悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (103)

第三夜〇流星群の夜 その十七

「私‥・これまでに何度も、このまま時間が止まればいいと思ったことがあるの‥‥‥‥」
満天の星を仰ぎ見ながら、唐突に彼女が言った。

「すごく楽しかったり、幸せを感じる瞬間て‥あっと言う間に通り過ぎて行くでしょ。ずっとこのままでいたい、いさせてって願っても、夢から覚めるみたいに必ず終わってしまう。だからしょうがないから、またそんなすてきな瞬間がやって来ないかなあと待ち焦がれることになるの。でも次にそれがやって来るまでには大抵、単調で退屈な毎日を際限のないくらいやり過ごさなければならないのよ‥‥‥‥‥‥」
確かにその通りだと、僕は頷(うなず)いて見せた。
「でも今はそんな‥‥単調で退屈だった毎日もなかなか味わえなくなってしまった‥‥‥‥」
星空から視線を戻し今度は彼女が頷いた。そして真っすぐ僕の顔を見つめた。
「実際に時間が止まるのなら、そんなことが本当に起こるのなら、せめて自分が望んで選択した瞬間で止まってほしい、そう思ったの。だからあなたに電話した。あなたに会うことを決めたのよ」
彼女の、思いのつまった言葉と、迷いのない視線。僕はそれらを、精一杯、真正面から受け止めていた。

彼女の肩ごしに星が一つ流れた。
「今夜君と会った時から‥‥‥そんな気がしてた。確かな症状が‥あるんだね」僕は出来うる限り平静を装って、彼女に質問した。「いつからなんだい?」
「‥一昨日(おととい)の夜あたりから‥‥‥‥。知らない間に、時間が経っていることが何回かあったの。5分とか10分とか‥。最近ぼーっとしてることが多かったから気にも留めなかったんだけど、昨日になって体がだんだんと重たくなっている感じがしてきて‥‥‥‥‥」
「けん怠感‥‥か」
「私‥、お母さんが疲れが出てくるみたいにだんだん硬くなっていくのを見ていたから、それと同(おんな)じなんだと分かる。もうすぐきっと‥‥‥ちゃんと喋ったり動いたり、できなくなると思う」
「‥‥そうか‥‥‥‥‥‥」僕は思わず彼女の肩に手を回した。思わず、引き寄せていた。
「ありがとう。私のわがままに付き合ってくれて‥‥・」彼女は僕の肩に静かに頭をもたせ掛け、小さな声で言った。

彼女をこんなに愛おしく感じた事は今まで無かっただろう。彼女のこの華奢(きゃしゃ)な体が、石の様に硬くなっていくのかと考えると、込み上げてくるものがあった。
と‥・、その愛おしい感情とは混在しない別の冷静な感情がどこかにあって、頭の中に一つの映像を鮮明に浮かび上がらせていた。それは今朝の自分の部屋での出来事。壁の掛け時計の秒針が、十二秒ほどの範囲を一秒ほどの感覚の間に一気に通り過ぎていった光景‥‥‥‥‥‥‥

もしかしたらあれは錯覚でも何でもなくて、紛れもなく「謎の病」の症状の始まりだったのかも知れない‥‥‥‥。
彼女から聞いた、謎の病に対しての彼女の父親の考察は、僕にその事を自覚させるだけの真実味を持っていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (102)

第三夜〇流星群の夜 その十六

僕はその日、二人っきりで話せる場所を選んで、彼女と会う約束をした。
首都圏郊外にあって、条件の良い夜には満天の星を望めるお気に入りの丘である。

僕と彼女は、小高い丘の頂上付近に寄り添う様に腰を下ろした。
久しぶりに再会した彼女は、「謎の病」によって相次いで両親を失い、ひとりぼっちになっていた。
会うのはおろか連絡すらつかなかった今日までの九ヶ月余りの間の出来事を、彼女は切々と語り始めた。中途半端な慰めの言葉を挟む事なく、僕は黙ってそれを聞いていた。

「お父さんとお母さんは‥‥‥星になるのよ‥‥‥‥‥」
彼女は星空を見上げ、まるで自分自身に言い聞かせる様に今夜何度目かになる同じ台詞(セリフ)を呟いた。頷(うなず)く代わりに僕も、頭上にきらめく無数の星々を改めて仰ぎ見る。
「軌道エレベーター計画」が実行に移されれば、謎の病の犠牲となった他の人々と共に彼女の両親の体も、放射性廃棄物として宇宙空間に投棄されていくだろう。硬く手を繋いだまま宇宙を漂う彼女の父と母、その二人の姿が目に浮かんだ。
「君の父さんの考えが正しければ‥‥・、宇宙空間に放出されてもみんな生き続けられるはずだ。みんなの体の時間が止まったままでいる限り、決して損なわれることはない。『違う時間の流れ』と言う宇宙服を身にまとっているみたいなものだからね」
僕の言葉に彼女は、今夜初めての笑顔を見せた。
「すてき。もしかしたら長い長い時間をかけて、遥か遠くの惑星に流れ着くかも知れない‥‥。そうしたらまた止まっていた時間が動き出して、きっとその星で暮らしていくんだわ‥‥‥‥」
僕はゆっくりと頷いていた。彼女の父親が残していった考えは、僕の心をも捉え始めていた。それには希望の温(ぬく)もりがあった。

「私も‥‥‥すぐに行く。きっとすぐに‥‥‥‥‥‥‥」しばらくの沈黙の後、彼女はぼそりと言った。
僕はその言葉に、今夜彼女と再会した瞬間に微かに感じた違和感みたいなものを思い出していた。その正体は、辛い経験をしてきた彼女の精神から来るものだと納得しようとしていたが、今は明らかに彼女の肉体から感じ取れたものだと分かった。

彼女はすでに謎の病にかかって‥‥・硬くなり始めている‥‥‥‥‥‥‥‥‥

次回へ続く