悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (174)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五十九

何という事だろうか!
予想していたパトカーだけではなく、すでに『送迎のバス』まで到着していたのだ!

否!違うか! パトカーも送迎バスも決して到着してはいない。芝生広場の駐車場へ向かう途中で、ことごとくその到着を阻止されたのだ。つまり『ハルサキ山』に近づく者は、容赦ない『ヒトデナシ』の手に掛かり、腹を裂かれて吊るされる運命にあるのだ。きっとこの先、近づこうとする者の全ても‥‥‥‥‥

ぼくは、構えていた双眼鏡を下ろした。全身に鳥肌が立っている。
「なにか‥良くないものが‥‥見えたのね」そんなぼくの様子をすぐ横で窺っていた高木セナが、悲しそうな声で話しかけてきた。
ぼくは、黙って高木セナに双眼鏡を差し出した。そして、舗装道路を見てみるよう促した。
彼女は双眼鏡を受け取ると不器用にそれを構え、やはり黙ったまま、時間をかけて何とかピントを合わせ、道路上に放置されているパトカーとバスを確認した。
「どうしてあんなところで止まっているの? 事故?」
「いや‥‥」ぼくは残酷な言葉を彼女に告げることを自覚した。「運転してた人たちは‥みんな殺されたんだ」
「殺さ!れた??」驚いた高木セナが危うく、構えていた双眼鏡を落としそうになった。ぼくはそれを何とか受け止め、そして続けた。「おそらく、芝生広場を襲ったのと同じ犯人の仕業だ。ヤツはこの先も、芝生広場に近づこうとする人間を全員、殺すつもりでいるのかも知れない‥‥‥」

ぼくは、驚愕(きょうがく)の表情が張り付いたままの高木セナに、その犯人が、この辺りで長い間噂されている『ヒトデナシと呼ばれる謎の存在』である可能性があると言う事を説明した。
「そっ、その『ヒトデナシ』は、悪魔か何か?それとも、人間のすることを許せない神さま?」
「な?なんだよ、それ?」
「おばあちゃんに、『たたり』て聞いたことあるもの。入っちゃいけない場所に入ったり、壊しちゃいけないものを壊したりする人間がいると、たたりがあるんだって。神さまが怒って、その人間たちに罰をあたえるんだって」
「なるほど‥。祟(たた)り、祟り神か‥‥」ぼくはこんな時でも、高木セナが大人になって尚も持ち続けている独特の思考回路に、感心させられてしまった。「そんなこと‥考えもしなかったな」

「ねえ、ヒカリくん!この先、私たちはどうなるの?このまま、ここにいていいの?」全く的確な問いかけだった。
「見た通り、警察の助けや、予定の時間より早くなったバスの迎えは、『ヒトデナシ』に阻止されたみたいだ。君の言う通り、ここに留まってて良いわけないけど、葉子先生やタスクの‥動けない者がいる。救急車だけでも来てほしかったのに、期待しない方がいいな。通報に失敗したか、もしかしたらやっぱり既(すで)に来ていて、舗装道路のどこかで、もうどうにかなっているのかも知れない‥‥‥‥」
今置かれている自分達の状況を、言葉にして整理してみると、まるで『陸の孤島』にでも閉じ込められた気持ちになった。そしてその『島』には、『祟り神』のごとく容赦なく人間の命を奪っていく謎の『ヒトデナシ』が潜んでいるのだ。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (173)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五十八

「もしかしたらもう‥‥ 助けは来ていたのかも‥知れない‥‥‥」

「いったい何が見えたの? 説明して!説明してよ、ヒカリくん!」高木セナが感情的な声を出して食い下がってきた。ぼくとしても彼女にちゃんと説明したかったが、その前に、『吊るされている人間が警察官である』と断定できるだけのもっとしっかりとした確証が欲しかった。
「説明する。必ず説明するから、もうちょっとだけ待ってくれ」ぼくは早口でそう言って、すでに頭をフル回転させていた。何かを思い出そうとしていたのだ。今までのぼくの取ってきた行動の経緯の中に、彼らが警察官であることを確かめるためのヒントとなる記憶が、どこかに紛れている気がしたのだ。

「そっそうか!そういうことか!」僅かの間に、ぼくは該当する記憶に思い当たった。その記憶に促(うなが)されて、慌てて双眼鏡を『舗装道路』の方に向ける。駐車場の東の端から北に向けて真っ直ぐ伸びている道路で、ずっと先を東西に横切る国道と繋がっている例の一本道だ。車で『芝生広場』に来るには、この道路を利用する以外に方法はない。
ぼくが『巨大迷路の廃墟』の存在を間近に行って確かめ、そして去ろうと走り出した時、西の外壁(そとかべ)にすでに吊るされていた水崎先生と教頭先生の死体のとなりに、大人の男女の新たな死体が吊るされるのを目撃した。その時は外壁からすでにかなり距離ができていたため識別はできなかったが、それらが葉子先生と風太郎先生ではないかと一瞬疑ったのだった。その後、やっとの思いで茂みを走り抜けて舗装道路まで辿り着いた時、道路を挟んだ向こう側の茂みの中へほとんど横倒しになった状態で突っ込んでいる、白い軽自動車を発見する。誰も乗ってはいなかったが、真っ赤な血が車内のそこら中に飛散していた。
あの時は些(いささ)か冷静さを失っていたのだと思う。『新たに吊るされた死体』と『無人の白い軽自動車』のこれらの二つを関連づけて考えてみる余裕が無かったのだ。
しかし、今改めて考えれば、二つの関連性は明白に思える。白い軽自動車に乗って芝生広場に向かっていた男女が『ヒトデナシ』に襲われ、殺された挙句(あげく)の果てに巨大迷路廃墟の外壁に吊るされたのだ。

つまり、車で芝生広場まで来るには、この一本道の舗装道路を使うしかないわけで、もし警察がやって来てその当人達がすでに殺されて吊るされていたのだとしたら‥‥‥‥‥

ぼくは、舗装道路の方に向けた双眼鏡の視界を、手前から奥へ、つまり北へと、ゆっくり這(は)わせていった。
まず、記憶にある辺りの道路右側の茂みで止めて見る。やはり例の軽自動車の白い車体が、草木の中に垣間見えた。そこからさらに北へ‥。何物も見逃すまいと意識を集中しながら、瞬(まばた)きもせず双眼鏡を覗き込む‥‥‥‥‥‥

「はっ!」ぼくは双眼鏡をピタリと止めた。軽自動車があった地点から百メートル足らず北の場所である。
見つけてしまった。白と黒のボディーと天井に赤い警告灯を持つ車が、今度は道路左側に半分逸れて斜めに止まっていたのだ。しかし! ぼくが本当に驚いたのは! そのパトカーのさらに数メートル奥、バスの巨大な車体がこちらに腹を向けて道路を塞(ふさ)いだ状態で止まっているのを、レンズ越しに目の当たりにした時である。

次回へ続く