ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (46)

最終話「夕暮れ」 その六
三島氏の膨大な著作の中に、「憂国」と言う短編小説と、「行動学入門」と言うエッセイがあります。
この二冊は、「三島氏の進んで行った道」が一体何だったのか、探りあてて辿ってみる時の、いくつか存在するであろう「道標」の様なものだと思っています。
さらに、三島氏が演者(役者)の一面を持っていたことも、道標のひとつであるかもしれません。

決起を呼びかける演説を終え、最後の演壇となったバルコニーから総監室に戻った三島氏は、すべては予定された行動だったのでしょうか、割腹自決します。
正座をして短刀を構える三島氏。同行した盾の会のメンバーのM氏が、関ノ孫六をやはり構えて後ろに立ち、介錯を務める・・そんな様子がありありと目に浮かぶのは、私達が時代劇などで幾度となく型にはまった切腹シーンを観てきたからでしょうが、後に知った細かな情報では、M氏の介錯がなかなか上手くいかず、最後のひと太刀は他のメンバーの手によるものだったそうです。何とも残酷で痛々しい、それが紛れもない現実だった様です。三島氏が絶命し、M氏もすぐに同じ作法で後を追います。
残された盾の会の三名は、ふたりの遺体を整え、切り離された首を置きます。そして総監を拘束から解き、建物を取り囲んでいた警察に総監を伴って投降するのです。事態は、驚くべき結末の波紋を広げながら終息します。

報道で事件を知り現場に駆け付けた、三島氏と親交のあった川端康成氏は、報道陣に囲まれ、切実な言葉を残しています。

「もったいない死に方をしたものです。」

事件の翌日の朝に話を戻します・・・・
学校に到着し教室に入った私は、誰かに問いかけたい衝動を抑える事ができませんでした。
ランドセルを机にかけると、傍にいたクラスメイト(誰だか忘れた)に唐突に話しかけます。
「新聞見たか?」
「はあ??」
「新聞の写真見たか?」
「何や、いったい・・・」
私はその時、他の家がA新聞を購読しているとは限らないと言う事や、他社の新聞の写真が別のものである可能性に思いが至りませんでした。
「新聞の写真がどうした?」

「・・・・人の首が写ってた・・・・・・・気がする・・・」

次回へ続く

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (45)

最終話「夕暮れ」 その五
学校への道すがらも、「写真」の事が頭から離れませんでした。
もしかしたら自分は、大変なものを目にしていたかも知れない‥‥。

事件は、三島氏が「盾の会」のメンバー四名を引き連れ、自衛隊市ヶ谷駐屯地に東部方面総監を訪ねることで幕を開けます。
「盾の会」は、三島氏自らが立ち上げた民兵組織。組織結成を目的として三島氏は若者達と共に自衛隊体験入隊を定期的に繰り返しており、総監訪問は決して不自然な行動ではなかった様です。
皆、「盾の会」の制服を着て、三島氏は軍刀仕様にした「関ノ孫六(真贋は不明)」を所持、他に短刀なども持ち込まれたはずです。

総監室に通された三島氏らは、総監と暫く談話し、機を見て行動に出ます。
総監を椅子に縛りつけて拘束し、総監室の出入り口にバリケードを築きます。総監を人質に立てこもったのです。

総監室のただならぬ気配を察した幕僚らが中に入ろうとし、バリケードに気がつきます。体当たりなどで入室しますが、乱闘となって刀などで自衛隊員数名が負傷、総監人質の事もあって彼らは一旦退散します。
この後、自衛官を本館正面玄関前に集合させるよう三島側から要求書が出され、自衛隊側はそれを受け入れるのです。

皆さんも恐らく一度はご覧になった事があるであろうニュース映像。本館バルコニーから、集められた数百名の自衛官に向かって演説をする三島氏の姿です。
自衛隊の現状を嘆き、憲法改正のために自衛隊自らの決起を呼びかけたものですが、記録音源も存在していて、頭の回転が速いせいか大蔵省官僚経験者だからなのか、三島氏の声は早口でまくし立てる印象があります。
実際現場に居合わせた方の話では、上空を舞う報道ヘリの音と、集められた自衛官らの野次と怒号で、何を言っていたのかほとんど聞き取れなかったそうです。

私はこのニュース映像を見て、見る度に、強く感じる事があります。
檀上(バルコニー)で檄を飛ばす三島氏と、要求によって集合させられた自衛官らとの間のあまりにも顕著な温度差です。
およそクーデターなどと言うものは、政治的社会的背景の流れを受けて、組織の内部から徐々にその機運が醸成され、事に至ると考えます。
三島氏は、文字通り命を賭して呼びかけた声が、耳を傾ける準備が出来ていない聴衆に即効的に浸透すると、本気で考えていたのでしょうか‥‥。

次回へ続く