悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (28)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その十三
校庭のそこかしこで蝉がまだ鳴いている。
夏休みは終わったというのに、蝉たちだけがまだ休みの続きを謳歌している気がして羨(うらや)ましかった。

小学六年生の二学期の始まりの日、夏休みの宿題と一緒に気怠さを抱えて教室に入った俺は、すでに席に着いて周りの女子と言葉を交わしている委員長の姿に、思わず目を奪われた。
委員長が、ヘアバンドをしていたのだ。
運動会でリレーの選手に選ばれた委員長の赤いはちまき姿を見たことはあったが、そんな彼女を見るのは初めてだった。光沢のある深い青色で幾らか幅広のそのヘアバンドは随分とおしゃれで、何よりも彼女によく似合っていた。
クラスのみんなが注目しているのが分かる。俺はドキドキした。そして何故だか、気後れする自分を感じた。
それは、彼女の品格をより際立たせる効果を持つ絶妙のアイテムだった。

委員長がおしゃれしようがしまいが、俺のすることに何ら変わりはない。俺はそう強く思った。必ずもう一度彼女の「あの表情」を引き出して、彼女も俺たちと同じ小学生だということをしっかりと確かめてやる。

その日の学校でのスケジュールは「帰りの学活」を済ませて、後は割り当てられたそれぞれの場所を掃除して下校するだけとなった。
掃除にかかる前に俺は、早速委員長に仕掛ける虫を仕入れようと、校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下に出た。
手入れのされた中庭に、雨除けの屋根の下を簀の子の板が数メートル敷いてある。花の時期がとうに終わったツツジ 紫陽花が建物沿いに低い垣根を造り、桜の木が三本、緑の葉を茂らせていた。ここなら上履きを履いたままで、適当な虫を見つけられそうだった。
渡り廊下から外れ下草に足を踏み入れた時、桜の木の陰に誰かいることに気がついた。
「ん?‥」

よくよく見てみると‥‥そこに立っていたのは紛れもなく、委員長であった。

 

「ねえ‥・」

委員長の呼びかけで俺は我に返った。
振り向くと委員長は、床に撒かれた画鋲を靴できれいに搔き分けながら通り抜け、画鋲が途切れたあたりの廊下の先にすでに立っていた。
掲示スペースにあった一枚を剥がして隠したことを委員長が気に留めていない様子に、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「い‥今行くよ‥‥」

委員長が作ってくれた道を辿って彼女のところまで行く。
連絡通路は終わり、次の棟の廊下が左右に、何の障害物も無くひらけていた。
「‥ねえ‥‥聞こえない?」委員長が廊下右手の前方を目を細めて見ながら、小声で言った。
俺は耳を澄ませた。「‥‥‥‥‥‥」

幽(かす)かだが‥‥‥確かに聞こえた。
誰かがいとも悲し気に‥‥すすり泣いて‥いた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (27)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その十二

‥‥悪意の巣窟‥‥‥‥俺は、委員長の言葉を反芻(はんすう)してみた。

「‥・悪意って‥‥そんな大層なものじゃないさ。少々やりすぎで腹も立つが‥所詮程度の低い子供のやる、遊びの延長線上のいたずらだ」
委員長の言葉に対して、俺はどういう訳かここに潜んでる奴らを擁護するような発言をしてしまった。
「へー‥・まるで加害者側の立場を代表するようなことを言うのね。だったら私は、その遊びの延長線上とやらの、いたずらの被害者側の立場から意見を言わせてもらうわ」委員長が真っすぐに俺を見た。

まずい。と俺は思った。こんな会話を続けてはいけない。
しかし、俺の心情をよそに委員長は淡々と語り出す。
「子供のいたずらにしたって、つまりは人をおとしめて笑いものにする、その子を見下すことで自分の優位性を確認して快感を得る‥・そんなところよね。本人に自覚はないのかも知れないけど、これって立派な悪意のひな型よ」
「ちっ違うんだ。俺が言いたいのは、子供ってもっといろんなこと考えてて‥しかもそれをどう表現していいのか分からなくて‥‥‥‥」反論しようとした俺の言葉はそこまでしか出てこなかった。

黙り込んだ俺を委員長はしばらく見つめていたが、フー‥と小さく息を吐いて廊下の天井を見上げた。
「ねえ‥‥‥学校てどんな場所だと思う?」
「‥‥‥‥どんな場所て‥‥‥そりゃあ勉強を教わるとか‥‥‥‥‥‥」
委員長の視線が天井から、ふたたび俺に戻って来た。
「私にとって小学校は、結構過酷な場所だったわ‥‥‥」
「過‥酷?」俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「いろんな子がいた‥‥金持ちの子、貧乏な子、親の無い子、愛され過ぎた子、愛されてこなかった子‥‥‥それぞれがみんなそれぞれの未熟な価値観を待ってて、今持ってる精一杯の価値観を剥き出しの刃(やいば)のままぶつけ合い、擦り合わせるの。それはきっと、社会へ出る準備として必要なことなんだけど、時々心が血まみれになってた。価値観が揺らいだり脅かされた時、人はどうするのかしらね‥‥我慢する?それとも仲間でも集めて相手を攻撃する?差別やいじめが生まれてくるのは当たり前よね‥‥‥‥」
そして表情ひとつ変えず、こう締めくくった。
「悪意なんてそこら中にあった。いつだって湧いてくる‥‥」

委員長の言葉が、廊下に響いた。その余韻が、いつまでも耳に残った。
彼女の背後に並んだ掲示スペースの罵詈雑言のひとつ、「様あ見やがれ」の文字がぼんやりと目に映る。
弁解の余地など無い‥‥‥。俺が委員長にやっていたことは‥‥やはりいじめ‥‥だったのか‥‥‥‥‥
頭の中が痺れていった。

と‥目線を下げたその先、最下段にあって今まで見落としていた文字、「ボケ」と「カス」に挟まれたとんでもない二文字、今ここにあってはいけない二文字が目に飛び込んできた。
「あっ」俺は我に返った。
委員長の横をかすめ、たくさんの画鋲が靴底に刺さるのも構わず掲示スペースに向かい、その二文字を勢いよく剥がしてクシャクシャに丸めた。
「どっ、どうしたの?」委員長が俺のただならぬ様子に気づいた。

「‥‥‥何でもない」俺は委員長に背を向けたまま、その丸めた紙をズボンのポケットにつっ込んだ。

次回へ続く