ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (6)

第一話「防空壕」 後編
子供は嘘をつきます。
幼少期、始まったばかりの人とのコミュニケーションを試行錯誤しながら無難に切り抜けていく為の術なのか、人が生まれながらに持つ自己防衛本能の一つなのかその理由はわかりませんが、リラックスした仲間との他愛のないやり取りの中にも嘘がふんだんに散りばめられている事がよくありました。

その日、放課後だったでしょうか。同級生の一人が奇妙な話を始めます。
「防空壕に住んどるぞ」
「何?何が?」
私と数人が興味を示したのを知ると彼は明らかに話のギアを上げて、おそらくは嘘を盛り込み始めたのです。
「そいつはなぁ・・・」

・・そいつはどうやら人間のようです。しかし彼の口から飛び出したその人物像は道徳的に極めて不適切な言葉の数々で形容されていました。

小学校は三方を山に囲まれていて、グラウンド側の山の5メートル程の高さの所を隣町へと続く生活道路が走っています。その道に沿ってほぼ等間隔に掘られた5、6個の防空壕が残されていました。

とてつもなく怪しいまるで化け物のような人物が、最近そのうちの一つを住処にしている・・・私はそう理解しました。

一人になった帰り道、小さな商店の向かい側に物置代わりに使われているやはり防空壕があります。私はそこを横目で見ながら足を速めます。
その時、「防空壕」への認識が明らかに昨日までとは違ったものになっている事に気づきました。
「防空壕」は遊び場ではなく隠れる場所、身をひそめる場所だったのです。
昼間でも闇を抱えた穿たれた穴の中から、何かが私をじっと見つめ始めました。


HBの鉛筆の線が真っ黒ではないように、夜は真の「闇」ではありません。
月が昇るし雲も流れます。月の出ない夜は目が慣れると満天の星空が広がります。
「闇」は昼夜を問わず一切の光を拒絶し空気さえ重く澱む、そういう場所なのです。

私は何の力もない一人の子供でした。
「防空壕」への認識が変わった時から、私は「闇」を恐れ「闇」の中に潜む何者かを想像し震える日々を確かに手に入れたのです。

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (5)

第一話「防空壕」 中編
郵便番号もバーコードも、ゲーム&ウオッチもまだ影も形もないアナログな時代、1960年中頃です。私は小学校2,3年生だったでしょうか。
遊びはたいがいが外。駄菓子屋に入りびったたり、野山を歩き回ったり、一番の遊び場は小学校でした。
今と違って当時の田舎の学校には塀やフェンスがなく、放課後はもちろん休日でも校舎内以外はどこでも出入りが自由でした。退屈したら小学校へ行けば誰かが居て、集まって何かが始まる。缶けり・鬼ごっこ・土団子作り・・・・
同級生だけではなく時には上級生とも遊んだりして色んな事(遊びの工夫や悪さまで)を教わりました。言わば学校は交流の場所であり、情報交換の場所だったのです。

その日もグラウンドで何かの遊びに興じていた私達。
と・・上空を爆音を響かせて飛行機が通過します。一人の上級生がそれを見て手を振りながら「ガム放ってェ~」(ガムを投げてくれの意)と叫び走り出しました。
側にいた私達もつられるように「ガム放ってェ~」と叫びながら走り出します。
飛行機はあっという間に小さくなり、見えなくなりました。
何の意味なのか知らずに繰り返していたこの遊びですが、「ギヴ・ミー・ア・チョコレート」。進駐軍に施しを求める行為だったのだと後に知りました。
本当の意味も知らずただ真似る事だけで子供の遊びとして伝承されていたわけです。
しかし大声を出しながら飛行機を追いかける、ただそれだけで結構楽しかった思い出があります。

「防空壕」の話に戻ります。
そんな日常のとある夏の午後だったでしょうか。
町中を友人と歩いていると、山の迫った民家の裏手の岩盤質の場所に掘られた防空壕の前に数人の上級生が居て、しばらくして入っていくのが見えました。
何か遊びが始まる予感がして急いで近づき穴の中を覗いてみると、暗闇にロウソクの灯りが一つともります。
「あ、なんじゃお前ら」
交渉の末、邪魔しないことを条件に中に入れてもらい彼らの「遊び」の一部始終を見る事ができました。

一人がどこから集めてきたのかポケットからいくつものセミの抜け殻を取り出し、あちらこちらの岩のくぼみに小さいロウソクと一緒に飾り始めます。
しばらくすると防空壕内全体が奇妙な祭壇のような場所に変貌していました。
ロウソクの灯りが揺れるたび幻想的な影が壁一面に踊ります。
「どーや」
私と友人は黙っていました・・・

意味などないのです。
全ては意味のない遊びでした。

次回、後編に続く