ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (36)

第五話「月の石」 その八
日本万国博覧会(大阪万博)二日目、「アメリカ館」「ソ連館」を観終えて遅い昼食をとったのは3時頃だったでしょうか。
二泊三日の大阪滞在と言っても三日目は買い物して帰る予定になっていたので、観覧できるのは後数時間です。
とりあえず観ておかなくてはと次に並んだのは最大級の展示館だった「日本館」でした。

「日本館」は、万博のシンボルマークに模して造られていました。中央には塔、五枚の桜の花びらの様に五つの丸い建物がそれを囲みます。1号館から5号館までと盛りだくさんです。1号館は日本の過去を、2、3号館は現在を、4、5号館は未来を、それぞれイメージした展示だったと記憶しています。
小学六年生の私には少々退屈な内容でしたが、実際と同じ原理で走る結構大きめのリニアモーターカーの模型と、5号館のとにかくでかいスクリーンは印象に残っています。

「日本館」を出た後はあちこち歩き回って会場内の雰囲気を味わい、待ち時間なしで入れるパビリオンにいくつか入って残り時間を精一杯有効に過ごしました。

印象的だったパビリオンをいくつか‥
「せんい館」の外観は奇妙でした。建設作業用の足場が組まれたままで、足場の上には作業員とカラスの人形が配置されていました。横尾忠則氏のデザインによるものだったと後に知りました。

「松下館」(松下電機は現パナソニック)に展示されていたタイムカプセル。平らな蓋と三本の短い足が付いた金属製の丸いツボで、「5000年後にひらく球」と言うキャッチコピーが目を引きます。1970年の5000年後は6970年です。その頃人類はまだ滅びていないだろうかとぼんやり考えました。今は実物が大阪城公園に埋められているそうです。
この展示の影響はすさまじく、70年以降全国の小学校や中学校の敷地内にどれだけのタイムカプセルが埋められたことか‥‥

やがて日が暮れ、光のオブジェの様な「スイス館」がひときわ異彩を放つ頃、私は会場を後にしました。

次回、第五話「月の石」完結です。

 

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (35)

第五話「月の石」 その七
日本万国博覧会(大阪万博) 二日目後半。
二時間近く待ってやっと入れた「アメリカ館」、それよりも楽に入館できた記憶のある「ソ連館」。ちなみに開期中のパビリオン別入館者数一位は「ソ連館」、待ち時間がたたったのか「アメリカ館」は三位でした。

「アメリカ館」「ソ連館」共にメイン展示は言うまでもなく宇宙開発に関するものです。
「アメリカ館」はサターンロケットを始めアポロ宇宙船、宇宙服など当然全て本物です。そして厳重なショーケースに収まった月の石。
「ソ連館」はソビエト宇宙船の代名詞ソユーズや、1961年ガガーリンを乗せ世界初の有人宇宙飛行に成功したボストーク1号などです。
大小様々な宇宙船や備品はどれも使われた感じで汚れていて、逆にそれが本物である事を実感させました。メディアで幾分見慣れていた感のあるアメリカの展示物に比べソビエト製のものは新鮮に映り、深く印象に残ったのを覚えています。今で言うなら、「工場萌え」とかに近い感覚があったのかもしれません。

宇宙開発競争を繰り広げていた両国の展示は、大阪万博のテーマ「人類の進歩と調和」に相応しいいかにも平和的なものに感じますが、忘れてはいけないのは当時はまだ東西冷戦のただ中、アメリカ合衆国は資本主義陣営のリーダー、ソビエト連邦は共産主義陣営のリーダーであった事です。

第二次大戦終結後の覇権争いは、1949年(朝鮮戦争勃発の前年)ソ連が核実験に成功して両国が核保有国となり、核を搭載した長距離弾道ミサイルの開発と配備を競う新たな展開をみせる事となります。
弾道ミサイルの開発は高性能ロケットの開発に他ならず、世界初の大陸間弾道弾(ICBM)は1957年ソ連のR-7で、これは初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに使用されたロケットと同じものだと聞きます。
つまり軍事兵器と宇宙開発の技術は、まったくの同次元に存在するものだったのです。

一見、人類の輝かしい未来へつながるイメージの宇宙開発。
万博での両国の宇宙船の展示は、自国の優位を世界の人々にアピールする恰好の宣伝材料だったのかもしれません。
「月の石」は‥‥宇宙開発競争における究極のトロフィーと言ったところでしょうか。

次回へ続く