ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (40)

別冊付録③ 「悲劇と迷走のオリンピック」その二

1966年に放送された特撮ドラマ「ウルトラマン」の第19話「悪魔はふたたび」に、二つの怪獣、赤い色をしていて火を噴くバニラと青色で溶解液を吐くアボラスが登場します。

彼らはそれぞれカプセルに封じ込められていましたが、ある夜別々の場所で甦り街を破壊しはじめます。そして互いに引き合う様にして移動し、出会った決戦の舞台が1964年東京オリンピックのレガシー、旧国立競技場だったのです。

赤い怪獣と青い怪獣がオリンピックスタジアムを破壊しながら対決する‥‥。
今回は、東西冷戦の影響を受けたオリンピック、1980年のモスクワ大会と1984年ロサンゼルス大会について記してみたいと思います。

モスクワ大会は共産圏、社会主義国での初めてのオリンピックでした。
大会公式マスコットの熊「ミーシャ」はアニメにもなりよく覚えています。
ところがオリンピック前年の暮れに起こったソ連のアフガニスタン侵攻の影響で思わぬ事態に陥ります。
アメリカがソ連の行動に抗議し、大会のボイコットを呼びかけたのです。西側陣営の国々が次々とそれに追従します。日本も例外ではありませんでした。
日本政府が不参加を正式に決定しJOCが苦渋のすえ不参加発表をした時、日本選手団の代表選手は皆泣いていました。その涙は、四年間目標にしてきたものが直前で政治のかけ引きによって失われた紛れもない悔し涙だったのです。

東側の報復は4年後のロサンゼルス大会に向けられました。
今度はアメリカ軍のグレナダ侵攻に抗議する形で、東側諸国がボイコットしたのです。

ロサンゼルスオリンピックは。華やかに開催されました。
日本でも全てが中継され、従来の大会と何ら変わりがない様に見えたのは、アメリカの巧みな演出だったのかもしれません。

世界で今も起こる対立や戦争を解決できるのは、もしかしたら地球の外からやって来た「ウルトラマン」の様な存在なのでしょうか?‥‥

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (39)

特別付録② 「悲劇と迷走のオリンピック」その一
第五話「月の石」の前半で触れた1964年の東京オリンピックから2016年のリオデジャネイロオリンピックまで、夏の大会だけでも十四のオリンピックが私の人生を通り過ぎて行った事になります。

本来スポーツの祭典であるはずのオリンピックですが、突如としてとんでもない事態に陥ったり、政治的影響を受けて右往左往する様を何度か見て「これがオリンピックの現実だ」という事を痛いほど思い知らされました。
今回はそんなオリンピックについて記してみたいと思います。

1972年ミュンヘンオリンピック。
開催数か月前から始まった「ミュンヘンへの道」というアニメ番組がありました。実写を交えたドキュメントで、ミュンヘンでメダルを目指す日本男子バレーボールチームの成長を追います。
AクイックやBクイック、一人時間差などの攻撃方法を発想し実践していく過程などは非常に面白く、当時のチームのレベルからいってもメダル獲得の期待は番組が回を重ねるごとに高まっていきました。
オリンピックが始まり、実際日本男子バレーボールチームは勝ち進んでいきました。私も可能な限りテレビで観戦し、熱くなったのを覚えています。

そんな時、突然事件は起こりました。

選手村にパレスチナゲリラが侵入、イスラエル選手団を人質にとり宿舎に立てこもったのです。彼等はイスラエルで収監中の仲間の釈放を要求します。
しかし西ドイツ(当時)政府は特殊部隊によるゲリラ排除を決定、要求に応じるふりをして脱出用の飛行機を用意し狙撃手を配置して、人質を連れヘリで移動してきたゲリラ達を待ち伏せします。
結果、人質9名全員が死亡という最悪の事態となりました。
宿舎突入時に殺害された2名と合わせて、イスラエル選手団11名がテロの犠牲となったわけです。

ニュース映像で繰り返し何度も流れたのは、開会式で国旗を掲げ少人数ながら晴れがましく入場行進するイスラエル選手団の姿でした。
オリンピックスタジアムでは全てが半旗となり、オーケストラの奏でる悲痛な音楽の中、追悼式が執り行われました。

追悼式の中継を観ながら、私はこのオリンピックが中止にならない事を願っていました。4年に一度のオリンピックはやはり特別だったし、バレーボールの結果を最後まで見届けたかったからかも知れません。

IOCの決定は、「テロに屈する事なく続行する」でした。
一日以上の中断の後競技は再開され、日本男子バレーボールは見事金メダルを獲得しました。

私の記憶には、日本男子バレーボール活躍の試合とイスラエル選手団の入場行進は今も必ずセットで存在しています。

次回へ続く