悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (122)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その九

「お弁当にしないか?ヒカリ‥」と唐突にモリオが言った。
グウゥ‥ゥゥ さらに唐突に、モリオのお腹が鳴った。

「とにかくお弁当だ。確かめに行くか行かないか決めるのはその後だ‥それがいい」
モリオは今まで眺めていた風景に背を向け、さっさと歩き出した。
「おっ お弁当が先なのか?」ぼくは、駐車場を出て行こうとするモリオを目で追いかける。
すぐにでも確かめておきたい『赤い花』の存在の有無ではあったが、そのこだわりは飽くまでもぼくだけのものである事にその時気がついた。モリオを付き合わせる意味はないのかも知れないし、モリオにとってはいい迷惑かも知れない。当たり前の事だ。
「それも‥・そうだな‥。探検するにしても、腹ごしらえが先だな」逸(はや)る気持ちを抑え、ぼくもモリオの後に続く事にした。後ろ髪を引かれながら『こんもりした緑の小山』から目を離す。そして振り向こうとしたその時だった。
「‥ん?」
ぼくは動きを止めた。そのままの姿勢で耳を澄ませていた。
何かが聞こえたのだ。
「‥‥‥‥‥‥‥」
確かに聞こえている。風に乗ってどこからか‥・今にも消え入りそうな幽かな音色。音楽のメロディーか?‥‥‥‥‥
「どったの?」先に行っていたモリオが、フリーズしているぼくに気がついて声をかけてきた。
「音楽が‥‥聞こえるん‥だ‥」そうモリオに返した時、すでにそれは聞こえなくなっていた。

「鳥の鳴き声だったんじゃあないの?」
「いや、確かに音楽だった。なんか聞いたことのあるような‥そんな感じの‥‥‥」
広場の芝生を踏みしめながらぼくとモリオは、お弁当のために腰を落ち着ける場所を探していた。
先生から、お弁当にする時間は各自の判断にまかされていたので、あちらこちらでもう始まっていた。やはり涼し気な木陰が良いだろうと広場の西側の縁(ふち)辺りにある林の方まで歩いて行くと、何組かのグループがすでに絶好の場所に陣取っていた。
ぼくたちは二人だけなのをいい事に、女子のグループと男子のグループに挟まれた僅かな空間にさり気なく滑り込み、最初からそこにいたかの様に座り込んだ。
「さてさて‥・」
モリオは早速リュックから三色おにぎりを取り出し、残っている四種類のチョコレートの中から今どれを食べるべきか吟味し始めた。
「チョコをおかずにおにぎりを食べるのか?」ぼくはサンドイッチを用意しながら、からかい半分でモリオに質問した。
「そうさ」モリオは即答する。しかしそれはやはり彼の冗談で、チョコはちゃんと、おにぎりを平らげた後のデザートとして食された。

そんな中、ぼくたちの右隣りに陣を張る女子のグループ、おおかたがお弁当を終えてくつろいでいる彼女たちから聞こえて来た会話があった。
「えっ! 水崎先生まだ見つからないの?」
「うん そうみたい」
「先生みんな、あたふたしてるよ‥‥‥・」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (121)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八

『巨大迷路』は‥‥‥、堅固な壁に囲まれた、まるで砦(とりで)の如(ごと)き様相である。

巨大迷路は、全部が焦げ茶色のしっかりとした木材で組み立てられている。柱として立てられた角材と角材を繋(つな)ぐ様に板の横木を数枚打ちつけていき、それを連ねて高さ2メートルはある全ての壁(迷路の仕切り)が出来上がっている。
迷路が張り巡らされている敷地全体の大きさは、およそ25メートル✕35メートル。その中央には、やはり木材で組み上げられた高さが5メートルはあろう屋根付きの櫓(やぐら)がそびえ立っていて、まるで周りからの攻撃に備えるための見張り台であるかの様だ。この櫓、実は迷路に迷ってしまった人が登って迷路全体を見下ろし、出口を見定めて出口までの大体の道筋(どこをどう進めば出口に辿り着けるか)を確認するための展望台なのだ。もちろん迷路の外の風景を楽しみながら休憩する事もできる‥‥‥‥‥‥

ぼくは、なぜだか頭の中にある『巨大迷路』の知識もしくは記憶?をもとに、モリオに解説した。
「あそこにある、こんもりとした小山に見えるところ‥‥。シルエットが巨大迷路の形や大きさとほぼ同じ気がする。真ん中の突き出た部分はおそらく展望櫓(てんぼうやぐら)だと‥思う」
モリオは不思議そうな表情を浮かべたまま、ぼくの言葉に耳を傾けていた。

「そ‥・そうだな。ヒカリの言う通りかも知れない」しばらくの間、こんもりした緑の小山に目を向けていたモリオが言った。「閉鎖されてからもうずいぶんと経つのに、取り壊されずに残っていたとしたらビックリだ!」
「確かめて‥‥みたくならない?」ぼくは、さり気なく言ってみた。
「えっ あそこまで行くってこと?!」モリオが驚きの声を上げた。だが、そんなに驚くほどの距離でもない。大体300メートルくらいだろう。

実はぼくには、風景を眺めていてちょっと閃(ひらめ)いた事があった。『本当にあれが巨大迷路なのか?』と言う問題ももちろんだが、もう一つどうしても確かめておきたい事が生まれてしまっていた。『確かに見たはずなのに見つけられないでいる赤い花』の謎を説明できる信憑性のある推論が頭の中に出来上がっていて、すぐにでもそれを実証してみたかったのだ。
芝生広場に到着する直前、林の中からチラリと見えた赤い花。てっきり芝生広場のどこか一部の風景が垣間見えたのだと思い込んでいたのだが、林の道のその場所からの距離と方角をよくよく考えてみると、もしかしたら芝生広場を越えた向こう側、少し下(くだ)って低い場所にあった『こんもりした緑の小山』の一番高い部分(おそらく『展望櫓』の一番上の部分?)が突き出て見えていたのではあるまいか?しかも方向として、あの時見えたのは今見えているこちら側ではなく、ここからでは丁度見る事ができない反対側の部分だったのかも知れない‥・と‥。
つまり林の中からぼくが垣間見た『赤い花』は、あの『こんもりした小山のてっぺんの丁度裏側辺りに咲いている可能性がある』という考えに思い至ったのだ。

次回へ続く