悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (31)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その十六

ここへ来て初めて、俺が先頭に立った。

階段を下りて、地下一階(入った最初の場所を一階とするならばだが)。
本当の校舎に照らし合わせるなら二階部分にあたり、教室の数や配置はおおよそそれと同じものだった。地下一階を「おおよそ」で片付けたのは、本当の校舎の三階部分にあたる地下二階が目指すべき場所だと考えていたからである。
実際、階段は続いていて、地下二階は存在した。
階段を下りていく時、委員長が呟いた。
「‥もし、あの階段を上っていたら‥‥・私達どうなってた?」
俺は答えなかった。が‥おそらくこの校舎から地上へ追い出されていた気がする(そうなったらこんな探検ともおさらば出来たか)。或いは何かとんでもない事態が待ち受けていて‥‥‥‥‥‥
ここを俺自身が埋めたとしても、何故こんな場所が出来上がってしまったのかがまったく理解できなかった。

俺達が地下二階の廊下に降り立ったとたん、それまでザワザワとした感覚で一帯を満たしていた空気が、潮が引くように静まり返っていくのが分かった。
俺は思わず身構え、委員長は目を細めた。
「‥‥あなたの判断は間違っていなかったみたい。私たちが求めていた答えはこの階にある‥‥‥」
左手、真っすぐ伸びる廊下の一番奥に、本物の校舎なら三階にあった俺たちの六年生の時の教室があるはずだ。俺達は足を踏み出した。

ピンポンポンポン‥・
突然、スピーカーの音が廊下に響き渡った。
「下校時刻を過ぎました。学校の中に残っている生徒は、今すぐ家に帰りましょう」
校内放送である。俺と委員長は出ばなをくじかれた形で立ち止まる。
下校時刻を過ぎました。学校の中に残っている生徒は、今すぐ家に帰りましょう」
繰り返された言葉は、一回目の時の音量の倍になっていた。
「下校時刻を過ぎました。学校の中に残っている生徒は、今すぐ家に帰りましょう」
「下校時刻を過ぎました。学校の中に残っている生徒は、今すぐ家に帰りましょう」
三回目は三倍、四回目は四倍の音量になった。委員長の顔が苦痛に歪んだ。頭が割れそうになって俺は、両耳を塞いでへたり込んだ。
「下校時刻を過ぎました。学校の中に残っている生徒は、今すぐ家に-」
「うるさい!!黙りなさい!!!」委員長が叫んでいた。

‥・ツ—ッ‥‥‥‥
放送が止んだ。

「‥‥相手にしているのは子供‥・小学生なんだわ。こういう時は頭から叱りつけるに限る」気を取り直した様子で委員長が言った。
俺は立ち上がり、独り言のように、或いは委員長を促すようにこう言った。
「行こう。そして早く終わりにしよう」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (30)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その十五

「‥‥‥つまりあの泣き声は‥‥・私達をおびき寄せるトラップてこと?」
「たぶん‥‥‥‥‥」

委員長は、何か他にも問いたげに俺を見つめた‥‥‥。

俺は委員長の視線を振り払って、辺りを見回した。
六年の教室があった三階は存在しない、存在しない場所へと続く階段は罠だ‥・と考えたからには、その証拠が欲しい。俺は何物も見逃すまいと、ぐるりを隈なく観察し始めた。
委員長は、そんな俺を黙って見ている。すすり泣く声は、俺の判断に異を唱える様に途切れることなくずっと聞こえていた。

「‥・もっと深いところに‥‥‥‥」俺は自分が口にした言葉を呪文のように繰り返し、目線を下げていった。
階段の右横、手摺りの壁と隣接するトイレの壁とに挟まれた細長い空間がある。折り返した階段が更に上へと伸びていくちょうど真下のスペースで、階段の裏側にあたる斜めの天井が窮屈そうなイメージを与えていた。目が止まったのはその床部分だった。
「‥ん?」
リノリウムの床の質感がそこだけくすんで見える。
屈み込んで顔を近づけ、目を凝らした。「‥‥‥‥‥‥‥‥」
覚えのある微かな匂いが鼻に届いた。さらに顔を、鼻を近づける。
「‥‥‥‥絵の具か‥・水彩絵の具の匂いがする」俺は、床に手を置いて撫でてみた。
「ど‥どういうこと?説明して」業を煮やしたのか、委員長が口を開いた。
それに答える代わりに俺は、床に置いていた右手に思いきり圧力をかけた。

ズコッ!

右手が二の腕まで床下に入った。いとも簡単に床が抜けた。
「大丈夫⁉」委員長が駆け寄って来た。
「紙だ。床が紙で出来た張りぼてだったんだ」
バリ!ベリリリッツ!
画用紙や工作用紙を何枚も継ぎはぎして重ね、表面を絵の具で着色してあったのだ。俺は、手の入った部分からそれを引きはがしていった。
バリン‥‥・
物の一分程の作業で現れたのは、従来からそこにあった様なれっきとした下り階段であった。

「あーあ‥」「チェッ」
どこからか、がっかりした様子の子供たちの声が漏れてきた。
すすり泣きの方は、いつの間にか聞こえなくなっていた。

本当の校舎にはない階段の出現は、俺の考えが間違っていなかったことを示すと同時に、このもう一つの校舎への俺の明らかな関わりを暗示するものとなってしまった。
俺は屈み込んだまま、委員長は俺の傍らに立って、地下へと続く階段を覗き込んでいた。もっとも、今いる場所だってすでに地下なのだが‥‥‥‥
「‥‥本当に‥巣窟らしくなってきた。降りていくんだろ?」俺は委員長に言った。
委員長は真っすぐ俺を見て、何の躊躇もなく頷いた。
「もちろん」

次回へ続く