聞き耳を立てた。
「ほら‥ やっぱり聞こえる。誰かが唸(うな)ってる声? それとも‥もしかして歌ってるのかな??」
「‥‥‥ あっ」高木セナの言う通り、確かに幽(かす)かな声が聞こえた。どうやら男の声である。気紛(きまぐ)れな風に乗って運ばれて来ているのか、言葉の流れに独特の抑揚がある。「‥これって‥‥ どっかで‥‥‥‥‥」

「あ‥」 ぼくは、その声がなんであるかが、分かった気がした。
ぼくの認識が正しければ‥‥ 聞こえて来るのは、誰かが経典を読んでいる声。
つまり‥ 『読経(どきょう)』の声 だった。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (205)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その九十

巨大迷路の外壁(そとかべ)と中に張り巡らされた仕切り壁は、全て二メートル以上の高さはあるが、屋根は無いはずである。
中央にそびえる展望櫓(てんぼうやぐら)には屋根があって、それはもちろん、ここに登って周囲の景色を楽しんだり、迷路全体を見下ろしてこの後進むべき順路を確認しながら休憩する場所だからである。櫓から見下ろす迷路には屋根が無いので、通路を行ったり来たりして迷っている利用者たちの姿を面白可笑しく楽しむこともできるのだ。

ところが‥‥、今ぼくと高木セナが覗き込んでいる廃墟の入り口の奥は、空は雲に覆われているとは言ってもまだ日没には早い時刻で、当然自然光が届いているはずだが、何かに遮られているみたいに暗かったのだ。まるで、窓も明かりも無い真っ暗な部屋の中を覗いている様だった。
もしかして外壁にはびこっているツタが、通路を挟んだ壁と壁を渡る様に伸びていって、繁殖した葉と茎で屋根を作り上げ、空の光を遮っているのだろうか? 廃墟に到着した時から窺うことのできた高い位置にある展望櫓にも、すでにかなりのツタが絡みついていて、ここが閉鎖されてから随分と時間が経っているのだから、通路の空間がそういう状態になっていても何ら不思議ではない‥とぼくは思った。

「スマホのアプリを使って、上空からの写真のマップを見れないかな‥‥」
ポツリと呟いたそんなぼくの独り言に、傍らにいる高木セナが「何のこと?」と小首を傾(かし)げた。
ぼくのスマートフォンは、今も背中のリュックの中に入っている。
だが、冷静に考えてみると、なぜか今『自分が身を置いているこの場所と時間』の中で、普段みたいにそんな都合のいい『画像検索』が可能だとは到底思えなかった。
ぼくは結局、リュックからスマホを取り出すのを止めた。


「中に入れば‥‥ 暗がりにも目が慣(な)れてくるはずさ‥」
そう言って、ぼくは高木セナの手を取った。そしてしっかりと、絶対に離さないという思いを込めて繋(つな)いだ。
「行こう!」
ぼくは彼女の手を引いて、いよいよ巨大迷路廃墟の入り口へと足を踏み入れて行った。

幅が1メートル半は優にある通路を、両足の靴底を擦(こす)るみたいに交互に少しずつ前に出して、ぼくが先頭になって歩を進めた。高木セナと繋いでいる右手とは反対側の左手を、広げ気味にしてかざして前に突き出していた。前が暗くて見えなくても、ここは通路を仕切る壁だらけの迷路なのだから、前に進んでいればすぐに必ず突き当りの壁があって、突き出している左手がそれに触れるはずである。触れたらその時、右か左のどちらかへ曲がれば良いのだ‥‥‥‥

「‥あれ?‥‥‥ おかしいなあ??」
「どうしたの?ヒカリくん‥」
どうしたわけか、行けども行けども壁に触らない。もう入り口のゲートから、5メートル以上は進んで来ているはずだ。
それに‥目の方も、一向に暗闇に慣れてこないでいた。
「迷路を仕切ってる壁に、ぶつからないんだ。こんなのおかしいよ」
「壁が壊れて‥なくなってるってこと?」
「いや‥ しっかりした木材でできてたから、壊れたり倒れたりしてるほど、木は腐ってないと思うけど‥‥‥」

その時、ある嫌な想像が頭を過(よぎ)った。もしかしたら、この迷路の中を改造したヤツがいるのかも知れないと。そしてその『ヤツ』とはもちろん、ここを隠れ家にしながら辺りに出没を繰り返す『ヒトデナシ』‥‥‥
ぼくは前方に突き出していた左手を引っ込め、その手を今度は右と左に伸ばして手探りし始めた。ここまで進んで来て、当然両側にあると信じて疑いもしなかった通路の壁に、手で触れて確かめようとしたのだ。
だが、いくら手を深く、精一杯差し出してみても、どこまでも空(くう)をさまようだけで、何の手ごたえも返って来なかった。
「入った時は‥‥ 確かにあったのに!?」そう口走ってぼくは振り返り、後ろに寄り添っている高木セナの頭越しに見えるはずの入り口を見やった。

え?‥
ぼくは茫然とした。
迷路の外の自然光を取り込んで、入り口ゲートの形の『長方形』をした『光でできた図形』が、そこにくっきりと‥ 見えているはずだった。
しかしそんなものはもう、どこにも存在しなかった‥‥‥‥‥

次回へ続く

5月31日(金)、不十分で解り難い箇所に手を入れました。ご了承下さい。