悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (169)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五十四

ぼくは、駐車場のトイレに隠れていた高木セナとタスクを、芝生広場西側の端の雑木林で待機している葉子先生たちと合流させた。
背中に受けた傷からの出血でかなり消耗している葉子先生ではあったが、「良かった‥。他の子たちもどこかに隠れていて、無事でいてくれると嬉しいんだけど‥‥‥」と、今にも消え入りそうな声で言った。
タスクの痛めた右足はどうやら捻挫(ねんざ)らしく、フタハとミドリが葉子先生の指示を受けて早速、タオルを使って足首を固定する応急手当をした。モリオもこの時は甲斐甲斐(かいがい)しく林の中で手頃な木の棒を拾ってきて、「これを杖に使うといいぜ‥」と言ってタスクに手渡していた。
高木セナは、ここに着いてすぐに知った葉子先生の様子にショックを受け、しばらくの間、先生の傍らに黙ったまま座り込んでいた。そして、その高木セナの後ろにいて、すべてをだだ静かに見守り続けていたツジウラ ソノの姿が、なぜか印象的だった。

とにかく、助けが来るまで、ここで待機しているのが良策だと思わせる状態ではあるが、警察や救急は果たしてやって来るのだろうか‥‥‥‥‥

「もう一度、あちこち行ってみる。もしかしたら他のみんなも、見つけられるかも知れない‥‥」みんなにそう言い置き、頃合いを見計らってぼくは立ち上がった。
雑木林を抜け出し、芝生広場に向かってさっさと歩き出す。すると案の定(あんのじょう)、高木セナがぼくの後をついて来た。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」ぼくは黙って、高木セナがぼくの横に並ぶのを許した。ついて来るなと言っても、どうせ彼女は聞きはしないだろう‥‥。そうやって二人でしばらく歩いて、雑木林が幾分遠ざかった場所まで来ると、高木セナは待っていた様に、初めて口を開いた。
「‥あのね、実はトイレに隠れていた時‥‥、また夢を見たの‥‥‥」
「ああ‥そうだろうと思ったよ‥」ぼくは少し呆れた口調で答えた。
「‥あのう‥それでね、ヒカリくんに聞きたかったの‥‥」
「ああ‥わかってるさ‥。夢の中でまた、ぼくが登場したんだろ?」
「う、うん!」横を歩く高木セナが、ビックリしたみたいに大きく頷くのが分かった。
「今度のぼくは一体、何を仕出かしたんだい?」ぼくはため息混じりに、おどけて見せた。
「う‥うん‥‥‥‥‥‥」彼女はそう言い出して、なぜか口ごもった。そしてそのまま黙り込んで、ついには立ち止まってしまった。
「どうした?」ぼくも立ち止まり、振り向いて彼女の様子を窺(うかが)った。

高木セナはこの期(ご)に及(およ)んで、明らかにもじもじしていたのだ。
そうして、振り向いたぼくに対して、顔を赤らめながら絞り出した言葉は、こうだった。
「わたし‥‥ ヒカリくんと‥‥‥ 結婚するの?」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (168)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五十三

抑々(そもそも)‥‥、高木セナとタスクが、なぜ男子トイレの個室に二人して隠れる事となったのか?

「広場で草口さんが『謎の男(ヒトデナシ)』に襲われそうになって、風太郎先生が止めに入った時、君はその現場にいたよね。その後、助かった草口さんに連れられて君は、駐車場とは反対の方向へ逃げて行ったって聞いたけど‥‥」と、ぼくは高木セナに質問した。彼女は「その通りです」と言わんばかりにコクリと頷いて、今ここにこうしている理由を語り始めた。

高木セナが語った経緯はこうである。
草口ミワが、芝生の上に座り込んで動けなくなっていた高木セナの腕を掴んで立たせ、彼女を引き摺る様にしてその場を逃げ出した時、高木セナの目はなぜか、遠く駐車場を逃げて行くタスクの小柄な後ろ姿を捉えていた。
腕を引っ張られながら高木セナが尚も見ていると、タスクは、そのまま駐車場の端まで走って行き、境界に渡してある丸太を模したコンクリート製の柵を勢いよく乗り越えようとしたそうだ。しかし、体の小さなタスクは、柵を跨(また)いで跨ぎ終えようとした瞬間に片方の足を引っかけて、柵の外の向こう側に逆さまになって見事に落下していったではないか。
柵の向こう側は、なだらかと言えど小さな崖になっている。それを知っていた高木セナは驚いた。咄嗟(とっさ)に、大変だ!助けなきゃ!と思った。気がついたら草口ミワの手を振りほどき、駐車場目がけて走り出していた。

「わたし‥‥ いつも誰かに助けられてばかりで情けないなあ‥‥て、ずっと思ってた。だから、いつかは自分が誰かを助けてみたい、助けてあげよう、て考えてたの‥‥‥」
高木セナは真剣な眼差しでそう言った。

彼女が駐車場に到着し、柵から身を乗り出して崖の下を覗き込むと、タスクは草木の茂った2メートルほど下の斜面に仰向けの状態で引っかかっていた。体のあちこちに擦り傷は負っていたが、意識はあった。彼女は思わず「良かった‥‥」と声を漏らした。
芝生広場での騒ぎがまだ続いていることをちゃんと認識していた高木セナは、自らも柵を超え、草木に掴(つか)まりながらゆっくりと斜面を下ってタスクの傍まで行った。そして、騒ぎが収まるまで、しばらくそこで二人して身を潜(ひそ)めていたそうだ。
タスクが右足を痛めていることが分かったのはその後で、お互い助け合いながらどうにかこうにか斜面をよじ登り、今度はすぐ目の前にあったトイレの、どう言うわけか男子側の個室に、二人で入って隠れていたのだった‥‥‥‥


「広場は静かになった。怪しいヤツは、今はいないよ‥」ぼくはそう言って、個室から出て来た高木セナと、彼女の肩を借りて左足だけで立っているタスクを、取り敢えず葉子先生たちの所まで連れて行くことにした。
右足が使えないタスクを負ぶって連れて行こうとしたぼくは、自分の体が小学二年生のそれであることを思い出し、すぐに断念した。高木セナとともにタスクを両脇から支え、肩を貸してゆっくり歩かせた。芝生広場を横切る途中、風太郎先生の遺体が横たわっている例の場所は、当然迂回(うかい)した。
タスクを支えながら三人で歩いている間、高木セナがぼくの方を何度もチラチラと見て、様子を窺(うかが)っていることに気がついていた。彼女と目が合った時、「‥どうした?」と問いかけたら、大げさに首を振って目を逸らせた。
ははあ‥‥とぼくは頭の中で考えた。さてはまた、『夢』を見たんだな。それもぼくが登場する夢に違いない‥。高木セナは、その夢の内容について、ぼくに早く質問したくてしょうがないのだが、タスクがいるからそれが出来ないでいるのだ。

前に聞かされた『血まみれ送迎バスの運転手』の次は‥‥ いったいぼくのどんな姿を‥ 彼女は夢に見たんだろうか?‥‥‥‥‥‥

次回へ続く