第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十七
着信音が流れた。それはまるで擦れ合う草木の葉が奏でた、束の間のメロディーの様だった。
童(わらべ)はみたり‥ 野なかの薔薇(ばら)‥‥
ゲーテの詩、日本語訳詞のあの心弾む『野ばら』の歌い出しの部分‥‥‥
駐車場で聞いていた時よりも、音は遥かにはっきりしていた。
近いのだ。音の源(みなもと)は確かに近くにある。
ぼくは左手前方に顔を向けていた。フィールドアスレチック施設跡地を突っ切る様に北へと伸びた舗装道路、その両側に漠(ばく)として広がる草木の茂み。聞こえてくるのは明らかに左側のエリアからだ。ぼくは草葉が乱雑に入り組んだ視界の中を、なんとか十メートル先辺りまで、目線を這(は)わせていった。モリオも、ツジウラ ソノも、そして路上の少し離れた場所にいる教頭先生も、やはりそちらに顔を向けている。
「あっちだ‥」モリオが指差した。ツジウラ ソノが頷いた。
「そうだな‥」ぼくも頷いた。
「行こう」ぼくは二人に、携帯電話探索の開始を告げた。
舗装道路のわきには数メートル置きに反射板のはめ込まれた80センチ程の白いポールが立っていて、それが道路と道路以外との境界を明らかにしている。ぼくたちはポールを横目に、茂みの中へ足を踏み入れていった。
ガサガサガササ‥ザザササパシ‥パチン!
足に絡む草を踏みつけ、丈の高いものは手で掻き分けながら前進した。思ったよりも大きな音がして、そのせいで肝心の着信音が途切れ途切れになって、ちゃんと聞き取れなくなった。
「おい、もっと静かに進んでみようぜ。さもなきゃ着信音が聞こえないよ」立ち止まってそうみんなに声を掛けた。そして三人とも動きを止めた時、本当に着信音が途切れている事に気がついた。
道路から声がした。「君たち!携帯の呼び出し回数が決まっていて、留守番電話に接続されてしまうらしい。今、先生が掛け直してくれているから。何回も掛け直して、できるだけ途切れさせない様にしてもらうから」と教頭先生が、葉子先生の状況を中継してくれた。
やがて再びの着信音が流れ始めた。
早速ぼくとモリオが動き出そうとした時、後ろにいたツジウラ ソノが声を掛けてきた。
「ゆっくり‥‥ゆっくり‥‥進みましょう。できるだけ草の音を立てずに‥進んでみましょう」
ぼくは、ツジウラ ソノが意見を述べた事に少し驚いて振り向いた。彼女は続ける。
「今はただ、音を聞いて、ただ、音に集中して、音がどっちから聞こえて来るか、どっちへ行けば大きくなっていくか、それだけを考えてゆっくり、ゆっくり、着実に、音に向かって近づいて行くの。音が一番近く聞こえる場所にそれは必ずあるのだから‥‥」
「わ‥わかった」とモリオが言った。
まったくもって彼女の言う通りだと、ぼくも頷いた。
ぼくは、ツジウラ ソノが『物事の本質を見抜く力を持っている』と思ったのと同時に、人に対してこう言う感覚の印象を持つ事を、自分が今まで度々(たびたび)体験してきているのを思い出していた。
それは、幼い娘との思い出‥‥‥‥、突然目の前から消えてしまった『ソラ』との‥何気ない日常のやり取り‥だった。
ツジウラ ソノは、ソラに似ている‥‥‥‥‥
改めてそう思った。
次回へ続く