悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (268)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十三

当たり前のことだが、セナにぼくの『決意』を話して聞かせたものの、例の頭痛が早々(そうそう)都合よくやって来るとは考えにくかった。
ただ‥‥、頭痛を呼び寄せるものが、どんな『自問』に根差しているのかは心当たりがあった。
それは至極(しごく)当たり前の問いかけで、『いったい、ここはどういう場所で、ぼくは何故(なぜ)ここにいるのか?』というものだ。

そこまで分かっているのなら、すぐにでもそれらの疑問にしっかりとアプローチすべきなのだろうが‥‥、実はぼくには、襲って来る頭の痛みよりももっと、恐れていることがあったのだ。
それは‥、ぼくが意識していない状況下で度々(たびたび)表れて、何事かを口走る、『自分の中にいる(らしい‥)もう一人の人格』の存在である。
当然ぼくは、『そいつ』のことを知らない。実際に表れた時に一緒にいたセナの話から推測すると、『そいつ』の言動はやたらと感情的で粗暴(そぼう)な印象を受ける。『自分の知らない自分』『自分がコントロールできない自分』が存在しているという事実は、何よりもぼくを不安にさせた。
頭の激痛を必死で堪(こら)え、乗り越えた果てに『そいつ』が待ち構えているのだとしたら、その時ぼくはどう対処すればいいのだろうか? もしかしたら『そいつ』が、ぼくの人格とそっくり入れ替わることを企んでいたとして、それがその通りになってしまったら、今のぼくはどうなるのだろう‥‥‥‥‥

「 自分であるのに‥ 自分でない、自分‥‥か 」 ぼくは独り言を呟いた。正真正銘の独り言だった。
「 え? 何のこと?」その呟きを聞き逃さなかったセナが、ぼくの顔を覗き込むようにして言った。「もしかしてさっきから‥‥ ヒトデナシのこと 考えてる?」
「 いや‥ 違うよ。自分の中にあるかも知れない、もう一つの人格について‥、考えてたんだ‥‥‥」
「そう‥ なんだ‥‥」
会話は、そこで途切れた。
何故なら、その時、歩を進めている迷路通路前方から、幽(かす)かな歌声が流れて来たのを、セナもぼくも聞き逃さなかったからだ。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (267)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十二

ぼくとセナは、巨大迷路廃墟の通路を前進していた。

そもそも、今いるここが、巨大迷路廃墟の本当の内部であるかどうかも疑問だったし、このまま歩き続けた先に、ちゃんと目的の場所が存在しているかどうかにも疑問符が付く前進だった。

歩を進めながらもぼくが何か考え事をしているのを知ってか知らでか、手を繋いでいるセナはさっきからずっと黙り込んでいる。
通過していく迷路の仕切り壁に急に思い出したみたいに現れる、切断した腕の断面で押された例の『血のスタンプ』は、ある場所では壁を埋め尽くさんばかりの圧倒的な光景で、途中の通路で出会った出血し過ぎてふらふらになったアラタや、自分の血だまりに倒れていたランちゃんのように、一体どれだけの人間の血が流されたのか想像するだに恐ろしかった。
そして、さらに恐ろしかったのは、その『血のスタンプ』群(ぐん)がますます、咲き乱れた『赤いばらの花』に見えて仕方なかったことだ。仕切り壁のあらゆる場所に『血のスタンプ』が押されている意味に朧気(おぼろげ)ながら思い至った時‥‥、ぼくはぼく自身に、一つの『決意』が必要であることを悟った‥‥‥‥‥‥‥

「ぼくには‥‥ どうやら試練みたいなものが‥必要らしい‥‥」
「えっ?」
ぼくとセナは、同時に立ち止まり、互いの顔を見遣った。

「ど‥ どういうこと?」 セナが問いかけた。
ぼくは彼女と繋いでいた手を放し、その指で、まるで拳銃をこめかみに当てるみたいに、自分自身の頭を指差した。
そんなぼくの一挙手一投足を、セナは真剣な眼差しで見ていた。

「頭痛と‥‥、頭が割れてしまいそうなあの痛みと‥、闘ってみようと思うんだ‥‥」 ぼくは言った。

今回の遠足で、耐え難い頭痛にはすでに何度か襲われていた。確か、セナがいっしょの時にもあったはずだ。
頭痛は決まって、見たり聞いたり経験したことで、心に何か引っ掛かりを感じて、それが何なのか思い出せそうな時、思い出してみようと試みた時に起こった。まるで‥ 「 思い出すな!」「 思い出してはいけない!」 ‥と警告を発してでもいる様なタイミングの痛みだった。

「ヒトデナシと出会う前に知っておいた方がいい、重要な記憶みたいなものが、あの頭痛の向こうに隠れていそうな気がするんだ。だから、今度頭痛が始まることがあったら、痛みを我慢して、徹底的に思い出してみようと考えてる」

次回へ続く