悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (111)

第三夜〇流星群の夜 その二十五

彼女とは一緒だった。
彼女は僕の肩に頭をもたせ掛けたまま、僕は彼女の背中に手を回したまま、寄り添って座っていたそのままの姿勢で二人して宙(ちゅう)に浮かんでいた。それもかなりの、何もかもを見下ろせる途轍(とてつ)もない高度の中空(ちゅうくう)にだ‥‥‥‥‥‥

開いた僕の目に映っていたのは、正(まさ)しく『混沌』と呼べるものだった。
膨大な熱を放出する発光がいたるところに見えた。ハイレベルなエネルギーを持った高温で濃密な大気が巨大な渦を巻いて、膨れ上がりながら全てを覆い尽くしている。
今俯瞰(ふかん)しているのが決して未知の原始惑星の表面などではなく、地球のそれである事が俄(にわ)かには信じがたかった。自分の家族や知人らの安否に思いを巡らせ気遣う心の余裕など一切与えないくらい、絶望的な眺めだった。

これが‥‥『よく当たる占い師』と評された彼女の父親の予見していた『人類にとって全滅の可能性のある一大事』なのだ‥‥‥‥‥。
しかし一体全体、何が起こったと言うのだ?
核戦争?大規模な地殻変動?それともまさかの地球外生命体、宇宙からの侵略者の攻撃????

冷静に観察してみると、地球の輪郭が歪(ゆが)んでいる。地殻が大きく抉(えぐ)れているのが分かる。
僕と彼女の体と一緒に、そこら中にガスや塵(ちり)、溶けかけた岩が無数に漂っている。岩盤の大きい物は、一つの島ほどもある。全部集めたら小さな月でも出来そうなほどの量だ。衝撃とそれに伴う大爆発が地殻を抉り取り、あるいは蒸発させ、こんなほとんど宇宙空間ともいえる上空にまで舞い上げたのだ。

衝撃(インパクト)は、何かの地球への衝突によってもたらされた‥‥‥‥‥。
おそらく、巨大な隕石が落ちた。そう考えるのが妥当ではないかと思った。
『軌道エレベーター計画』の影で囁(ささや)かれていた噂。『ノアの箱舟』と言う別名。隕石であるのなら、観測したデータから地球衝突の可能性とその時期を前もって予測計算できる。そしてその予測が回避不可能で人類に危機的状況をもたらすものであるとしたら、国際宇宙ステーションをノアの箱舟にして、事前に情報を知りえた一部の選ばれた人間達が生き残りを図ろうと画策していたとしても決して不思議ではないし、辻褄(つじつま)が合う。
だったらその『ノアの箱舟計画』は、果たして成功したのだろうか?‥‥‥‥

僕が彼女と丘で会った夜から、すでにどれくらいの月日が流れ去ったのかが分からない。もしかしたらもう何年も何十年も時が経過しているのかも知れない。隕石の衝突もきっと、閃光(せんこう)の様に一瞬の出来事だっただろうし、今見えている地球の状態も、衝突直後よりこれでも随分とマシになって来ているのかも知れない。一つ一つの事象を確認したくても、僕と彼女の外の時間の流れ方は、いちいち気に留めても仕方がないと言わんばかりの容赦ない速さで過ぎ去って行った。僕の視界が国際宇宙ステーションの無事な姿を捉(とら)える事が出来なかったのは、それがもはや遠い過去の取るに足らない存在でしかなく、見ておかなくてはいけないものがもっと他にあるだろうと、誰かに諭(さと)されている様な不思議な気持ちになった。
惰性からか、僕の体が少しずつゆっくりと回転して向きを変えていき、地球側とは反対方向の宇宙(そら)が徐々に視界に入り出した時、その『見ておかなくてはいけないもの』が‥‥・見えてきた気がした。

次回へ続く 最終話の予定です。

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (110)

第三夜〇流星群の夜 その二十四

自分自身の時間が完全に止まってしまうまでにこんなに長く掛かるとは、全くの予想外だった。
もしかしたら‥‥・僕が目を瞑(つぶ)らずしっかりと開いていて、見ようとする意識をずっと働かせているせいかも知れない‥・と思った。

それともう一つ。いくら人目につきにくい場所に移動したからといって、結構な月日が流れていながら未だ僕と彼女の体が誰にも発見されず、放射性廃棄物として回収されていない事が不思議でならなかった。
もしかしたら‥‥‥世の中がもうそれどころじゃない局面に至ってしまっているのか?
例えは謎の病にかかる者が急激に増加し過ぎて、処理しきれない体はそのまま放置されているとか、もしくはまったく予想もしていなかった『何か別の事態』に遭遇している‥‥‥‥とかだ。
「近い将来、人類にとって全滅の可能性のある一大事が地球に起ころうとしているのかも知れない」と言う、彼女の父親が残していった言葉が気にかかっていた。

僕は、夜と昼の境目がなくなっている(言わば早回しの時間の)空に意識を集中した。
ずっと目を向け続けている北の中心にあり、ほとんど動く事のない北極星は今も確認できている。ただ、その周辺を周回しているはずの星々はもはや特定はできず、何層もの波紋状の渦(うず)を形成しているみたいに見えた。それらが独特の色彩を帯びているのはおそらく、地球を包み込んでいる大気が、太陽の光や電磁波、宇宙線などを受け止めているせいに違いない。空は幽(かす)かに蠢(うごめ)いている様でまったく静止していて、まったく静止している様で幽かに蠢いていた。そんな光景を見せてくれる時間の超越は、新しい認識への入口なのかも知れないと思えてきて、僕はすっかり見とれていた。奇妙だったのは空全体が次第に、まるで『巨大な目』に見えてきて、見上げている僕を真っ向から見下ろし、ただひたすらこちらを、地球の行く末(ゆくすえ)をジッと観察しているのではないかと言う、ある種宗教的な考えに囚(とら)われてしまった事である。宇宙の深淵(しんえん)を覗き込もうとする研究者らが陥(おちい)りがちな感覚とは、こんな心の状態を言うのかも知れない。

「宇宙の有り様(ありよう)にはやはり‥‥‥‥何か途方もない存在の意思が‥‥介在しているのかも知れない」
そしてそれを人は‥‥『神』と呼ぶのだろう‥‥‥‥‥‥‥

そんな事を考えていた時、まったくの瞬間的に、からだ全体にものすごい衝撃と圧力を感じ、視界が一変した。

次回へ続く