ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (34)

第五話「月の石」 その六
日本万国博覧会「アメリカ館」に展示されていた、アポロ12号が持ち帰った月の石を観た来場者の感想。テレビのインタビューに皆さん口を揃えた様に答えます。
「ただの石だった‥」
行列を作って、長い待ち時間を経て観せられたものが「何処かに転がっていそうな灰色をした石片」だった事への皮肉まじりの言葉なのか、マイクを向けられて気の利いた返答をしたつもりだったのかそれは判りませんが、私は素直に観て良かったと思いました。観れたのは「月の石」だけではなく、「月の石を目当てに集まって来たたくさんの人々」だったのです。

私達が日常を生きているだけで、様々な知識が脳に蓄積されていきます。
学校で教わった事はもちろんテレビで知ったり人に聞いた事、万博を観に行った特別な体験の知識などもそうです。
幼い頃はそれらが脳の中で混沌と漂っていてさほどの意味を持たない状態ですが、ある日突然知識の幾つかが互いに引力を持って結合していく瞬間があります。例えるなら、H(水素原子)二つとO(酸素原子)一つが結合してH2O(水分子)となり、さらに水溶性の高い別の物質がやはりくっついたり溶け込んだりしていく、時には光や熱の作用を受けてより複雑な分子構造を形成する事もあるでしょう。
つまりは、ばらばらで無関係に見えた幾つかの知識が体系付けられ意味を持ち始めるのです。

「月の石」とは何だったのか?

小学六年生の私が体験し脳に刻み込んだ知識は、後に引力によって引き寄せられた数々の知識と結び付き特別な意味を持ちました。
冷戦真っただ中の「万国博覧会」。その会場内には、真白いエアドームの「アメリカ館」と先の尖った真赤な建物の「ソ連館」が共存していました。

「三菱未来館」を出て、「アメリカ館」と「ソ連館」を続けて観覧した二日目後半。
両館を対比しながら記していく事で、「月の石」の意味が見えてくるはずです。

次号へ続く

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (33)

第五話「月の石」 その五
日本万国博覧会(大阪万博) 二日目。
朝、入場した時にはすでに会場内はたくさんの人でごった返していました。マップを頼りに歩き出します。「動く歩道(水平型のエスカレーター)」に乗りました。高い所をモノレールが走っています。様々なコンセプトで建てられたパビリオンの中でひと際目を引いたのは、どういうわけか日本建築の七重塔(古河パビリオン)でした。昨日よりは冷静に場内を観察出来ています。
ようやく目当てのパビリオンに到着。その日最初に並んだのは「三菱未来館」でした。

「三菱未来館」は企業館の中で最も人気の高かったパビリオンで、先に修学旅行で体験済みの兄からのアドバイスも「あそこは観とけ」でした。
それに「未来」や「科学」などの言葉は子供の私にとっては魔法の呪文の様な響きをもっていて、否が応でも期待はふくらみます。

思っていたよりも早く待ち時間40分程で入館できました。
移動式の通路に乗り、薄暗い館内のいたる所に多面的に設置されたスクリーンに映し出される「未来世界」を観て回りました。
それらのひとつひとつが良く出来た特撮映像で、さらにちゃんとしたストーリーもあって、後で知った事ですが、当時の「東宝」の特撮スタッフ(制作は田中友幸,特技監督が円谷英二、音楽もなんと伊福部昭というゴジラ映画を世に送り出してきた方々)によって創られたものだったのです。

私が今でも覚えている一つは、こんなお話でした。
日本の南方海上に台風が発生し、発達しなっがら接近してきます。
報告を受けジェット戦闘機らしき機体が台風に向かって飛び立ち、台風の目に爆弾の様なものを投下するのです。
その効果か、台風は跡形も無く消滅していきました。

「そうか‥近い将来、台風は来なくなるんだ‥‥」
小学六年生の私は本気で信じてしまいました。
万博開会の日、「敦賀原子力発電所」の一号炉が営業運転を開始し、開会式の会場へ電気が送られました。
「科学万能の世の中」の到来を夢に見る事ができた時代だったのです。

次回へ続く