悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (70)

第二夜〇仮面 その十四

私は‥‥・みんなと私が今、並行世界(パラレルワールド)に二つに分かたれ、重なる様に進行するそれぞれの時空にそれぞれが存在している状態であると仮定することにした。そう仮定し信じる事で、完全に折れてしまいそうだった心をどうにかまだ持ちこたえられそうだったからだ。

映画や小説に出て来る並行世界は分岐や統合が時々起こり、起こる事によってストーリーが動き出したり予期せぬ展開が生まれていく。何かの齟齬(そご)で二つの世界がねじれ、融合して重なるみたいな接触点ができたり、行き来できる通路みたいなものが出現したりする。だったら私が遭遇しているこのとんでもない事態の中でも、ドラマチックなハプニングが起こるのを期待しても決して罰(ばち)は当たるまい。
実奈が私に拾わせようと捨てていったとしか思えない「お菓子の包み紙」は、その兆しとして信じるに足りるアイテムである気がした‥‥‥‥‥

私は、少し先を歩いているかも知れないみんなの姿を想像しながら、一本道の道路を黙々と歩いて行った。
先頭を行くのは文音と凪子‥‥。そしてその二人につかず離れずの微妙な距離を保ちながら陶子と沙織。一番後ろは出鱈目な軌道の天体が漂っているみたいな歩き方をする実奈だった‥‥‥。想像の中のみんなの顔はと言うと、今背中のリュックに入っている残されていた顔(仮面?)がまだちゃんとついている時のまんまだ‥‥‥‥‥‥
やがて文音が前方を指差す。それに答えて、すぐ傍を歩く凪子が大きく頷く。きっと二人は「天と地と僕と」の話をしている。主人公「ワタル」もこの道を彷徨って‥‥などと話している。この先には「胎内くぐりの洞窟」があって‥‥ワタルはとうとう洞窟にたどり着くのよ‥‥‥‥‥‥
‥・間違いない。みんながまだこの地に留まって自由行動を継続しているのなら、向かっているのは「胎内くぐりの洞窟」。そこしか考えられない。私はそれを信じて歩いた。並行世界にハプニングが起こる事も期待しつつ、やはり黙々と歩いて行った。

やがて道路は徐々に登り坂となり、両側に並んでいたお店が疎(まば)らになっていった。
さらに明らかに山が迫るのを感じ取れる場所まで来ると、お店は完全に消え失せ、前方にやや開けた場所が現れた。10台程が止められる広さの駐車場だ。
気味が悪くなったのは、ここまで歩いてきて誰一人観光客を見かけなかった事だ。それどころか前を通り過ぎて来たどの店の中にも、人の気配がまったく感じられなくなっていた。もしかしたらすべて、私の「認識できない」状態が更に進行しているせいではあるまいかと思った。「認識できない」事がみんな以外にも影響を及ぼして、私をこの世界に本当の独りぼっちにしようとしているのではないのか‥‥‥‥。

私は、1台の車も止まっていない無人の駐車場に足を踏み入れた。
舗装された道路は途切れ、観光案内地図の看板に点線で描かれていた山道がここから始まると言う訳だ。
駐車場の左奥にその山道の起点が見える。胎内くぐりの洞窟へはもう、そう遠くない距離のはずだ。
「‥‥‥‥‥みんな‥」
私は迷わず歩を進めた。並行世界にいるであろう、いると信じている‥みんなの幻影を追いかけて‥‥‥‥‥‥

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (69)

第二夜〇仮面 その十三

カサリ‥‥‥
道の真ん中で、小さな何かが微(かす)かに動いた。

脱力して道路にへたり込んでいた私は、反射的にわずかに首を動かし、五メートルほど前方にあったその何かを目で捉えた。
それは単なるゴミ屑‥・、お菓子の包み紙に見える。

私は我に返ったみたいに立ち上がり、すたすたとゴミ屑に近づいて行った。
「まさか‥‥‥」
私はそれを拾い上げる。いつもの「ポイ捨てゴミを見過ごせないゴミを拾う女」の発動ではない。確かめたかったのだ。

「‥‥‥‥‥実奈?」
拾い上げたゴミ屑には見覚えがあった。顔出しパネルの置かれていた駐車場に着く前に、実奈が捨て、私が拾った、お菓子の包み紙と同じものだ。
「まさか‥‥‥」私は同じ言葉を繰り返していた。
実奈は大抵の場合、コンビニで買った30円程の個包装になったチョコレート菓子を、制服のブレザーやスカートのポケットにいくつも忍ばせていた。気が付いたらモグモグと口を動かしていて、食べ終わった包み紙を所かまわずポイと捨てていく。一緒にいる私やみんなに差し出して振る舞う事は無かったが、私は「ゴミを拾う女」だったので、お菓子の味はさて置き、その銘柄(めいがら)だけはしっかりと覚えてしまっていた。
道路には観光客の姿は一切見当たらないし、偶然こんなものがここに落ちているはずがない。まさかではなく、これは実奈が捨てたもの‥・そんな気がする。そう思いたかったのかも知れないが、考えられない事もないはずだ。「認識できない」事の詳しい定義などきっと誰も知らない。骨董屋のおじいさんも当事者ではないから、あくまでも推測推論であると断っていたではないか。捨てたのが例え認識できなくなった実奈本人だとしても、ゴミ屑はその定義の範疇(はんちゅう)にはなくて、普通に認識できるのだと考えても決しておかしくはない気がする。

様々な考えを巡らすうちに私は、さっきまでの脱力感とは打って変わって、気持ちが高揚していくのを感じ取っていた。
「だったら!みんなが今もここにいて‥‥‥この道を通って行ったかも知れないってこと!?」
考えてもみなかった。考える余裕が無かったのだ。私はみんなを認識できなくなったが、みんなからは私は一体どうなったのだろうか?
私の前からみんなが消えた様に、みんなの前からも私が消えたのだろうか?
そしてそんな状態がそのまま進行しているのだろうか?
SFによく出て来る「パラレルワールド(並行世界)」みたいに‥‥‥‥‥。

私は、以前沙織がこっそりと私の耳元で囁いた言葉を思い出していた。
私がみんなといて、いつもみたいに実奈の捨てたお菓子の包み紙を拾い上げた時だ。
「実奈って、あなたがいない時にはゴミは捨てないのよ。知ってた?」
「え‥?」私は沙織の顔を見た。
「あなたがいるから、あなたに拾ってほしくてわざと捨ててるのよ」沙織はそう言ってえくぼを見せる。「あの子、あんまり喋らないしいつも何考えてるか分からないけど、あなたの事がお気に入りなの。大好きなのよ。ゴミを捨てるのはあの子なりのあなたへの意思表示なんだと思うわ‥‥」
「ま‥まさかァ」私は真に受けなかったが、歩いているだけで誰もが振り返る、まるでモデルみたいにスレンダーで美人の実奈が、それまでより近くに感じられる気がした。

道路の前方を‥‥、私の方を見ながらお菓子の包み紙を捨て、向き直って歩き去る実奈の姿が目に浮かんだ。
「‥・実奈やみんなはこの近くにいて、私を探してくれているのかも知れない‥‥」

私は手にしていたお菓子の包み紙をスカートのポケットに突っ込み、単純なその一本道の道路を、帰り道とは反対の山の方に向かって歩き出していた‥‥‥‥‥

次回へ続く