悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (256)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百四十一

「 聞こえて来たあの『野ばら』の合唱は‥罠なんかじゃあなくて‥‥、ぼく達の到着を待ちわびて歌い始めたものなのかも‥知れない‥‥‥ 」
ぼくはそう、声に出して言ってみた。

「 え?‥ どういうこと? 」 セナが、小首を傾げて訊ねた。
「 ああ‥いや‥ ただ口に出して見たかったんだ 」 ぼくは答えた。
「 ええェ?? 変なの 」
「 そっそうかぁ? ハハハッ 」
ぼくは思わず笑い出してしまった。彼女の返した『変なの』という表現が、まるで本当の小学二年生の反応みたいだったからだ。

ぼくはその時、これでいいんだ‥‥と思った。『遠足』に紛れ込んでしまってから、この世界で進行していったあらゆる現象に対しての、ひたすら頑(かたく)なだった自分自身の認識が、そこかしこから緩(ゆる)んで、見る見る解(ほど)けていくのが分かった。
例えば‥‥ ぼく達が彷徨(さまよ)っているこの『巨大迷路廃墟』にしたって、今まで、ハラサキ山の魔物である『ヒトデナシ』のアジトなのだと思い込んでいたが、それは本当に確かなことだろうか?
今ここには‥、生きているか死んでいるか、あるいは自らの意思かそうでないかは別として、遠足参加者のほとんどが集められている気がする。まるで今回の『遠足』の最終的な目的が、ここに集(つど)うことだったとでも言うように‥‥‥‥
そしてぼくも結果的に、今こうしてここにいる。

ぼくの無意識の領域のどこかに‥‥、当然ぼくが執筆したであろう『シナリオ』みたいなものが存在していたのかも‥知れない。
そして振り返ってみれば‥‥、その『シナリオ』を進行させる役割を持つ『キーワード』らしきものも‥‥思い当たるのだ。

本来の遠足の目的地だったハルサキ山の芝生広場。その‥もうすぐ芝生広場に至る林の中の道から、偶然目撃してしまった『赤い花』。その瞬間から、ぼくの『赤い花』への執着が始まり、芝生広場に到着してからは、あちこち探し回る羽目(はめ)になった。
そして、とうとう見つけ出すことが出来た『赤い花』とは、先乗りしていて行方知れずになっていた水崎先生の‥巨大迷路廃墟の外壁に腹を裂かれて逆さまに吊るされた血まみれの死体‥‥だったのだ。
水崎先生も『赤い花』に姿を変えられ、ここに集められていた‥‥‥‥

「 ぼくはどうやら‥‥ 最初から『赤い花』に導かれることで‥‥ ここまでやって来たらしい 」と‥しみじみ呟(つぶや)いた。
そして、今佇(たたず)んでいる迷路通路の内壁(うちかべ)のそこここに、まるで群生して咲いているみたいに見える‥‥ 切断した腕を使った血のスタンプで描かれた『赤い花』‥‥ に目を遣(や)った。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (255)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百四十

「 ねえ‥。今、気がついたんだけど‥‥‥ 」

終わることの無い直線通路の前進を中断し、佇(たたず)んでいたぼくとセナ。
すっかり正気に戻ったという風な感じで、セナが口を開いた。
「 私達‥、この通路の奥の方から微(かす)かに『歌声』が聞こえて来たから、そこからは急ぐみたいに歩き出したのよね‥ 」
「 あ‥ ああ。そうだった‥ 」 ぼくは思い出した。確かにセナの言う通りだった。『歌声』‥、それも複数の声で歌われている『野ばら』が聞こえて来たのだ。
間違いない。間違いなくシューベルトの『野ばら』だった。歌っていたのは、ツジウラ ソノや合唱部の女子達だったのかも知れない。ぼくもセナもそれに引き寄せられる形で、目的の地点はきっとこの先の遠くない場所だと思い込み、二人して勇(いさ)んで足を速めて行ったのだ‥‥‥‥
「 そうよね。でも、その『歌声』がいつの間にか止(や)んでることにたった今、気がついたの 」
「 そっ! そうだね! ‥本当だ 」 ぼくも今更ながら、そのことに気がつかされた。

「 やっぱりあの『歌声』は、私達をいつまでも迷路の中で迷わせておく‥罠のひとつだったのかしら‥‥‥ 」
「 うむ‥‥‥‥‥ 」 ぼくは考え込んだ。
あの時‥、あの『歌声』に向かって歩き出した時点で‥、ぼくも確かに『これはもしかしたら罠かも知れない』と、不吉な想像を頭の中に過(よぎ)らせた。この巨大迷路廃墟が、『ヒトデナシ』と言う魔物のアジトだと決めつけ、ここで起こる事の全てに疑念を持っていたからだ。
だが、今は少し違っていた。否(いや)‥少しではなく、この巨大迷路廃墟に対する見方が、随分と変化していた。

この『気持ちの悪い世界』は、おまえのものだという事を忘れるな。

ぼくのもう一人の人格である『やつ』からの、アドバイスである。
そんな言葉を残して『やつ』が去ってから、今漸(ようや)くぼくは、その言葉の意味をゆっくりと咀嚼(そしゃく)する機会を得ていた。
つまりあの時‥、『これは罠かも知れない』と疑ってしまった時点で、無意識に『望まない選択』をしてしまったのかも知れない。

「 この先は、こうなったらいいのに‥‥ 」と望んでみるんだ。とりあえず望んでみろ。

要するに‥‥、『この世界』で出くわした困難な局面において‥‥、言わば『ポジティブシンキング』こそが事態を打開する鍵となってくれる‥はずである‥‥‥‥

次回へ続く