悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (105)

第三夜〇流星群の夜 その十九

世界の主(おも)だった国々が協力を惜しまなかった『ジェイコブズラダー(ヤコブの梯子)』と呼ばれる『軌道エレベーター計画』は、発表の当初から今に至るまで滞(とどこお)る事なく着実に進行し、その進捗(しんちょく)状況は公式な発表として、包み隠さず逐一(ちくいち)報告されていた。
‥‥いや、されていると‥‥‥‥‥‥思われていた。

しかし、『人の口に戸は立てられぬ』とはよく言ったもの。世はまごうことなき情報化社会である。真偽や源(ソース)は不明だが、インターネット上で様々に呟(つぶや)かれては消えていく(おそらく意図的に削除されていったものであろう)幾多の情報が存在し、それらを丹念(たんねん)に紡(つむ)いでいくと、『軌道エレベーター計画』とは全く異なるもう一つのシナリオが見えてくる事に気づかされた。世界中のほとんどを占める、傍観する立場でしかない人々にとってそれは、『一筋の光明』とは程遠い、むしろ絶望の香りが漂う内容であった。

計画は本来、低コストでの宇宙進出を目指すものであったはずである。ところが、準備段階と称して膨大な予算を掛けて、短期間の内にかつてない数のロケットが宇宙に向けて打ち上げられていた。そしてそのほとんどが、すでに運用されて久しい『国際宇宙ステーション』に向けてである。
『軌道エレベーターの資材と、その建設に必要となる諸々(もろもろ)の機器』と言うのが公式発表の名目であった。『国際宇宙ステーション』は宇宙での計画遂行の拠点として指名されたわけで、作業施設や機材置き場、作業人員の居住スペースなどなど、増設に次ぐ増設を繰り返して行った。
その頃ネット上に流れ、すぐに消えていった書き込みがあって、居住スペースがかなり大掛かりなものになっているとか、宇宙ステーション全体を移動させる為の出力の大きい推進装置が取り付けられたとか‥‥いずれも文末に何故(なぜ)の疑問符が付けられたものであった。各国の首脳や王族、大手企業や資産家らの謎の動きや関わり方、巨額な資金の流れも取り沙汰(ざた)された。そして、頻繁(ひんぱん)に登場する様になったのが『ノアの箱舟』とか、『ノアの箱舟計画』と言う名称である。『箱舟』とはどうやら、『国際宇宙ステーション』を指し示すものらしかった。

『軌道エレベーター計画』はフェイクで、『ノアの箱舟計画』を推し進めるための隠れ蓑(みの)ではあるまいか?
『国際宇宙ステーション』は、選ばれた少数の人間を収容する『ノアの箱舟』になろうとしている?‥‥‥‥‥‥

そう言った考えを導き出す者も少なからずいたはずだ。
だが、『謎の病』がまん延する地球から脱出して宇宙空間に非難するなど、病の正体が依然不明のまま(感染性のものかどうかも分かっていない)であると言うのに、はたして意味があるのかとか、宇宙ステーションで滞在できる期間などたかが知れていて、病が終息するまでそこに避難し続けるのは到底無理であろうなどと、すぐにその考えを取り消してしまった。そして、地球の未来にかかわる別の可能性についてさらに考えを巡らせる事になる。
だったら一体、他にどんな事が考えられるのか‥‥‥‥‥‥・‥‥

「近い将来‥‥、この地球自体に何かが起ころうとしている‥‥‥‥‥のでは‥‥あるまいか?」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (104)

第三夜〇流星群の夜 その十八

運命‥‥を感じていた。

彼女は、謎の病によって、時を置かず石の様に硬くなってしまうのだろう。僕はその瞬間に彼女の傍にいて、彼女を見守る事となるだろう‥‥‥‥。
もし、今朝自分の部屋で体験した『掛け時計の秒針の奇妙な動き』が病の初期症状だったとしたら‥‥、僕にもやがてはっきりとした自覚症状が顕れて、それほど彼女と時を違(たが)う事なく彼女の後を追ってやはり石の様に硬くなっていくのかも知れない。
実際、おかしな事はここへ来る途中にもあった。
二人で会う約束をしたこの郊外の丘は、彼女の家からは程近かったが、僕の家からは電車で四つ先の駅のさらに暫く徒歩で上った場所にあった。久しぶりに彼女に会える嬉しさから随分と早めに家を出て、駅のホームで電車の到着を待っていた。電車は、やはり「謎の病」の影響で運行状況が徐々に変わっていき、その本数は本来の半分程度まで減らされていた。
やがて電車が到着して、ホーム側の全てのドアが音を立てて一斉に開いた。数人の降車する客をかわして、乗り込もうと足元を確かめながら一歩足を踏み出した次の瞬間だった。「えっ??」
僕の目の前の、今確かに開いていたドアが、なぜかピタリと閉まっていたのだ。呆気(あっけ)にとられた僕をよそに、電車はそのままモーター音を響かせて動き出し、走り去っていった。
ホームに残された僕は当惑していた。一体全体、何が起こったと言うのだ?足元を確かめるために視線を下げた一瞬の間に、ドアは閉まったのか?それも、微かな音も立てずに‥‥‥‥‥‥
僕は、ホームのベンチに座り込んでいた。今起こった事の深刻さを推し量っていた。どう考えても、自分自身の知覚に生じた問題に思えたからだ。ほんの僅かな時間、意識の無い状態に陥(おちい)っていた感じだ。もしかしたら、脳に異常があるのかも知れないなどと、あれこれと考え込んでしまった。だがその時点では、「謎の病」と関連づける事はしなかった。謎の病の、世の中で叫ばれている症状は、徐々に大きくなっていく「けん怠感」だと信じていたからだ。おかしな言い方だがそれは、石の様に硬くなって死んでしまう病の症状として極めて相応(ふさわ)しく、イメージし易いものだったのだ。
十五分後に次の電車がやって来た。今度は何の支障もなく、無事に乗り込む事ができた。
電車が走り出した後もやはりあれこれ考えていたが、結局答えを出せないまま目的の駅に到着してしまった。

「どうやら僕も、『メデューサの首』と目が合ってしまった‥‥らしい」
「え‥‥」僕の突然の言葉に彼女は、肩にもたせかけていた首を起こし、僕をまじまじと見つめた。「それって‥‥あなたも病にかかってるって‥こと?」
「ああ。君の父さんの考えを聞かせてもらったおかげで、自覚できた気がする」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」彼女は複雑な表情を浮かべた。
「少しくらいの差はあるだろうけど‥‥・、僕らは一緒に硬くなっていって、一緒に時間が止まっていくんだ。それって、うれしくないかい?」
「‥‥‥‥‥‥‥うん」彼女の目から、ひとすじ、ふたすじと涙がこぼれた。

「君との運命を‥‥感じるよ」

次回へ続く