悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (134)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十一

ぼくの自意識過剰から来る勘違いではない。芝生広場には、タスクを誘って『虫のコレクション』を披露している風太郎先生を中心に、人だかりができていた。それを遠巻きに眺める(たぶん虫嫌いの)グループがあって、問題の視線はその人垣に巧みに隠れる様にしながら、真っすぐぼくに向けられていた。
誰が、何の興味でぼくを観察し続けているのか立ち止まって確かめてみたいとは思ったが、時間がもったいなかった。今も駐車場で水崎先生の携帯電話から何らかの手がかりを得ようと躍起(やっき)になっている教頭先生と葉子先生が、すぐにも遠足中止の判断を下さないとも限らない。だからぼくも迅速に行動して目的を果たし、さらには迅速に帰ってきたい。
とにもかくにも、まずは先生たちに感づかれずに駐車場を出るのが先決だ。まごまごしていて彼らに見つかりでもしたら、どこへ行くのかと詰問されて止められるのが落ちだ。ぼくはさり気なさを装いながら、急いだ。駐車場を出て舗装道路に入ってしまえば下り坂になっていて、先生たちの視野から徐々に外れていくはずだ。取りあえずそこまではできる限り目立たない様に、ぼくを見ている『誰か』の存在はどこかに置いといて、急ぐのだ。

「‥よし!」駐車場を後にして十メートル足らず坂を下った道路上で、いきなりギヤチェンジしたみたいにぼくは走り出した。やはり僅かでも、時間を無駄にしたくない。
このまま真っすぐ『こんもりした緑の小山』を目指すのではなく、その前に確かめておきたい事があった。
血である。水崎先生が指二本を切り落とされたと言う推理が正しければ、犯行現場では少なからず血が流れ出たはずだ。携帯電話を捜していた時は、着信音‥つまり音を聞く行為に集中していて、血が飛び散った痕跡などの色の変化には無頓着(むとんちゃく)だった。だからもう一度、水崎先生の携帯電話を発見した場所(つまり二本の指を発見した場所)まで戻って、辺りを隈(くま)なく調べてみたかった。
舗装道路から外れて、左側の茂みに入った。モリオやツジウラ ソノと一緒に三人で入って行った同じ箇所だ。草が折れたり倒れたりして、三次元的な道ができている。その道を辿って、あっと言う間に目的の場所に到着した。

ぼくは、ヘビイチゴの草むらの前に屈み込んだ。そして葉と葉の中に手を突っ込んで、まだ記憶にある辺りを静かに掻き分けてみた。
「‥‥あった‥」確かに指が二本、ヘビイチゴの葉と茎の陰にちゃんと転がっていた。
ぼくはそのうちの一本を摘まむと、目の前まで持っていき、至近距離でつぶさに観察してみた。三人でいた時にはできなかった動作だ。
断面に注目する。よく切れる刃物で瞬間的に切断されたのか、きれいである。肉は紫色に変色していて骨らしきものを包み込み、おそらく血液であろう、くすみかけた赤から黒へのグラデーション状の色彩のものが汚く付着していた。
「そうか‥‥。流れ出た血は乾燥したり固まったりするから、時間が経てば経つほど、どんどん変色してしまうんだ」
ぼくは認識を改めた。血の流れた痕跡を見つけるには、鮮やかな赤を捜していてはダメだ。たぶんくすんだ、黒っぽい色を念頭に置いて捜すべきだと。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
ぼくは精一杯目を凝らし、ヘビイチゴの草むらから全方向の周囲に向けてゆっくりと視線を這わせていった。
「ん??」そして数分後、葉がまばらになった辺りの地面に飛び散った状態で染み込んだ、どす黒いシミを発見した。

パキッッ‥
その時ぼくの背後で、落ちた小枝を踏む微かな音がした。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (133)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十

ぼくが水崎先生の携帯電話を探すことを自ら買って出たのは、「おまえ一体何を企んでる?」とモリオが問い質してきた様な下心が別段あったわけではない。強いて言えばそれは‥・『久しぶりの遠足』の中で芽生えた単なる子供じみた好奇心‥‥だったのだろうと思う。
ぼくは、『予期せず唐突に与えられたこの非日常』の中に身を置くことで、日頃の自分が解放されていくのを感じていたのだ。

「もしかして‥‥ヒカリくんは、水崎先生がどうしたか心当たりがある?」
駐車場と芝生広場の境に並べてある敷石の上に、モリオとぼくとツジウラ ソノの三人は揃って腰を下ろしていた。そして、ぼくの右隣に座っているツジウラ ソノが神妙な面持ちで問いかけてきた。
「えっ?心当たり?‥‥そんなのあるわけないよ」ぼくは彼女に話しかけられたことに少し動揺して、ぶっきらぼうに答えた。「ただ、このままじゃあマズイなって思って。このまま水崎先生が見つからなかったら遠足が中止になってしまうかも知れないから、なんとか探せないかずっと考えてたんだ」
「水崎先生が見つからないと、何で遠足が中止になってしまうんだ?」今度はぼくの左隣でチョコレートを食べていたモリオが、口をモグモグさせながら質問してきた。
「実は‥さっき聞こえちゃったんだ」ぼくはそう言いながら前方に目をやった。ぼくたちの前方には水崎先生の車が止まっていて、その車の向こう側には教頭先生と葉子先生が隠れる様にして立っていた。「教頭先生は、そろそろ水崎先生が行方不明かどうかの判断をして、連絡しなきゃいけないって話してた」
「連絡するって、警察にか?」
「ああ、たぶんな。でもそれより先に学校や校長先生だな。それと、ぼくたちを迎えに来てくれるバスの予定時間を変更して早めるみたいな話もしてた」
「つまり、私たちみんな、もう帰ることになるわけね‥‥‥」

「まだここで、やりたいことがあるんだ」ぼくはそう言って立ち上がった。
「もしかして‥‥やっぱりあそこに行くのか?」ぼくを見上げてモリオが言った。
ぼくは無言で頷いた。『あそこ』とはもちろん、茂みの中のこんもりした緑の小山。巨大迷路の廃墟と思われる場所である。あそこまで行って、ずっと気になっている『赤い花』の存在の有無を確かめておきたかったのだ。しかしこの期(ご)に及(およ)んで、やりたいことがもう一つ増えていた。水崎先生の二本の指以外の体が今どこにどうしているか、それも確かめたくなったのだ。
「俺はもうつき合うつもりはないけど、おまえがどこへ行ったのか先生に聞かれたら、適当にごまかしておいてやるよ」
「‥たのむ」指を見つけたことをみんなに黙っていたぼくは、それだけを言った。
ぼくとモリオのやり取りを黙って聞いていたツジウラ ソノは、訝(いぶか)し気な表情をしていたものの、結局そのまま‥黙ったままでいた。

ぼくは、正面前方にいる先生二人がこちらに視線を向けていないことを確認すると、彼らに気づかれないよう注意を払いながらのゆっくりとした動きで、駐車場の端にある舗装道路側への出入り口へと歩き出した。しかしこの時、今までずっと背中を向けていた芝生広場の方から、誰かがぼくを(ぼくだけを)じっと見ていたことに気がついた。

次回へ続く