悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (165)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五十

ぼくは、背中のリュックを下ろした。風太郎先生から借りた双眼鏡を、取り敢えずその中に仕舞っておこうと考えたのだ。
芝生の上にリュックを置き、膝をついた。ファスナーに手を掛け、開けようとした時だ。きっと風太郎先生のデイパックの中味を調べたせいだろうと思うが、奇妙な考えがふと‥頭を過(よぎ)った。
今更ながらだが、ぼくは自分自身のリュックに、何を詰めて『この遠足』に臨んだのだろう‥‥‥‥。

あるはずの‥‥、あって当然の‥‥、記憶を辿(たど)る。
お弁当はサンドイッチだった。それは間違いなかった。『遠足に来ているのだ』と気がついて、最初にモリオにお弁当は何かと問われた時、すぐに答えた。そしてこの芝生広場に着いて、モリオと並んで広げてそれを食べた。だったら‥‥、おやつのお菓子はいったい何を持って来た?
グレープ味のグミ?だったか‥ スティック型のポテト? ウエハースのチョコレート?‥‥‥‥
リュックの中を検(あらた)めると、確かにそれらは入っていた。しかし、今思いついたから『あった』といった感じがする‥‥‥‥
「‥‥でも、いつも遠足に持って行ってた好物だから、入ってて当然か‥」
ぼくは余計なことを考えるのはやめにして、ソフトケースに入っている双眼鏡を、お菓子の袋をよけながら丁寧に底の方に入れた。

「ん?‥‥」
双眼鏡を離し、リュックから出そうとした手が、何か硬いものに触れた。
ファスナーを全開にして覗き込むと、リュックには内ポケットがあって、そこに硬い板みたいなものが入っているのが分かった。「なん‥だ?‥‥‥」ぼくはそれを、慎重に、取り出してみた。
「‥‥スマ‥ホか‥」出て来たのは、大人のぼくがいつも持ち歩いているスマートフォンだった。最新機種ではないにしろ、十分な機能を備えていて使い勝手が良く、気に入っていた。
しかし、これはぼくが小学校の頃には存在しない代物(しろもの)で、葉子先生や他の先生方が持っていた、所謂(いわゆる)『ガラパゴス携帯』と呼ばれたフィーチャーフォンが当時の主流だった。
ぼくはその時、ただ単純に、『どうやら間違って持ってきてしまったみたいだ‥』と思っただけだった。

ぼくが芝生広場を歩いてみようと思い立ったのは一つに、どこかに落ちているはずの葉子先生の携帯電話、或(あるい)は風太郎先生の携帯電話が遺体の近辺から見つけられるかも知れないと考えたからだ。
もし見つかれば、本当に草口ミワが警察と救急に通報したのかを履歴から確かめられるだろうし、通報していないのてあれば改めてやり直せる。
ぼくは自分のスマホを見つめていた。「これって‥‥ 今普通に使えるだろうか?」

取りあえず、操作してみた。適当にフリック、タップを繰り返していると、タッチパネルになぜか『セナ』の二文字が表示された。セナはもちろん高木セナのことで、彼女の携帯番号が登録されていたのだ。
そう言えば高木セナは、無事だろうか? ちゃんと『ヒトデナシ』から逃げ果(おお)せただろうか‥‥‥‥‥

ぼくは、ほとんど無意識の内に勝手に指が動いて‥‥‥ セナの番号をタップしていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (164)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その四十九

虫除けスプレーを手に取って眺めていたぼくは、風太郎先生の他の持ち物にも興味が湧いてきた。
確か近くに、彼のデイパックが落ちていたはずだ‥‥‥‥。

それはすぐに見つけることができた。アウトドア用品メーカーのロゴが入った、よく使い込まれたデイパックだ。想像するに、風太郎先生と幾多の野山を共に駆け回った『相棒』なのだろう。
亡くなった先生には失礼だが、ぼくは早速その中身を拝見することににした。

中には、採取した虫がぎっしりひしめいていると思いきや、そうではなかった。スポーツドリンクとミント味の清涼菓子タブレット、ウエットティッシュに、軍手とゴムの二種類の手袋、傷の消毒液と絆創膏にサポーターなどなど、『野外活動の七つ道具』とでも言うものが雑然と入っていた。
虫はどうやら別のケースに入れられていた様で、思い出すに、採取してきた虫を比べっこしようとタスクに声を掛けた時、集まって来た生徒たちの気を引く目的もあって、惜しげも無くそのコレクションを芝生の上に広げていたではないか。教頭先生が『ヒトデナシ』に襲われたのはちょうどその時で、おそらく虫のコレクションは、今もその場所に置き去りになったままなのだろう。
「別段(べつだん)‥‥コレクションを見たかったわけじゃないし‥‥‥」そんな独り言を漏らしながら、ぼくはさらにデイパックの中をかき回した。もしかしたら、風太郎先生自身の携帯電話が入っているかも知れないと思った。さっき先生の身体を運んだ際、ズボンのポケットなどを確認したが、発見できなかったからだ。すると底の方で、硬いものの手ごたえが二つほどあった。ぼくはそれらを一つ一つ、ゆっくりと取り出してみた。
小さな本‥と、少し重みのある黒いソフトケースが出て来た。

「‥へぇ‥‥」とぼくは意外に思った。本はポケットサイズの野鳥の図巻で、ページの角のいたるところが折り曲げられていた。開くとメモの様な書き込みもしてある。ソフトケースの中味は、取り回しのよさそうな小型の双眼鏡だった。「風太郎先生は昆虫採集だけじゃなくて‥‥、バードウォッチング(野鳥観察)の趣味もあったのか‥‥‥」ぼくは双眼鏡を適当な場所に向けて覗いてみた。
「‥‥‥‥‥‥‥」ある考えが、頭の中に閃(ひらめ)いた。「‥こいつは使えそうだ。お借りしよう」

携帯電話は結局、発見できなかった。ぼくはデイパックを閉じ、それを運んで、レジャーシートを掛けた風太郎先生の遺体の脇に丁寧に置いた。ふたたび静かに手を合わせて、双眼鏡をお借りしますと呟いた。
双眼鏡は‥‥‥  駐車場まで行ってそこから‥‥ 『巨大迷路の廃墟』に近づくことなく、その外壁(そとかべ)の今の様子を窺(うかが)うのに使わせてもらおうと思った。

次回へ続く