悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (76)

第二夜〇仮面 その二十

何かが‥起こる気がした‥‥‥‥‥

ワタルは、この「胎内くぐりの洞窟」に入って異世界へ迷い込んだ。
ただのアニメのお話と片づけられなかった。だって私は、この地を訪れてすでに信じられない事態に見舞われているし、胎内くぐりの洞窟はこの地の象徴的存在の一つ。ここは古(いにしえ)より語り継がれた『切っ掛けの地』なのだ。何も起こらないはずが無いではないか。

また‥みんなに会えるかもしれない。
そうでなかったら‥‥そうでなかったとしても‥‥‥、みんなが「認識できない」でいるこの世界で生きていくより、別の世界へ迷い込んでしまっても私は一向(いっこう)に構わないのだ。


大きな岩が組み合わさってできた洞窟の中は、勇んで飛び込んだ私の足を止めさせるほど暗く、ひんやりしていた。
照明は用意されていない。手探りで進むべきかとためらっていると、次第次第(しだいしだい)に闇に目が慣れてきた。
目が慣れてみると、岩肌全体が白っぽいお陰だろうか、天井や両側に迫る壁との間合いがちゃんと把握できるし、足元も3メートルほど先まではぼんやりと見て取れた。ゆっくり進めば不都合は無さそうだ。
私は右手で岩壁に触れる。多少のでこぼこはあるが滑らかに摩耗していて、ぶつかって怪我をしそうな出っ張りはほとんど無い。進もう‥。壁に触れている右手をそのまま這(は)わせる様にして私は前進し始めた。

注意深く進んでいくと、胎内を象徴していると言うその洞窟は決して単調な構造ではない事が分かる。右に左に曲がりくねっていて先がどうなっているのか予想ができないし、さらには、大きな人は通れるのだろうかと疑われる幅が極端に狭(せば)まった岩と岩の隙間や、身を屈めても頭が閊(つか)えてしまいそうな低い天井が続いている(まるで動物の巣穴みたいな)場所もあった。
観光気分で気軽に楽しめるところではないと知って、持続させなくてはならない緊張感と不安でへとへとになりそうだった。それでも私が先へと進んだのは、現状を変えてくれる何かが起こってほしいと願う大きな期待。駐車場にあった「顔出しパネル」が仮面を剥がす装置だったのなら、ここ「胎内くぐりの洞窟」は一体どんな変化をもたらす装置なのだろうか?‥‥‥‥‥

かれこれ‥そんな迷路を彷徨うみたいな前進が二十分ほど続いただろうか‥‥。いきなり四畳半くらいの広さのある仄明(ほのあか)るい場所に出た。見上げると3、4メートル上方の岩の裂け目から僅かに光が射している。風も感じる。少しだが空気が動いている。私は深いため息の様に息を吐き、その風をゆっくりと吸い込んだ。
自分の鼻孔を通過する空気の音だけが‥洞内に小さく響いた‥‥‥‥‥

「え?」

私は何もあるはずのない辺りの空間を見回していた。
違う。今確かに何か聞こえた。人の声の様な‥‥‥‥‥‥。私は全神経を傾けて耳を澄ませた。

‥‥‥‥ ‥‥・・・ ‥‥‥‥ぉ‥‥‥・ ・‥‥ぃぁ ぃぃ‥ ‥‥‥‥‥

「ひっ!人の声だ!それも若い女性の!」
みんなだ!きっとみんなだ!みんなに間違いない!!! 私はいきなり全身の血が湧きたったみたいに興奮した。
「何処から聞こえる? 上の隙間から? それとも前??」薄暗い前方を見据える。「外だ!出口が近いんだ!みんなはもう外に出て外にいるんだ!みんなあァァァ!!」
私は駆け出した。右腕が右の壁に擦れた。左肩を左の壁に打ちつけた。足が縺(もつ)れて膝を突いた。それでも私はお構いなしに、出口に向かって駆けて行った。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (75)

第二夜〇仮面 その十九

神社を後にして山道を100メートル余り進むと、右側に石段が現れた。
『胎内くぐり』の文字と、斜め上方を向いた矢印が描かれた看板が立っている。
私は石段が延びる右の小山を見上げた。

頂上付近に茂る樹木の隙間から、白っぽい岩肌が確認できる。間違いない、あれが胎内くぐりの洞窟のある場所だ。
「以外に近かったんだ‥‥」私はほっとした。これなら日が暮れきるまでに何とか到着して体験できそうだ。
石段は山道同様に良く整備されていて、敷き詰められた平らな石の一つ一つが幅広く、段差も緩やかで上がりやすかった。木材に見せかけたコンクリート製の手摺りも、所々にいい感じで設置されている。
ところが登り始めてみると、緩やかな分ジグザグに何度も折り返し、頂上に到着するまでに百段は優に超える数の石段を踏破しなければならなかった。アニメ「天と地と僕と」で、ワタル少年があちこち擦り剝きながらよじ登っていった急勾配の坂道のイメージはないものの、本来(観光地として整備される前)は、人を遠ざける神聖な場所であったろう事は、時間を惜しんで急ぎ足だった私が登っていくだけで完全に息が上がってしまった‥さながら修行苦行を体験している様な実感から、まさに身に染みて理解できた。

「ぶはあぁァァ‥‥・」石段を登り切った私は、もう一歩も動けない立ちん棒になった両膝に両手を突いて地べたを見つめ、呻(うめ)き声を漏らした。そして、息を整えながらゆっくりと顔を上げる。眼前には考えていたよりも遥かにどっしりとした質量を持った奇岩がそびえ立っていた‥‥。
もっともそれは一つの岩からなるものではない。大小様々な大きさの岩がいくつも組み合わさって、奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な様相の岩山を構成しているのだ。その岩と岩の合わせ目に微妙な隙間ができて、人が何とか通り抜けられる様になった空間がつまり「胎内くぐりの洞窟」だ。
入口はすぐに分かった。左斜めに20度程傾いた細い縦長の三角形。幅は1、5メートル、高さは岩と岩の合わせ目まで含めると3メートルはある。しかしそれは入口だけで中は窮屈そうだ。覗き込もうと近づいてみると、右わきに案内看板が建っていた。「胎内くぐり」の謂(いわ)れと体験する際の注意書きが長々と記されている。謂れは骨董屋のおじいさんの解説で十分だったので、注意書きに目をやり、私はそれを声を出して読んでみた。
「12歳未満の方、体調のすぐれない方は入洞を控えて下さい‥‥。大きな荷物を持っての入洞はできません‥・。汚れても良い服装で入洞しましょう。一人ずつ、間隔を空けて入洞しましょう。洞窟内で大声を出したり、ふざけるのはやめましょう‥‥‥」横書きの文章を読みながらだんだん目線を下げていく‥‥。と‥、看板の支柱の根元に、何かカラフルでガサガサしたものが絡んでいるのが視界に入ってきた‥‥‥‥‥

「はっ」

私はそれを素早く拾い上げまじまじと見つめた。お菓子の!包み紙だった!実奈が捨てたお菓子の包み紙だ!
「実奈!みんな!」振り向いて洞窟の入口に向かって叫んでいた。
もう間違いない。みんなは確かにここに来ている。
私は勇んで洞窟の暗闇に身を投じていった。

次回へ続く