リアリティー回想記 「高野聖」 中編

スリーマイル島原発事故から7年、1986年チェルノブイリ原子力発電所の事故が発生します。(直後、ソ連政府は事故を内外に公表しなかった。)近隣の国々をも巻き込み騒然とさせるその惨状は、メディアでも大きく取り上げられました。
日本においても原発の危険性が様々論じられる大きなきっかけとなりました。

広瀬隆氏(独特の切り口と展開で問題を浮き彫りにしていくノンフィクション作家)の新旧の著作が書店に並ぶことになったのもこの時期だったと思います。
私が広瀬氏の「東京に原発を!」の文庫版を購入したのはシリーズ連載「リアリティー’88」が始まる前でした。

話は遡りますが、私が小学生の頃、故郷南紀の小さな町が原子力発電所建設問題で大揺れに揺れた体験があります。
隣町が誘致に動き、私の町は真っ向から反対。結局話は立ち消えになりましたが、傍観者である私にとって田舎とはいえ(田舎だからこそか?)大人たちの様々な声と思惑がぶつかる何とも座りの悪いこの体験は、今も頭の隅に残り続けるものとなりました。
本を手に取ったのもその事に少しでも整理をつけたかったのかもしれません。

「東京に原発を!」は、原子力発電所の安全性が保障されるのなら、わざわざ利便性の低い遠隔地に建てて、長大な送電線(設備)を巨額の費用をかけて張るより、最大の電力消費地である首都圏(東京)に建てるべきだという逆説的な意味のタイトルです。
原子力政策に対する数々の疑問、疑念がそこにはありました。

期を置かずして全くの偶然ではありますが、集英社内で広瀬氏自身による講演会があり、私もその末席を汚すことを許され、この良くも悪しくも未来のカギを握るかのような未知のモンスターに自分なりのアプローチができないものか、本気で考えを巡らすようになりました。

そしてここに幻想小説の名作、泉鏡花の「高野聖」がまったくの出会い頭に登場するのです。

次回は「高野聖」後編。完結です。

リアリティー回想記 「高野聖」 前編

「高野聖」でまず触れておかなければならないのは、当時近未来として描いた物語が2011年だったという事です。
ご存知の通り2011年3月東日本大震災があり、不幸にも未曾有の津波災害と福島原発事故が発生しました。「高野聖」の内容からこの偶然の符号をTwitterで指摘されていた方が何人かいらっしゃいました。
本人としては、1988年執筆当時、近未来として設定した敦賀の舞台が20数年後だった事は覚えていますが、なぜ2011年にしたのかは自分でもはっきりしません。やはり偶然としかいいようがないのです。

東日本大震災で被災された方々、原発事故で失われた日常が未だ戻ることなく避難を余儀なくされている方々に、この場を借りて深く御見舞い申し上げます。

「高野聖」のオープニング。
「新敦賀」という架空の駅を目指す新幹線車両(おそらく200系)。
原発事故後、地域の復興事業の一つとして莫大な予算をかけ政府が推し進めたであろう整備計画で、すでに北陸新幹線が走っています。

泉鏡花の「高野聖」という小説がなぜ原発事故のテーマとつながり、敦賀とつながったのか・・・
次回、泉鏡花の原作や広瀬隆氏の著作について触れてみたいと思います。