悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (258)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百四十三

「 どうした?? 何か見つけたのかい? 」
こちらに背を向けたまま通路の壁を凝視しているセナに、ぼくは然(さ)したる期待もなく声を掛けた。どうせいつかみたいに、でかい毛虫でも発見してしまって、思わず奇声を上げたのだと考えたからだ。

「 ‥‥‥‥これ‥ 」
セナは静かに、飽くまでも静かにゆっくりと、彼女の前方にある壁の一部分を指差した。

「 え‥ 何? 」
ぼくは、セナがまったく浮(うわ)ついた様子で無いことをにわかに感じ取り、彼女の指し示す壁に『毛虫以外の何』があるのかを確かめようと、一歩二歩と足を踏み出した。

「 これを‥見て 」
セナは明らかに、壁にスタンプされた数多(あまた)の『赤い花』の、その中のたった一つを指差していた。
「 ‥‥ああ。そいつが、どうかしたのかい? 」 ぼくの感想は言葉の通りだった。まったくピンと来ない。
「 だったら、次はこれ 」 そう言って彼女は、差したままの指をそのまま右横に十数センチだけスライドさせ、真横にあった別の『赤い花』を指差した。
「 ??? はあ‥‥‥ 」 相変わらず、まったくピンと来ていないぼく。
そんなぼくを尻目(しりめ)に、「 そして、その次はこれ!」「 そんでもって、そのまた次はこれ!」と言った調子でセナは指を動かして行き、二番目の『赤い花』のやはり十数センチ右真横にあった『赤い花』と、さらにそれの十数センチ右真横にあった『赤い花』を、立て続けに指し示して行った。

「 あ!」
ぼくはそこまで来て初めて、その辺りの壁の様相が他の場所とは随分違っていることに気がついた。
スタンプされた『赤い花』の数が極端に疎(まば)らで、さらにはセナが連続して指し示して行った四つの『赤い花』が、どう考えても意図的に、ほぼ横一列に等間隔で並んでいたのだ。
「 こ‥ これは一体??‥‥ 」

「 ううんん、まだ終わりじゃなくてぇぇ‥まだまだ!」
セナの指差しには、どうやらまだ続きがあったのだ。やはり右横へと彼女の指は動いて行ったが、今度は真横ではなく、花の大きさ一つ分高い位置にある五番目の『赤い花』。そしてその次が右横は変わらず、花の大きさ半分ほど低い位置にある六番目の『赤い花』。七番目の『赤い花』は高さは変わらずその右真横で‥‥、八番目はまた花の大きさ半分ほど低い右横にあって、九番目に指し示された『赤い花』は、八番目よりさらに花の大きさ半分ほど低い右横に存在した。

「 いっ 意味があるんだな!この並び方!!そうなんだろ?!」 ぼくはもどかしくなって、セナの考察が導き出す結論を催促した。
今までずっと背中を向けていたセナは、ぼくの問いかけにゆっくりと振り向いて‥‥、こう言った。

「 だからぁぁ‥ シ・シ・シ・シ・レド・ドシ・ラァ よ!」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (257)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百四十二

この『遠足』の当初からの流れを振り返って、『赤い花』がぼくを導いてくれていた事は間違いなさそうだった。
それゆえに‥、きっとこの先も同じ事が続いていくだろうと言う予感めいたものが、頭を擡(もた)げた。

「 そうさ‥ 十分(じゅうぶん)考えられる‥‥ 」
ぼくはそう呟いて、目の届く範囲の通路の壁に血で描かれて(?)いる『赤い花』を、ゆっくりと見渡して行った。
壁板の表面ですっかり乾ききった状態で無数に咲いている血色の花々は、こうして改めて眺めてみると、偶然かそれとも意図的にか、分散と密集を適度に繰り返しつつ咲き乱れ、『いつかどこかの野原で目にした見事な花畑の風景』を彷彿とさせた。

「 ヒカリさん。さっきから、何を見てるの? 」
「 ‥‥うん。壁に押された‥血のスタンプを見てたんだ。やっぱりぼくにはこれが、『赤い花』‥ それも『ばらの花』に見えて‥しかたないんだ‥‥ 」
「そう‥‥。私は気味が悪いから、なるべく見ないようにしてる。だって、アラタくんやランちゃんのこと思い出しちゃうし‥‥‥ 」 セナは俯(うつむ)いて、目に涙を浮かべた。
巨大迷路廃墟に入ったばかりの通路の壁はまだそうでもなかったが、通路を奥へ奥へと進めば進むほど、壁に押された血のスタンプの相対的な総数はどんどん増えていっていた。切り落とした何本の人の腕をスタンプにして、流れたどれだけの人の血がインクの代わりとして使われたのか、もはや想像ができなかった。

「 ぼくはこの壁の‥ 赤い花々の連続を眺めていると‥‥、何かを見落としてる気がしてならなくなってきた。しばらく聞こえていた『野ばら』の歌声は、ぼくらにその何かを教えてくれていたんじゃないかという‥気もする‥‥‥‥ 」
「 何かって‥‥ もしかして、このずっと真っ直ぐ続くだけの通路から脱出する方法? 」 セナが俯いていた顔を上げ、涙で潤んだ目を輝かせて問うた。
ぼくはその問いには敢えて答えず、再び目を通路の壁に向けた。
答えを待っていたセナもぼくの視線に釣られ、首をそろりと回して、辺りの壁を観察し始めた。

「 わ‥ら‥べ‥は みいたあ‥り‥‥ 」
しばらくして、セナが鼻歌を歌い始めた。シューベルトの『野ばら』だった。彼女は彼女なりに、『何か』を掴(つか)もうとしていたのだ。
セナは通路進行方向、向かって左側の壁に沿ってゆっくりと体を移動させながら、本当なら見たくもない『クラスメートの流した血で出来ているかも知れない花々』に、懸命に目を凝らしてくれていた。

そして、さらにしばらくして‥‥‥‥‥ 
ああッツ!! 」 彼女の素っ頓狂(すっとんきょう)な声が、直線通路に響いた。

次回へ続く