ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (14)

第三話「秘密基地」 その三
「セブンのカプセル怪獣は全部でいくつあるん?」
「さあーわからん。そやけどダンが持ってる箱の中にカプセルが四個か五個入ってたで。」
「なんや・・お前も何でも知ってるわけやないのか。」
「・・・ウルトラマンの事やったらわかるけど、セブンはようわからん。」

他愛のない会話を交わす二学期が始まったばかりのけだるい教室の休み時間。

当時、世界は冷戦の最中。「ベトナム戦争」への米軍の介入によって日本でもその報道の頻度が日増しに上がっていました。
空想科学特撮ドラマ「ウルトラマン」の後番組として放送が始まった「ウルトラセブン」のいくつかのエピソードはおそらくその影響を受けており、小学生の私には難解で深刻なものに感じることも多く、「ウルトラマン」ほど手放しで夢中になれなかったのを覚えています。
話が途切れ、話題が尽きた瞬間を私は待っていたようです。
人に聞いてもらいたくて仕方のない事が胸中にあったのです。
「基地。作ったんや。」

「えっ何それ?」
「二階建てで、はしごもついとる。緊急出動用のロープもあるぞ。」
「おおっなんかすごそうやな。」

夏休みも終わろうという最後の数日、宿題用だったのか私は同級生たちの昆虫採集につき合って野山を歩き回っていました。
町の中心は港に面した平地にありましたが、そこを取り囲むように見晴らしの良い台地が二つの岬と豊かな自然とともに広がっていて、畑や中学校、灯台や観光施設もこの場所にありました。上ったり下ったりは大変でしたが、こういう台地の起伏が景観に生命を与えるのだと今は感じます。

私は昆虫採集は苦手でした。やったことはありましたが捕まえた蝶やセミを殺せなかったのです。標本を作るには致命的な資質です。
私は捕虫網を振り回す数人と距離を取り、林に沿った道をフラフラと手持無沙汰に歩いていました。
と前から、中学生の一団が向かってきます。その中に私のいとこのお兄さんがいるではありませんか。
例によって何か面白いことが始まる予感がしました。少し年上のお兄さんたちは私の想像を超える遊び上手が揃っていたのです。

私は彼らについていく事に決めました。

次回へ続く

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (13)

第三話「秘密基地」 その二
「白い闇」について書き進める前に「トンネルの顔」について触れておかなければなりません。

まだ夏の盛りの頃でした。
まるで山全体が鳴いているのではと錯覚してしまうほどのセミの大合唱を聞きながら、私と友人は自転車を押しながらどれどれ坂を上っていました。その先には例のトンネル。
「トンネルや。トンネルの中はひんやりして涼しいぞ。」
「・・・・・・」
流れる汗をそのままに私はただうなづいて返します。

既に私はトンネルで目撃した顔の正体を知っていました。
幾度となくバスで行き来するうち、やはり「顔」はそこにあって単なる落書きであったことがわかります。
一度、歩いて通り抜けた際まじまじとそれを観察してみると1メートル余りの高さの内壁に4、50センチの大きさで、拾った石でも使ったのか荒々しく削ったように丸い輪郭と吊り上がった両目、ギザギザの歯がむき出しになった口が描かれていました。
至極単純で稚拙な絵です。

しばらくして私は絵から顔を背けました。
私にとってそれはとてつもなく「嫌な絵」に思えたからです。
何の迷いもない線の勢いが迫ってくるからか、何らかの悪意が感じ取れたからか、はっきり言えませんが、例えばショッキングな「心霊写真」を見せられた時の感覚に似ています。
長く見つめていると一生脳裏から離れなくなるのではないかと思わせる、そんな負の力を感じたのです。

(誰が描いたん・・何のためや・・・)

正体が知れてもすぐにまた次の謎が輪をかける・・それが現実です。
現実は、本の物語やテレビドラマと違ってたくさんの謎を振るだけ振って完全なる答えを何一つ用意していないのです。
完全なる答え、解決がないものに「安心」は永遠に訪れないでしょう。

幼い私にはなす術のない壁のような現実の姿です。

山が迫り日陰となってトンネルの入り口が現れました。
「ひぇー。やっぱり涼しいわ!」
友人の声がトンネル内に反響します。
「ホントや・・」
「ひゃっほー!ほぉおー!」
暑さから逃れられた喜びからか、友人は奇声を発しながら自転車にまたがり走り出しました。私も追いかけるように続きます。
入り口からトンネルの三分の一ほどいった所の左側の壁を通り過ぎる瞬間、私も叫びました。
「わああぁぁあぁぁ!」
私の声も反響し私自身の耳にも届きましたが、その残響の最後の刹那、臆病な私を嘲る「顔」の笑い声が聞こえた様な気がしました。

次回へ続く