第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五
歩く道は‥‥確かに登り傾斜ではあったがどこまでも緩(ゆる)やかで、『山』を登っている感覚はなかった。
山と言うものの定義がどんなものかは知らないし、どこからが山でどこからが山でないのかも分からない。ただ『ハルサキ山』と言うのはひとつの地名であって、標高100メートル程度ならちょっとした台地や、丘とさして変わらないだろうし、ぼくらが目指している場所はそんなところの『高台』なのだろうと思った。
「先生!」突然、列の前の方で慌てた声がした。「葉子先生!セナちゃんが血ィ出してる!」
葉子先生が振り向いた。友人二人に付き添われたタカギ セナがそこにいて、先生はすぐさま走り寄った。ぼくとモリオ、ほかの子たちも、いったい何があったのか確かめようと近づいていった。今まで間延びしていた列が、自然に詰まっていった。
葉子先生は屈(かが)み込んで彼女の様子をうかがうと、彼女の片方の腕を取って静かに引き寄せた。タカギ セナの右腕の外側辺りが、確かに赤く染まっていた。
「何かに引っかけた?木の枝とか硬い葉っぱとか‥」葉子先生の質問に、わからないと言う様にセナが小さく首を振った。葉子先生は携(たずさ)えていたウエストポーチのチャックを開け、中から消毒液と除菌用ウエットティッシュを取り出すと、セナの腕についた血を手早く拭(ぬぐ)い取った。「切り傷があるけど、深くはなさそう。痛む?」先生の問いに今度もセナはただ首を振った。
「取り敢えず処置はして置くけど、ハルサキ山広場には養護の水崎先生が先乗りでもういらっしゃるはずだから、着いたらそこでちゃんと診(み)てもらいましょう」
「そうなんだ‥」少し遠くから見聞きしていたぼくは、葉子先生の言葉に反応した。「水崎先生も来てるんだ」
水崎先生は、丸顔でやさしい目をした二十代後半の養護教諭である。子供の扱いが上手く、小学男子なら誰しも憧(あこが)れを抱いてしまうタイプの女性だ。
「ああ。水崎先生なら、どうこう(同行)する予定のきょういん(教員)のところにちゃんと名前があったよ」とモリオが言った。
「なんだよ、それもプリントに書いてあったのか?」
「その通り」と大人みたいな口調でモリオ。「たぶんクルマで荷物とか運んで、先に行って待ってるんだと思う」
「そうなんだ‥‥、こんなへんてこな道をクルマで行ったんだ」
「違う、違う。ちゃんとした道路が通ってるだろ。となり町の国道から入るから、かなりの遠まわりになるけどね」
「へえ‥・そうなんだ」
「何だよ。さっきからヒカリは、そうなんだばっかりだなあ」
まったく、モリオの言う通りだった。
「さあ みんな!」葉子先生の声が響いた。「あと少し。あの林を抜けたら、いよいよ目的地の広場に到着ですよ!」
その声を合図に、滞(とどこお)っていたすべてが再開した。列が前へと‥‥、前方の林のその向こう側目指して進み始めた。
全(まった)く以(も)って「そうなんだ‥」と言う感覚で、知らぬ間に身を置いていたぼくの小学二年の遠足は、間もなくその目的地に到着しようとしていた。
涼し気な林の中の道を歩いて行くと、立ち並ぶ樹々が織り成す緑のベールの厚みが徐々に薄れていき、いかにも『広場』という様な開けた空間を前方に感じさせる断片的な景色が、枝葉を透かして見え隠れしだした。
どこかで赤い花が咲いている‥‥。ぼくはそう思った。
広場のどこか、遠く隅(すみ)っこの方かも知れない。真っ赤な花が咲いているのがチラリと見えた気がしたのだ。
何の花だろう?あの赤は‥‥。ヒガンバナは春には咲かないし‥‥、ヤマツツジの赤?‥‥いや、もっとこう‥重たい赤だった。
強(し)いて言えばさっき見た『セナの腕を染めていた』赤、とおんなじ赤‥‥‥だった。
次回へ続く