悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (265)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百五十

「 一緒に行くに 決まってるでしょ 」

ぼくの左腕に巻きつけられたセナの両手に更に力が込められて深く絡みつき、ぼくと彼女の体がピタリと密着した。
「 こうすれば、あなたがどこへ行こうと‥、たとえ見えなくなったとしても、絶対に逸(はぐ)れはしないでしょ? 」 ぼくの目と鼻の先に身を落ち着かせたセナは、ぼくを見上げる様にしてそう囁(ささや)いた。戸惑い気味に顔を向けたぼくのすぐ目の前には、曇りなくただ真っすぐな光だけを透(す)かす彼女の瞳が輝いていた。

「 そっ そうか‥ 分かったよ 」 ぼくは素っ気(そっけ)なくそう答えただけだったが、心の中では熱いものが込み上げていた。
この世界のぼくにとって、自分の行動に少しでも迷いが生じたり疑い出すことが、結果としてどう作用してしまうのかは今は十分に理解できているつもりだった。しかし実際には、自分を信じ切ることはやはり難しかったのだ。だから、自分と行動を共にするセナの安全を絶えず考慮しなければならないことは、更なるプレッシャーを生み、ますます判断を迷わせる要因になりかねないと思っていた。
しかし意外にも、セナの今しがたのアプローチが、ぼくにとって全くのプラスに働いていることに驚いた。彼女から発せられたポジティブでエネルギッシュな追い風が、ぼくの迷いや疑いをきれいさっぱりと吹き飛ばしてくれた気がしたのだ。
ぼくはすぐさま、ぼく自身に改めて問いかけ、確認していた。ぼくの右腕が肩口まで消えて見えなくなった板壁(いたかべ)のこの部分が、言わば『空間の裂け目』。つまり、いつまでも出られないでいた直線通路からの『隠された脱出口』に間違いないのだと言うことを‥‥‥‥

「 行こう‥ 」 ぼくは、もはや迷ったり揺らいだりしない三文字の言葉で、セナに合図を送った。
「 はい! 」 セナは元気にそれに答え、首を竦(すく)めるみたいな仕草(しぐさ)をして目を瞑(つむ)った。
板壁の前で消えかかっている右肩口を更にそこに押しつけていく感覚で、ぼくは前傾(ぜんけい)していった。同時に左足でしっかりと地面を蹴って、体全体を前進させた。右肩が吸い込まれる様に消えていき、すぐに顔が板壁にぶつかりそうになった直前、反射的にではあるが、ぼくもセナと同様に目を瞑ってしまっていた。
そして次の瞬間だが‥‥ ぼくの顔が、壁にぶつかることは無かった。

よし! 『空間の裂け目』を無事通過できている!
ぼくは出した左足に体重を乗せていき、透かさず次の右足で地面を蹴った。

前進する。前進する。前進する。ぼくの体には何の抵抗も、痛みや違和感も無かった。
ぼくの左腕に両腕を巻きついて密着しているセナの体の感触も、失ってはいない。彼女もちゃんと一緒に来ている。

よし! このまま前進だ!

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (264)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百四十九

「 セナッ!! 」
ぼくは叫んでいた。しかしその叫びは、彼女に助けを請(こ)うものでは決してなかった。

セナはさっきから、すでに傍(かたわ)らにいた。
ぼくが少しだけ首を回して様子を窺(うかが)ってみると、彼女は今にも叫び出しそうな表情をして凍りついていた。
無理もない。彼女の目の前にいるぼくときたら、前腕から二の腕に至るまでの右手が全部消え失せていて、辛(かろ)うじて残った肩口を板壁(いたかべ)にくっつけたみたいにして突っ立っているのだから‥。
きっとぼくの右手は壁に吸い取られたか、壁に食いちぎられたに違いないとでも思っているに違いない。
「 セナ! ぼくは大丈夫だ! 右手は切れて無くなったわけじゃなくて、今も繋(つな)がってる感覚がちゃんとある!」
ぼくが声に力を込めてセナに説明すると、彼女は見開いた両目をパチクリさせて、瞬(まばた)きを五回繰り返した。

「 どッ どういうこと?! いったい何が起こってるの?? 」
「 見つけたんだよ、出口を!!」
「 で?ぐち? 」
「 そうだ! このどこまでも続いていていつまでも終わらない通路からの脱出口をだ!
セナに対してぼくは、それがここだと言う様に、消えずにあるぼくの左手の人差し指で、ぼくの左肩口より先が消えている板壁(いたかべ)のその部分を指し示して見せた。
「 ま‥ まさか 」 セナは喜ぶどころか、困惑した表情を見せた。「 そんなの‥信じられない‥‥ 」

無理もない。そんなことを言われて、いきなり信じられるわけがない。ぼくにしたって、ただ自分の直感に従ってものを言っているだけなのだから‥‥‥

「 確かに‥そうだな。 でもぼくはこのままこの板壁を通り抜けるつもりで、左半分から始まって‥徐々に体全体を前へ前へと進んでみようと考えてる。と言うのも、どうやらこの出口は一方通行らしくて、いったん消えて行った部分を引き寄せて元に戻すことができないでいるからなんだ。後戻りができないのなら行くしかないと‥そう思ったんだ‥‥‥‥ 」 それで‥ と言いかけてぼくは言葉を濁した。
もし、ぼくの体が全て壁の前からどこかへ消え失せていって、セナがこの通路に一人残されたなら‥‥、取り残された彼女はぼくと同じことをして、すぐにぼくの後を追って来てくれるだろうか?‥‥‥‥‥

「 ‥セナ 」
しばらくして、ぼくは再び口を開き、彼女に訊(たず)ねた。
「 きみは‥、ぼくと一緒に行くつもりは‥あるかい? 」
「 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 」 セナは返答をせず、押し黙っていた。
「 ここが出口と言ったのは単なるぼくの勘(かん)で、もしかしたらそれこそこれが『魔物が仕掛けた罠』なのかも知れない。つまり結局は、試してみないと分からないと言うことなんだ。ぼくはきみを護(まも)りたいし、わざわざ危ない橋を渡って‥きみに辛くて悲しい思いをさせたくない‥‥‥‥ 」
「 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 」 セナはやはり黙ったままで、ぼくの目をただじっと見ていた。

「 取り敢(あ)えず‥、ぼくは行く。きみはきみの自由にして、ここに残ってもいいし‥ 」ぼくがそう言いかけた時、セナが動いた。いきなり、消えずにあるぼくの左腕に彼女の両手を強く巻きつけてきて、そして言った。
「 一緒に行くに 決まってるでしょ 」

次回へ続く
尚、十月に入ってからの二週程、都合により更新を休ませて頂きます。ご了承下さい。