悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (128)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十五

駐車場の北側から一望できる、今は見る影もないフィールドアスレチック施設の広大な跡地。その放置されたまま荒れるに任せ無造作に生い茂っている草木の中に、ともすれば掻き消えてしまいそうな微かな音ではあったが、奏(かな)でられている旋律が、葉子先生の携帯電話の呼び出しに応えているものであるのは疑いようのない事実であった。
「シューベルトの野ばら‥‥」葉子先生が呟く。「確かに水崎先生の携帯の着メロだわ。何度も聞いたことあるもの‥‥・」
念には念を入れる様に、葉子先生は携帯のボタンを押して発信を止めた。案の定(あんのじょう)、流れていた『野ばら』はピタリと止み、辺りに静寂が訪れた。
そしてしばらく、二人の先生もツジウラ ソノもぼくも、互いの様子を覗うみたいに黙り込んでいた。おそらくそれは、聞こえて来た着メロが『水崎先生の携帯電話の存在』を示しているのは確かだが、必ずしも『水崎先生自体の居所』を教えているものではない事に皆が気づいてしまったからだろう。

「水崎先生はこの茂みのどこかに‥‥、携帯を落としてしまったのかも知れない‥」口を開いたのは教頭先生だった。しかしその発言が酷(ひど)く非現実的なものだと思ったのか、教頭は首をひねりながらこう続けた。「でも‥彼女がこんな草や木の伸び放題の場所にわざわざ入って行った理由が分からない‥‥」
みんなが揃って、目の前に広がるまるでちょっとしたジャングルのような茂みを改めて見下ろした。

何かあった‥‥‥‥。
水崎先生に何かがあった。そう判断するのが妥当かも知れない。しかし、そんな不吉な考えを誰もが、とりわけ教頭先生と葉子先生は認めたくなかったのだろう。ふたたびの沈黙が訪れた。

「おーい、ヒカリ」
その時、ぼくを呼ぶ声がした。見ると、モリオが駐車場に姿を現してこちらに向かって歩いて来ていた。まだ少し寝ぼけまなこで、手にはお弁当を食べた場所に置いて来たぼくのリュックが下げられている。どうやらそれをぼくに届けようと、探しながらここまで来たらしかった。
「モリオ!ちょうどいい所へ来た!」ぼくは彼の呼びかけにそう答えると、すぐに先生たちに向き直り、「携帯電話が落ちているんなら、とにかくそれを探してみましょうよ。もしかしたら水崎先生の居所の手掛かりが何かつかめるかも知れない。今来たモリオくんにも手伝ってもらいますから」と言った。
「賛成。私も手伝います」傍にいたツジウラ ソノが手を上げて賛同した。
「ちよッ、ちょっと待って あなたたち!こんな草木に覆われている広い場所から、小さな物を探し出すのは大変よ」葉子先生が反対した。教頭先生も、「そうだ。もしケガをしたり、迷子にでもなったらどうする」と反対した。
それを聞いてぼくは、首を横に振った。
「携帯電話の着信音は微かだけど、ちゃんと聞こえています。決してそんなに遠い場所にあるわけではないと思います。葉子先生が呼び出しを続けていてくれれば、身軽なぼくたちがその音を辿って行って、すぐにでも見つけ出してみせますよ」
ぼくは自信ありげにそう答えていた。実際は‥何の根拠も有りはしなかったのに‥‥‥‥‥

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (127)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十四

「聞こえてくるこのメロディーの正体‥分かった気がする!」
ぼくは、ツジウラ ソノにそう言い置いて駆け出していた。

駐車場を飛び出し、芝生の上のここまで来た道筋を逆さに辿るみたいに走って行った。辺りを見回しながら、葉子先生の姿を探し求めた。
芝生広場の東側まで来ると、丁度その辺りがハルサキ山全体の最頂部に当たり、周囲がすっかり見渡せた。くるりと視線を回転させていくと、南東に少し下った窪地の様な場所にひとりポツンと立つ葉子先生を発見した。
「ああっ、やっぱり!」
見つけた。そして、考えていた通りだった。彼女はこちらに横顔を向け、左手に持った携帯電話を耳に当てて僅かに顎を上げ、焦点の合っていない目で中空(ちゅうくう)を見つめていた。
「葉子先生ーっ!」ぼくは呼びかけながら、小走りで彼女の方へ近づいて行く。
葉子先生は驚いた顔でこちらを向き、携帯電話を耳から外した。
「葉子先生っ‥今!水崎先生に電話をかけてましたよね!」
虚を突かれた戸惑(とまど)いの表情のまま、彼女は小さく頷(うなず)いた。

今起きている事の辻褄(つじつま)を、すぐにでも確かめたかった。
一方的に自分の考えを葉子先生に話して聞かせ、相手がそれを理解できたかどうかなどお構いなしにほとんど勢いだけで、彼女を駐車場まで連れ出す事に成功した。

駐車場にはツジウラ ソノがちゃんと残っていて、丸太に模したコンクリート製の柵に両手を置いた姿勢で、そこを境に北側に向かって傾斜しながら果てしなく広がっている草木の茂みを静かに見下ろしていた。
ぼくは葉子先生をその柵の前まで案内した。そして、「もう一度、水崎先生に電話をー」と彼女を促そうとした時、怪訝(けげん)な顔をした教頭先生が駐車場に姿を現してこちらに向かって歩いた来た。おそらくぼくと葉子先生が連れ立って急ぎ足で歩いて行くのを見かけ、後をつけて来たのだろう。
「どうか‥されたのですか?先生」教頭先生が葉子先生に問いかけた。
「ああ、教頭先生。実はこの子が、水崎先生の居所がわかるかも知れないと言うもので‥‥」
それを聞いた教頭先生の顔の怪訝さがさらに五割ほどアップし、葉子先生の傍にいるぼくを睨みつけた。
「どういう事か説明しなさい」
教頭先生のその言葉には、『端(はな)から子供など信用するものではない』と言うニュアンスが感じられた。ぼくは、ここで説明してもどうせ信じてもらえないだろうと直感し、論より証拠、歴(れっき)とした事実を目の前に提示するのが一番の近道だと考えてこう言った。
「とにかく葉子先生、ここで水崎先生に電話をかけてみてください。そうしたら、ぼくが何を言おうとしていたか分かると思います」
葉子先生は教頭先生と一瞬顔を見合わせたが、ぼくの言葉が真剣であると判断したのか、携帯電話のボタンに、おそらくリダイヤルのボタンに、指をかけた。

数秒の‥‥タイムラグがあった‥‥‥‥‥
そして次の瞬間、ぼくの考えが間違ってなかった事を証明してくれるメロディー『野ばら』の電子音が、広大な茂みのどこかから流れ出して来た。
ぼくはホッと胸を撫で下ろした。葉子先生と教頭先生はビクリと反応し顔を上げた。聞こえて来た『野ばら』が、水崎先生の携帯電話の着メロである事を二人は悟った。

次回へ続く