ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (22)

別冊付録「記憶の中のプラモデル」
私は小学校の頃、プラモデルの「組み立て説明書」の事をなぜか「設計図」と呼んでいました。
何かのテレビ番組の影響なのか、おそらくそう思い込む原因があったのでしょうが今では突きとめようがありません。しかし「設計図」という言葉からは、より高度な技術が必要な精密でハイレベルな模型に憧れ果敢に挑戦していこうとする当時の自分の気持ちが感じとれるのです。

近年「サンダーバード」のリニューアル版やよりリアルに再現された「ウルトラホーク1号」などのキットがたくさん販売されていますが、今回取り上げるのはおそらくもう二度と陽の目を見る事はないであろう、更に言うなら誰もかえりみる事はないであろう「だからこそ愛おしい記憶の中のプラモデルたち」の事です。

最初は「国立競技場」のプラモデル。1964年の東京オリンピックが終わりしばらくしてから出回り始めたキットです。価格は100円ほどだったでしょうか。こんなものが出ているんだという気持ちで購入しました。パーツは少なかったのですが聖火台が別パーツになっていて、それを接着する時は開会式の映像が頭の中に浮かび興奮したものです。聖火リレーの最終走者が昇っていった通路や観客席も甘いながらも再現されていました。
今手に入ったのなら着色してグラウンド部分にウルトラマンの怪獣「アボラス」と「バニラ」のフィギュアを配置するのに‥などと考えます。
2020年の東京オリンピック、新国立競技場が完成してもプラモデル化される事はおそらくないでしょう‥‥。

二つめは「第四話 死体」でも触れた「アポロ11号」のプラモデルです。私はアオシマ(青島文化教材社)から発売されていた1/48スケールの月着陸船「イーグル」を組み立てました。組み立てるという事はものごとをより深く理解する事だと実感できたキットです。
ハッチが開閉し、台座の部分と操縦席の部分が離陸時の時のように分離できました。宇宙服姿のフィギュアも付属していて、ラダーの側に立たせて月面に第一歩を踏み出したシーンを再現したものです。
他に司令船などの大小様々のバリエーションも登場し一つ二つ買い求めました。
タミヤ(田宮模型)からもサターンロケットやドッキングした状態の月着陸船と司令船のキットが出ていたようですが残念ながら私の田舎では手に入れる事はできませんでした。
また「ケロッグ」のコーンフレークの箱におまけとして封入されていたキットがありました。これが小さいわりにはよくできていてバリエーションも豊富で、一生懸命集めたのを覚えています。
サターンロケットや司令船の事をご存じない方は、トムハンクス主演の映画「アポロ13」をご覧になると良いでしょう。

最後は「原子力船むつ」のプラモデルです。軍艦ではなしに観測船なのですが、色や形は南極観測船と似ていました。放射能漏れで母港に帰れない事態になったことが報道されていたのを覚えていて、不遇の運命の船といったイメージです。
メーカーは不明ですが、原子力ではなしにゼンマイで動くキットでした。ちなみに「むつ」の名前はむつ湾もしくはむつ市からきているのでしょうが、この頃から青森県は原子力政策の一部に関わっていたのだなあとあらためて思いました。

まだまだ記したい事は尽きませんがまたそれは別の機会に‥‥

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (21)

第四話「死体」 その二
見事に一刀両断された頭が一列に幾つも並べられます。辺りには腹を裂いて、湯気の立つ内臓がドロリと出てきた時の独特の臭気が未だ立ち込め、洗い流された血で海水が一面真っ赤に染まっていくのです・・・・

これは私が幼い頃から幾度となく見てきた、町の港の市場にゴンドウクジラが水揚げされた時の光景です。
町は「古式捕鯨」発祥の地でもあり、私が小学校の頃も近海での捕鯨が脈々と続けられていました。
足が速く船首に銛(もり)の発射台が装備されたキャッチャーボートが現役で稼働していたし、独特の方法で行う「追い込み漁」も盛んに行われていました。クジラが音に敏感であることを利用します。群れで行動している小型のクジラの集団を小型船数隻で取り囲み、「船のヘリを叩いて音を出す」事で巧みに誘導していき、港の湾や近くの入り江に群れごと追い込んで網で囲い込むのです。

クジラは大まかに「歯クジラ」の仲間と「髭クジラ」の仲間に分けられます。
前者は主に小型のクジラでゴンドウクジラもそれです。字のごとく口に歯がありイルカやシャチなども含まれます。マッコウクジラがこの仲間では最大の大きさ。
髭クジラは大型で、上顎に板状の髭が縦に並んでいてオキアミ(小エビ)など海中に漂う群れをそのまま口の中に入れ、海水だけを吐き出す方法で捕食します。ミンククジラやセミクジラ、ザトウクジラ、ナガスクジラが有名です。シロナガスクジラは哺乳類最大の大きさです。

近年「捕鯨」は保護の観点から世界的に全面禁止に傾く現状ですが、それはまたの機会に触れる事として、古来からクジラは町を潤す貴重な食料で、肉や内臓、皮にいたるまで「捨てるところがない」といわれていました。牛肉などが高価だった頃のタンパク源として、全国の学校給食でも利用されました。
当時私が見ていた光景もクジラが哺乳類であり高い知能を持つという事を除けば、マグロやサメなどの魚の解体と何ら変わりはなかったのです。

ただ港の海面を染めていく真っ赤な血の色彩は、幼い私に強烈なイメージを与えたことは間違いありません。

次回、別冊付録の予定です。