悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (274)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十九

まったく‥ おまえはどこまで都合のいい男(やつ)なんだ。
俺は、おまえの望み通りすっぱり身を引いて、おまえのこの先を黙って見守りながら、一緒にとことん壊れてやろうとしてるんだぜ? そんなおれに、助言の一つでも寄越(よこ)せと来た‥。

都合がいいのはそっちじゃないか。勝手に押しつけがましい言葉をずけずけと並べ立てておいて、その後の説明が何もないんじゃ‥話にならないと言ってるんだ。

ふん、押しつけがましんじゃなくて、ただ正直に非難してたんだがな‥‥‥まあいい。
だがな、おれは説明するつもりはないぜ。だってそうだろう!おまえがいくら知らない振りを決め込んでいても、おまえは全部を知っていて、その上で望んでやってきたことなんだ。その事実を思い出せないというのは、やっぱり壊れかけてる証拠なんだよ。
だから、おれが今のおまえにいくら説明してやったとしても、おまえがおまえ自身の力で一つ一つ思い出していかない限り、結局おまえは何も信じやしないのさ。

何だよ! まともなことを言ってるみたいに聞こえるが、所詮(しょせん)逃げ口実じゃないか!

フゥ‥ 呆(あき)れるねえ。ああ言えばこう言う‥‥。 仮にもひとりの人間の『自問自答』なら、少しはましな答えでもひねり出しそうなもんだがな‥‥‥‥
だったら、説明の代わりと言っちゃあなんだが、ひとつ貴様に進言させていただくとしよう。
要は‥ 今のおまえのモチベーションの問題なんだよ。

ほう‥ とぼくは、ヤツの口先から何がひねり出されるのか、取り敢えず耳を傾けてみることにした。

ソラが死んでからのおまえが、あまりにも過大なその悲しみと後悔でただただ疲弊していく自分の精神を、どう言う風にして奮い立たせ、どの様にして今に至るまで、見せかけはもっともらしく‥、生活して来れたのか?‥‥‥‥
まず、おまえにも心当たりがあるだろうが‥‥ 人に対する或(ある)いは、社会に対する『妬(ねた)み』と『怒り』の感情がある。そんな感情らが人の精神や気力にどう作用しているのか、おまえは考えたことがあるか?

ねっ、『妬み』と『怒り』‥だって?!
ぼくの頭の中に響き渡ったヤツの言葉は、そんな在り来たりな二つの感情を指す名詞だった。

次回へ続く
尚、来週の悪夢十夜はお休みして、別メニューとなる予定です。ご了承下さい。

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (273)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十八

‥‥‥そう‥か

少し間があってから、ヤツの声がぼくの頭の中に低く響いた。
しみじみとしたその声は、それまでのヤツのものと違って、支配的な圧力が欠けていた。

まあ‥ それも良かろう‥‥‥

ぼくはいささか、拍子(ひょうし)抜けしてしまった。輪をかけたヤツの罵倒(ばとう)を、すぐさま聞く羽目になると思っていたからだ。

ソラを失った悲しみは‥、おれも同じなんだ。おれにとってもソラは、たった一人の娘だったからな‥‥‥

なるほど、ヤツにとってもソラは愛娘(まなむすめ)であったことを忘れていた。ヤツも、ぼくと同じ喪失感を味わっていたわけか‥‥‥‥

だがおれは、ソラを失ってからのこの先の人生を‥どうやって生きて行くのか、考えなければならなかったんだ。残されてしまった妻のセナとおれとで、一緒にな‥‥‥‥

ヤツのその言葉は、ぼくにとっても重いものだった。ヤツにとってもやはりセナは妻であり、最愛のパートナーなのだ。

いつまでも悲嘆に暮れているわけにはいかない。セナとふたり、この先の月日を、ともに果てるまでの途方もない長い年月を、しっかり支え合って生きて行かなければならないんだ。ソラへの思いを‥胸に抱いてな‥‥‥‥

ヤツの言っていることは、やはり正論だった。
それに‥ ぼくもまた同じ考えで、ソラを失ってからの毎日を、そうやって生きて来たつもりだった。
だが、もしかしたらそれは、『もう一人の自分』であるヤツの声に、知らず知らずのうちにぼくが従っていたのかも知れない‥‥と思った。
しかしながらこうして今、ヤツが面と向かってぼくの頭の中にその『正論』を語りかけてきたということは‥‥、裏を返せばぼくがそれを実践(じっせん)出来ていなかった証(あかし)‥に他(ほか)ならないのではないか‥‥‥

そこまで‥分かっているのなら、もう何も言うまい。この先、おまえに何が起ころうと、何が待ち受けていようと、おれはこのまま大人しく引き下がって、黙って見守るとしよう
つまりはソラの死が、おまえにとっても、勿論(もちろん)おれにとってもだが‥、決して整理のつかぬ受け止め難(がた)い重大な事件‥‥だったと、割り切ることにしようじゃないか‥‥‥‥‥

ほう‥‥ と、ぼくは納得しかけたが、次の瞬間、言い知れぬ不安感が心に染み出して来た。
ヤツに指摘された、『崩壊寸前』だというぼくの人格とは、『一体全体どこがどうなってしまっているのか?』具体的に何も告げられない状態のまま、ここでヤツに見放されてしまうのかと‥心細くなったのだ。
それに、ヤツはいきなり、『こんな気持ち悪い世界を ぼくが創り出してしまった』と非難したあげく、ぼくが『この世界』のあらゆるものの意味や正体を知っていながら、忘れた振りをしていると毒突(どくづ)いたのだ。
果たして‥ そんなことが本当に有り得ると言うのなら、そのれっきとした証拠の一つでも、ヤツが去っていく前に、残していってほしかった。

次回へ続く