悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (120)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七

その時のぼくには‥‥水崎先生がいないと言う事より、赤い花が見つけられないでいる事の方がよほど重大である様に思われた。

ぼくは駐車場の端、組み合わせた丸太を模したコンクリート製の柵(さく)の前に立って、足元からなだらかに下(くだ)っていく斜面を見下ろした。芝生の広場全体の北側にあたる場所で、駐車場から一本、やはり下って伸びていく舗装道路以外は、しばらく人の手が入っていない様子の生い茂った草木が一面を覆(おお)っていて、そんな景観が目の届くかぎりに続いていた。やはり『赤』‥、赤い花は見当たらなかった。

「もしかして、何か探してる?」いつの間にかモリオが横に並んでいて、ぼくに問いかけてきた。
「いや‥‥。ただ、どんなところかと思って見ていただけさ」ぼくはなぜか、正直には答えなかった。
モリオが柵に両手を置いて少し身を乗り出し、眼下に目を向けた。そうしてしばらくぼくたちは、黙って一緒に風景を眺めていた。
「この辺りはたぶん‥‥フィールドアスレチックの施設が並んでいた場所だったと思うよ‥‥」
「そ‥そうなんだ‥‥‥」
もともとが自然の環境を利用した施設である。閉鎖されてから久しいとなれば、もはや見る影もないのは当然の事であろう。そう思いながら目線を北西の方向に流していった時、どことなく周囲とは違和感のある、こんもりとした緑の小山が視界に入って来た。
「ん?」ぼくは目を止めた。
「どしたの?」とモリオ。
「あ‥そこにあるこんもりしたところ‥‥‥、輪郭(りんかく)がなんか直線的に見えないか?」
「‥‥言われてみれば、そんな気もする。もしかしたら、つる草がいっぱいへばりついている建物かも知れないよ」
モリオの指摘にぼくは小さく頷(うなず)いた。そして頭の中に、ある建造物のイメージを思い浮かべていた。

「巨大‥・迷路‥‥‥」

「えっ!そうなの?」モリオが驚いてぼくを見た。「ヒカリは、巨大迷路を知ってるの? 見たことあるの?」
「‥‥‥‥‥‥」ぼくは黙って首を振った。否定したのではなく、『知っているのか 見たことがあるのか』が、分からなかったのだ。
ただ、その時気がついた事があって、ぼくはどういうわけか、『巨大迷路』を結構具体的にイメージできてしまう様だ。

「今までに見たことがあるかどうかなんて分からないけど‥‥」ぼくは正直に話した。「巨大迷路のこと、割(わり)と分かってるみたいなんだ‥‥‥‥」

モリオが、不思議そうな顔でぼくを見ていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (119)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その六

林が切れ、視界が一変した。
広大な芝生の台地が、ぼくたちの眼前に姿を現したのだ。
世間ではここを‥、この一帯を『ハルサキ山』と呼称している‥‥らしい。          

「すてき!まぶしいィ!」女子の一人が感嘆の声を上げた。言葉より先に数人の男子が、すでに駆け出していた。
お日様の光を全面に受けて輝く緑の芝生が、ぼくたちを歓迎する様に広がっていた。
「ここが目的地の、安心して自然とふれあえるところさ」
「プリントの解説はもういいったら‥」ぼくとモリオはそんな会話をしながらも気分の高揚は隠しきれず、芝生を速足で踏みしめながら歩いていた。
「みなさーん!いったん集まってくださーい!」葉子先生が声をかけた。教頭先生、風太郎先生も、遠くへ行こうとしていた子供たちを呼び戻した。「これからここで過ごす間の注意がいくつかありまーす」
みんなは逸(はや)る気持ちを抑えて、先生からの諸注意に耳を傾けた。「遠くへ行ってはいけません」「広場の周りにある森や傾斜の急な場所には立ち入らないこと」等々(などなど)一通りの事を伝えると最後に先生は、トイレと水飲み場のある場所を案内し、お弁当にするタイミングを教えた。

高台にあるこの『芝生の広場』は標高こそ然程(さほど)ではなかったが、周囲の景色を心地よく見渡せたし、広さも学校の敷地面積の倍は優にあって、小学二年生には十分過ぎるほどの開放感があった。
先生が言っていたトイレと水飲み場は広場の北東にあり、隣接するかたちで十台程が止まれる駐車場があった。離れた国道とここを結ぶ唯一の舗装道路が、駐車場の脇から下りながら北に向かって延びているのが確認できる。
モリオにつき合って早速トイレにやって来たぼくは、駐車場にポツンと一台、見覚えのある軽自動車が止まっているのに気がついた。記憶が正しければ、養教(ようきょう)の水崎先生の愛車に違いない。
「水崎先生の車だな」トイレを済ませて出て来たモリオが、ぼくの記憶にお墨付きをくれた。
「来ているのは確かみたいだけど、いないって言いながら葉子先生がと教頭先生が探してたよ‥」モリオは続けた。
「ふーん‥‥どうしたんだろうね‥‥‥」ぼくはいかにも気のない返事をしてしまっていた。それと言うのも、ぼくにはさっきから気になっている事が他にあったからだ。

ここへ来る途中の林から、一瞬チラリと見えたと思った赤い花が、広場のどこを探しても見当たらないのだ。
白、黄、紫ならすぐ目についた。シロツメクサやタンポポ、ノアザミなどの野草が芝生周辺のそこここで群れを成して花をつけている。だが、赤だけが皆目(かいもく)見つけられないでいた。
目の錯覚‥‥・と片付けてしまうには気持ちに収まりがつかない、あまりにも印象的な『赤』だった。

次回へ続く