悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (130)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十七

着信音が流れた。それはまるで擦れ合う草木の葉が奏でた、束の間のメロディーの様だった。

童(わらべ)はみたり‥ 野なかの薔薇(ばら)‥‥
ゲーテの詩、日本語訳詞のあの心弾む『野ばら』の歌い出しの部分‥‥‥

駐車場で聞いていた時よりも、音は遥かにはっきりしていた。
近いのだ。音の源(みなもと)は確かに近くにある。
ぼくは左手前方に顔を向けていた。フィールドアスレチック施設跡地を突っ切る様に北へと伸びた舗装道路、その両側に漠(ばく)として広がる草木の茂み。聞こえてくるのは明らかに左側のエリアからだ。ぼくは草葉が乱雑に入り組んだ視界の中を、なんとか十メートル先辺りまで、目線を這(は)わせていった。モリオも、ツジウラ ソノも、そして路上の少し離れた場所にいる教頭先生も、やはりそちらに顔を向けている。
「あっちだ‥」モリオが指差した。ツジウラ ソノが頷いた。
「そうだな‥」ぼくも頷いた。
「行こう」ぼくは二人に、携帯電話探索の開始を告げた。

舗装道路のわきには数メートル置きに反射板のはめ込まれた80センチ程の白いポールが立っていて、それが道路と道路以外との境界を明らかにしている。ぼくたちはポールを横目に、茂みの中へ足を踏み入れていった。
ガサガサガササ‥ザザササパシ‥パチン!
足に絡む草を踏みつけ、丈の高いものは手で掻き分けながら前進した。思ったよりも大きな音がして、そのせいで肝心の着信音が途切れ途切れになって、ちゃんと聞き取れなくなった。
「おい、もっと静かに進んでみようぜ。さもなきゃ着信音が聞こえないよ」立ち止まってそうみんなに声を掛けた。そして三人とも動きを止めた時、本当に着信音が途切れている事に気がついた。
道路から声がした。「君たち!携帯の呼び出し回数が決まっていて、留守番電話に接続されてしまうらしい。今、先生が掛け直してくれているから。何回も掛け直して、できるだけ途切れさせない様にしてもらうから」と教頭先生が、葉子先生の状況を中継してくれた。
やがて再びの着信音が流れ始めた。
早速ぼくとモリオが動き出そうとした時、後ろにいたツジウラ ソノが声を掛けてきた。
「ゆっくり‥‥ゆっくり‥‥進みましょう。できるだけ草の音を立てずに‥進んでみましょう」
ぼくは、ツジウラ ソノが意見を述べた事に少し驚いて振り向いた。彼女は続ける。
「今はただ、音を聞いて、ただ、音に集中して、音がどっちから聞こえて来るか、どっちへ行けば大きくなっていくか、それだけを考えてゆっくり、ゆっくり、着実に、音に向かって近づいて行くの。音が一番近く聞こえる場所にそれは必ずあるのだから‥‥」
「わ‥わかった」とモリオが言った。
まったくもって彼女の言う通りだと、ぼくも頷いた。

ぼくは、ツジウラ ソノが『物事の本質を見抜く力を持っている』と思ったのと同時に、人に対してこう言う感覚の印象を持つ事を、自分が今まで度々(たびたび)体験してきているのを思い出していた。
それは、幼い娘との思い出‥‥‥‥、突然目の前から消えてしまった『ソラ』との‥何気ない日常のやり取り‥だった。

ツジウラ ソノは、ソラに似ている‥‥‥‥‥
改めてそう思った。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (129)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十六

「人を無理やり巻き込んでおいて‥‥おまえ一体何を企んでる?」とモリオが、ぼくの耳元に口を寄せて小声で言った。

ぼくとモリオと‥ツジウラ ソノの三人は、舗装道路の上にいた。芝生広場の北側に位置する駐車場からフィールドアスレチック施設の跡地を貫く様にさらに北へと伸びて、数キロ先の国道につながっている片側一車線の道路である。教頭先生が安全を確認しながら駐車場を出て先頭を行き、それに従う形でぼくたち三人は、路上を10メートル程下ったところに来ていたのだ。

「企んでるって何の事だい?」ぼくも、教頭先生やツジウラ ソノに聞こえない様に小声で返した。
「だっておまえの目的は、巨大迷路の廃墟かも知れないあの‥こんもりした場所の探検だっただろう?」やはりここからでも遥か左手前方に確認できる『こんもりした緑の小山』をぼくに目配(めくば)せして示しながら、モリオが言った。
「違う、違う。ぼくはただ、水崎先生がどこに行ったのか早く分かればいいなと考えているだけだよ。モリオも水崎先生のファンの一人として、そう思うだろ?」
「‥ふん‥‥もういい」モリオはそう言って呆れ顔をぼくから背け、右手に立てて持っている『虫取り網』の竿(さお)の先の白いネット部分を見上げた。
実はこの虫取り網‥、タスクから無理やり借りたものである。

ぼくが、水崎先生の携帯電話探しを志願した時、葉子先生も教頭先生も危険だからと反対した。
こんな場面で大人を説得するコツをどう言うわけかぼくは心得ていて、『安心の担保』となるものを一つでも提示できれば、それに感心した彼らを、後はなし崩しに説得できると考えた。
ちょうどその時、駐車場近くの芝生の上を、虫取り網を両手に握り締め駆けて行くタスクの姿が目に入った。蝶を捕まえようと彼が振り回している虫捕り網の白いネットが、まるで人魂(ひとだま)が舞うみたいに揺れる。
「そっ、そうだ!」ぼくに、ある閃(ひらめ)きがあった。慌ててタスクを追いかけ、呼び止めた。
交渉の末、渋るタスクから虫取り網を借り受け、すぐに先生たちの前へ戻った。

「携帯電話を探している間、これをぼくたちの目印にしていようと思います」そう言ってぼくは葉子先生と教頭先生の前で、立てた虫取り網を高く掲げた。これから入ろうとしている茂みには高い木も生えてはいたが、ポツンポツンと一本一本が離れていて少なく、大部分を占める草むらでならこの高さがあれば十分目印になる。「これをこうして立てていれば、ぼくたちが今どこにいてどこを探しているのか、遠くからでも一目瞭然です」
葉子先生と教頭先生は案の定(あんのじょう)感心した様に掲げられた虫取り網を眺め、その後少し困った顔をしてお互いを見合った。

というわけで、水崎先生の携帯電話捜索の許可が出た。
葉子先生は駐車場に残って、水崎先生の携帯電話を鳴らすために電話を掛け続ける。ぼくたちは教頭先生の先導の下(もと)、舗装道路を縦(たて)に行き、着信音が聞こえる辺りの茂みにはそこから横に入って探す。見つからなければまた道路に引き返して、また違う場所から横に入る。見つかるまでそれを繰り返すと言う手筈(てはず)になった。

「取りあえず、この辺にいようか‥」舗装道路の上、前を歩いていた教頭先生が振り向いて、ぼくら三人の進行を止めた。そしてここからだと見上げる位置にある駐車場にいて、ずっとこちらの様子を窺っていた葉子先生に向かって手を振った。
「葉子先生、お願いします。電話を掛けてみてください」
ぼくとモリオ、そしてツジウラ ソノの三人は身構えた。すべての音を聞き逃すまいと、茂みに向かって耳を澄ませた。

次回へ続く