悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (124)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十一

「君たちが言っているのは‥‥昆虫の擬態の事かい?」
僅かの間逡巡(しゅんじゅん)する様子を見せていた風太郎先生だったが、女子たちに向き直りそう聞き返した。

「ギタ・イ?」「ギタイって言うんですか?そんなのを」
「実際に観ていないから確かな事は分からないけど、そんな風に聞こえるね‥」
そう前置きした彼は、『擬態』について早速説明を始めた。「昆虫に限った事ではないんだけど、何かの都合や目的があって、別のものに姿を似せたり成りすましたりする状態をそう呼んでいる」
はたして理解しているかどうかは不明だが、女子の何人かが曖昧に頷いて見せた。
風太郎先生は続ける。「バッタではないけれど‥・例えばカマキリにはその姿がまるで木の葉や花に見える仲間がいてね、勘違いして近寄ってくる他の虫たちを待ち伏せして捕食する。つまり彼らは効率良く虫を捕まえて食べるために、自分の外見を葉っぱや花そっくりに似せているわけなんだ」
「へーえ、すごい。頭いい」
「また虫たちにとっては、鳥や他の動物に食べられないよう身を守るための工夫でもあってね、色や形を周囲にとけ込ませる事で見つけられにくくするカモフラージュの意味もある」
「ふーん」「そうなんだ‥」
すぐ傍らで彼らのそんなやり取りを全部聞いていたぼくとモリオは、「まるで理科の授業中みたいだなぁ」と顔を見合わせた。

「だったら先生、人の手に見えたバッタはどんな意味の擬態だったの?」
「‥それなんだけど、やっぱり実際にそいつを観てみない事には何とも言いようがないなあ‥‥‥」

「バッタじゃなくてさ、最初っから本当の人の手だったんじゃあないの? 手以外は草の中に隠れてたんだよ、きっと‥」モリオが、彼女たちや先生には聞こえない様に声を落として言った。
「そうだよな。それが一番真面(まとも)な考え方だよ」ぼくも声を落としてモリオに賛同した。                        
しかし賛同した次の瞬間、丈(たけ)高く茂っている草むらの中に静かに身を潜め、刃物を握った手だけをそこからスッと出して構えながらこちらの様子を覗(うかが)っている黒い人影のイメージが頭の中に浮かんできて、急に背筋が寒くなった‥‥‥。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (123)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十

「ねえセナちゃん、傷の方は大丈夫?」
聞こえてきたその問いかけに、ぼくもモリオも見るとは無しにそちらを窺(うかが)ってしまっていた。どうやらぼくたちの隣にいる女子のグループの中に、来る途中で腕に傷を負って血を流していた高木セナがいたみたいだ。

高木セナはコクリと頷(うなず)いて、『平気』の意思表示をした。
広場に到着したら、養護教諭である水崎先生に診てもらうはずだったが、彼女が姿を見せないでいるため、友達が心配していたのだ。傷は大したことなかったのだろう、担任の葉子先生の応急処置で十分だったようだ。
「でもね、セナちゃんが言ってるこの傷ができた理由が変なのよ」と‥いつも高木セナと一緒にいて、大人しくてあまり喋りたがらない彼女の世話を焼いている草口ミワが口を開いた。
「背の高い草がいっぱい茂ってた場所の横を歩いてたら、大きなバッタがいたんですって。そしたらそのバッタがいきなり羽を広げて飛び出してきて、セナちゃんの腕をスーッとかすめていったかと思ったら、たったそれだけで皮膚が切れて血が流れ出ていたそうよ‥・」
「何それ!だったらバッタに腕を切られたってこと?」聞いていた女子の一人が驚いて言った。
「それがね!それがね!セナちゃんにはその時飛び出したバッタが一瞬、人の手に見えて!広げた羽が一瞬、手に握られた鋭い刃物に見えたんですって!」
「何それ!気味悪い!」「セナちゃん!本当?」「ホントなの?」みんなが興奮して口々に叫んだ。
ぼくもモリオも、聞こえて来た会話の思わぬ展開に、思わずそちらに目を向けてしまっていた。
みんなの視線が高木セナに集まっていた。
高木セナは怯えた様に少し震えながら、小さく、ゆっくりと頷いた。

その時である。女子のグループとはぼくたちを挟んで反対側に陣取っている男子のグループから喚声が上がった。ぼくとモリオは首を忙しく動かし、今度はそちらに目を向けた。
「よお、みんな。ちゃんとお弁当は済ませたか?」そう言いながら登場したのは副担任の風太郎先生だった。
「先生!」「風太郎先生」「先生は食べたの?」二言三言(ふたことみこと)軽い言葉が飛び交って、場が大いに盛り上がった。やはり風太郎先生は、男子には根強い人気があった。
「ところでみんな‥‥、どっかで水崎先生見かけてないよな?」
男子みんなはそろって首を振った。やはりそうなのかとぼくは思った。風太郎先生はさり気なく生徒たちの様子を覗(のぞ)きに来た体(てい)で、本当は水崎先生を捜している。彼女はまだ見つかっていないのだ。
風太郎先生はぼくとモリオにも声をかけ、通り過ぎて、あまり普段から支持を得られていない女子グループの前まで行って、彼女達にも話しかけようとした。ところが、先に話しかけてきたのは女子達だった。
「風太郎先生、虫に詳しいよね‥」「人の手に見えるバッタって‥いる?」

風太郎先生は面食らった表情で「はあ??」と言った。

次回へ続く