悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (12)

序〇糞(ふん) その十二
男が追いつくと、少年は低木の茂みを抜けたところにいて、既に新しい獏の糞を見つけて棒の先で突いていた。
「もう少し話を聞きたいんだが‥‥・良いかい?」
「‥‥‥‥」
男の問いかけに少年は、振り向きもしないし、棒を動かす手を止めることさえしなかった。
「‥・仕事の邪魔はしないさ。何なら、手伝いながらでも」
「昨日は、新月だったよな‥‥・」男の言葉を遮るように、少年が喋り出した。
そ‥そうだったかな‥・と男は相槌を打ったが、月の満ち欠けなど興味が無かったし、知らなかった。それを見透かした様に少年が返す。
「ふん、仕事に追われて月を観る余裕もないか‥‥」

「どれ‥・あんたが知りたいのはこいつの入手方法だろう?」そう言って、漸く少年は男に向き直る。手のひらには今見つけたばかりの丸い塊があった。
「ああ‥手に入るものならもっと試してみたいと思ったんだ」図星を指され、男は正直に答えた。「商売なんだろう?」
少年は頷いた。「販売は専用のサイトでやってる。だがちょっとしたからくりが施してあってね、普通にアクセスできるわけじゃない。誰でもウエルカムてなわけにはいかないのさ‥・客は選ばせてもらってる」
「客を‥選ぶ?」男は訝(いぶか)しげな表情を浮かべた。
「おいおい、誤解するなよ。これも客自身の為なんだ」

少年は、説明してやるといった体(てい)で草の上に座り込んだ。
「金を出せば他人様の悪夢を拝めるんだ、そりゃあ誰だって一度は試してみたいだろうよ。だがな‥‥中には試していかれちまう人間もいる」
「いかれちまう?」
「悪夢に中(あた)る‥・わけさ。他人の悪夢に同調しちまって呑まれちまう‥それでもって精神が病んじまうんだ‥‥」
少年は見つけたばかりの丸い塊を指で摘まみ上げ、光に透かすようにして見つめた。
「こいつにはまだまだ謎がある‥・試す人間との相性もあるだろうし、満月と新月の次の日に採れた悪夢はどうやらひと味もふた味も違うらしい‥‥‥」

少年の話を黙って聞いていた男が、ポツリと言った。
「‥俺は大丈夫さ。さっきの悪夢だって、面白かったくらいだ」
少年がニタリと笑った。
「それは分かってる。あんたが悪夢を見てる間、ずっと傍で観察してたからな」
そしてこう付け加えた。
「あんたみたいなのが‥・一番危ういタイプなんだぜ‥‥・」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (11)

序〇糞(ふん) その十一
男が目を開けると、先ほどとは打って変わって、のどかな空が広がっていた。
草むらからゆっくりと身を起こす。座り込んだまま緩慢な動作で辺りを見回すと、少し離れた場所でしゃがみ込んで、男の様子を窺っている少年に気が付いた。

少年は微妙に口角を上げたまま、どこか楽し気にしていて、黙ったままいつまでたっても話しかけてこなかった。

「‥‥‥感想が‥‥聞きたくないのかい?」男の方から声をかける。
少年は首を振った。「‥‥・聞いたって‥‥どうせ上手く言葉にできないってところだろうよ」
少年の言う通りだった。男の頭の中は、明らかに混乱していた。

「夢は‥余韻さ。飛んでもねえ夢を見ちまった人間が、目覚めた後にそいつを思い出して、夢の余韻の中で右往左往しながらどうにか自身との折り合いをつけようとしている‥‥‥そんなところを眺めているのが好きでね」
少年はよっこらしょという具合に立ち上がる。
「もっとも‥・あんたが今見てたのは他人様の悪夢だからな、自分のものよりは落ち着いていられるだろうが‥‥せいぜいその余韻を味わうが良いさ」
そう言い置いて歩き出した。どうやら、獏の糞探しを再開するらしい。

男は取り残された。
少年は商売人を自称していたし、「欠片」を飲んで物の真偽が確かめられた後である、てっきり商品を薦めるなり売り込むなりするものだど思っていた。
男は草むらに座ったまま、遠ざかる少年の姿を目で追いながら考える。
男を相手にしてくれたのは、ただの気紛れだったのかもしれない。おそらく商品は引く手あまたの品薄状態で、新たな顧客を必要としていないのだ。

商品の価値は十分理解できる‥‥男は、見たばかりの悪夢をもう一度思い出していた。
3ⅮやVR(バーチャルリアリティー)の映像体験は、人並みに済ませている。五感、つまりは脳を錯覚させて疑似体験するシステムは、それなりに満足の出来るものだった。しかし、この体験は違った。けた外れと言っても良かった。
歌声、血の色や味はもちろん、死の臭い、覚えのない記憶や感情までが伝わってくる。まるで脳自体が体験している‥‥そんな印象であった。
さらに何よりも優れていたのは、おそらく他人の思考回路を経た所以(ゆえん)の、まったくもって予期予測できない展開と恐怖である。

多種多様の悪夢が、質の高い刺激が、自在に味わえる‥‥・まさに夢の様な商品ではあるまいか。

今度は「欠片」ではなく、「丸い塊」のままの悪夢を味わってみたい。
男は立ち上がった。そして、少年の後を追いかけて行った。

次回へ続く