創作雑記 (4)

「タイムカプセルの夜」はエンディングに向けてあと一息ですが、今回はお休みをいただいてアニメについて書いてみます。

おそらく新型コロナウイルスの影響でプログラム変更されて始まった、NHK総合「未来少年コナン デジタルリマスター版」全26話の放送が先週終了しました。
1978年の初めての放送以来、久し振りに全話を通して拝見しましたが、やっぱり面白かった(実はほとんど忘れかけていたので尚更ですが)です。やっぱりすごく「宮崎駿」でした。
特に第19話の「大津波」辺りから俄然面白くなり、「太陽塔」「ギガント」「インダストリアの最期」は怒涛の展開で、久々にワクワクしました。

1978年当時観ていた頃は、作っているスタッフの事は知識が無かったので、「宮崎駿」については何も知りませんでした。
1979年上映の映画「ルパン三世 カリオストロの城」を観に行った頃からやっと、宮崎駿監督の存在を認識していった様に思います。
「カリオストロの城」を観に行ったのも、ルパン三世テレビ第1シリーズ(1971年放送)の「緑色のジャケットのルパンが帰って来る」と言う思いでした。当時放送されていた「赤いジャケットのルパン」よりも面白かった印象があったからです(赤いジャケットのルパンでも、「死の翼アルバトロス」と「さらば愛しきルパンよ」は、後に作られた宮崎監督の作品)。
「カリオストロの城」は面白かったです。シネコンはまだ無く、席の入れ替えもまだ無かったので、昼間渋谷の映画館で大学の同級生と二人、二回続けて観たのを覚えています。館内の客は私達と中年のおばさんの二人連れの全部で四人だけ。二回目は私達だけ。あんなに面白かったのに、「カリオストロの城」は入らなかったみたいです。同時期に公開されていた「戦国自衛隊」の戦車(本物では無しに映画用に作られた61式)に人気を持っていかれたのだと言われています。
宮崎駿監督の作品として一般にはっきり認知されるのは、1984年公開の「風の谷のナウシカ」以降だったかも知れません。

話を「未来少年コナン」に戻します。登場するメカが独特、破壊や爆発シーンもやはり独特のリアリティー。映画「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」に通じるものがふんだんにうかがえます。トルメキアの飛行艇?がスクリーンに登場した時、ギガントを思い浮かべたのは私だけではないはずです。
特に今回、改めてその魅力を強く感じたのはキャラクターでしょうか。コナン、ジムシ―、ダイスは言うまでもありませんが、良いのは悪役の「レプカ」です。後の映画の「カリオストロ伯爵」や「ムスカ」もそうであったように、彼らに存在感と説得力があるからこそお話が面白くなるのです。また、「モンスリー」の立ち位置が良いです。インダストリアの組織のナンバーツーで、コナンを何度も殺そうとしますが、彼の能力を高く評価していたのもモンスリーです。子供の頃の先の戦争で全てを失い、戦争を始めた前の世代を憎んでいます。そんな彼女ですが、コナンの真っすぐさにいつしか心を開いていく。そんな彼女の描写が、ストーリーに奥行きを与えているのだと気づかされました。

今回はこの辺にしておきます。

創作雑記 (3)

今回は、新型コロナウイルス感染の影響下、思わぬ形で再会したテレビドラマについて記してみたいと思います。
三月下旬或いは四月上旬頃からだったか‥緊急事態宣言の中、各放送局が撮影の滞った連続ドラマの枠の差し替えに使った古いタイトルの「編集特別版」なるものが、いくつか放送されていました。
その中の一つに、「野ブタ。をプロデュース」があったのです。
出演は亀梨和也、山下智久、堀北真希。脚本は木皿泉。最初の放送は2005年、日テレ系夜九時からで、今回と同じ枠でした。
思いがけない再会に感慨を覚え、結局最終回まで観させていただきました。

脚本家の木皿泉は、御夫妻の共同ペンネーム。私が最初にその名を認識したのは、2003年やはり同じ枠で放送された「すいか」でした。私は痛く気に入り、私的に丁度辛い時期ではありましたが毎週その時間だけは幸せな気持ちになれたのを覚えています。
ユーモアとウイットに富んだエピソード。どんな奇抜な設定においても、日常から離反せず地に足がついていて、社会の中に潜んでいる毒や不条理から決して目を背けること無くストーリーは綴られていきます。まるで、「生きるってのは‥・こういうことだろ?」と囁かれてるみたいでした。
「野ブタ。をプロデュース」然り、2010年放送の「Q10(キュート)」もまた然りでした。

創作雑記に何故こんなことを書いているかというと、テレビドラマにしろ小説にしろ、偶然の出会いの積み重ねが、いつの間にか創作の糧(かて)やエネルギーになっていると今回感じたからです。

そしてもう一つ。昔のドラマでは無いですが、こちらは新型コロナウイルス関連のNHKの特番「ウイルスVS人類3」を視聴した時の心動かされた出会いです。
番組は百年程前の世界的なパンデミック「スペイン風邪」を扱ったもので、1918年には日本でも45万人の死者が出たそうです。
スペイン風邪で人生観を変えられたという与謝野晶子の一文が、そのエンディングで流れました。
歌人、作家、思想家であり、数々の評論を残した女史の次の文章は、当時と重なる今の世情に対するあまりにも的確な提言に聞こえて、聞き流すことが出来ませんでした。そのまま引用させていただきます。

私は今、この生命の不安な流行病の時節に
何よりも人事を尽して天命を待とうと思います。
「人事を尽す」ことが人生の目的でなければなりません。
私達は飽迄(あくまで)も「生」の旗を押立てながら、
この不自然な死に対して自己を衛ることに
聡明でありたいと思います。