悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (48)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その三十三

「彼ら」は‥‥・十数人ほどだったかも知れないし、百人いたかも知れない。
全員が少年だったかも知れないし、半分ほどは少女だったかも知れない。
一人一人の個性は、いつまでもピントが合わないカメラを覗いているみたいにぼんやりとしていて、それぞれを区別するのは難しかったし、区別する事自体無意味に思えた。
例えば、「牛乳を染み込ませた雑巾」がロッカーに放り込まれていて、一週間後あまりの悪臭にそれを発見したとしても、「上履きが片方」下足箱から無くなって、数ヶ月後に葉が落ちた木の枝からそれが見つかったとしても、もはやどうでも良い様に、誰が何を仕出かしたなどという事は何の意味も持たず、やはりもはやどうでも良かった。

「マイム・マイム」の曲に乗って教室になだれ込んだ彼らは、立ちはだかる粘土のクラスメートたちを次から次へとなぎ倒していった。
彼らは手に手に様々な道具を持っていて、箒(ほうき)やモップ、何処から持ち出してきたのか先生が黒板で使うでかい三角定規や分度器、チョークで円が描けるやはりでかいコンパスを振り回す者もいた。動きもみんな敏捷で、彼らを捕らえようと試みる粘土のクラスメートたちの足を払い、串刺しにし、腕をもぎ取り、首や胴体を切断した。見る見るクラスメートたちは人の形でなくなっていき、大小ただの粘土の塊(かたまり)がそこら中に散乱していった。
頭が無くなり、抱き合ったまま動かなくなった二体の人形がある。「いつも一緒の高橋と山本」だ。首をはねられるのも一緒だったみたいだ。

いつの間にか黒板に、「滅亡」と言う大きなチョーク文字が躍(おど)っていた。
彼らの一人が書いたのだ。「このクラスを滅ぼす」と言う意思表示なのか、それともただの悪ふざけだろうか‥・。
考えて見れば、日常ではほとんど使わない、S F か歴史の教科書ぐらいにしか登場しないその文字は、非日常的な彼らの掲げるスローガン?にはぴったりな気がした。

あっと言う間に、動いている粘土のクラスメートは一つもいなくなっていた。
残ったのは人形ではない俺と委員長だけ。ふたりを残して、俺のクラスは「滅亡」したのだ。
ガラガガガ—ッ ボテッボテテッ‥ズンドスン‥‥
彼らは教室の中央部分の椅子と机をどけ、その空間にバラバラにした人形たちの粘土のありったけを集め、こんもりとした小山を作り始めた。
ベタン‥ペタペタ ドスン‥ペタリ ペタペタペタ‥‥‥
「きゃはははははは!」そして歓声が上がった。彼らの何人かは腹を抱えて笑い転げている。俺は自分の目を疑った。もし、体中の傷の痛みが無かったら、彼らに釣られて大笑いしていたかも知れない。
粘土をくっ付けこね直し彼らがわざわざ造形したものが、どっしりとしたオブジェの存在感でそこに完成していた。
良く漫画に出て来る例の、とぐろを巻いた「うんこ」である。
クラスメートたちの亡骸(なきがら)は、巨大な排せつ物と化したのだ。

深い考え思想などはない。ただ遊んでいる‥‥‥。彼らはそう言う存在なのだ。
俺を助ける気など無いかも知れない。彼らは終始遊び続ける。誰かが‥例えば先生や大人が気づいて、諌(いさ)め止めるまでだ。
あいにくこの校舎にはそんな人間はいない‥‥‥‥‥
いや待て。俺はさておき、委員長がいる。委員長は俺の心の作用が拵(こしら)えた人格なのかもしれないが、大人だ。現にここへ入った当初彼らは俺たちを嫌い、追い返そうとしたではないか。
俺は委員長を見た。

委員長はずっと教壇に立っていて、事の推移を黙って見守っていた様だ。
しかし、「うんこ作り」が一段落した彼らは、既にぐるりと委員長を取り囲んでいた。そしてその間合いが、少しずつ詰まろうとしている。
委員長は一切何も言わなかったが、冷静な表情で彼らを見据えていた。

彼らの一人が‥‥・委員長の長い髪に手を伸ばした。
彼らのもう一人が‥‥・委員長のスカートの裾に手を伸ばした。
彼らの‥もう片方の手には‥‥‥‥鋏(はさみ)が握られていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (47)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その三十二

最近の事である。俺は、街角の一枚のポスターの前で足を止めていた。
ポスターには「バベルの塔」が描かれていて、「ブリューゲル」と言う画家の名前が読み取れた。
偶然なのかそれとも必然だったのか、後日ふらりと入った書店で再びブリューゲルの名を目にし、その画集を手に取る。
見ず知らずの国の歴史風習や宗教に何の知識も持たない俺には、描かれていた光景が一体何を意味しているのか、皆目見当もつかなかった。
ただ、奇妙な絵であった。人も人々も物も風景も、何もかもが奇妙で気味が悪かった。見ていると、気持ちがどんどん落ち着かなくなった。不安になっていった。
俺は、画集を閉じた‥‥‥。

 

地中に埋まった校舎全体が高揚感に満ち溢れ、震え出していた。
外を埋め尽くす土の圧力を受け止めている教室のすべてのガラス窓がビリビリと揺れている。廊下側の壁やトビラは、すでに教室の前に押し掛けている「子供たち」の息遣いで波打っている様に見えた。
俺は椅子に座ったまま膝を抱え、目を瞑り、歯を食いしばり、全身の筋肉を固くして傷の痛みと群がる虫たちを拒絶しようと試みていた。そして今の状況に何らかの変化が生じる事を願って、じっと、ただじっとその時を待とうと思った。
委員長が、「子供たち」の事を俺の投影だと言ったのは多少は当たっているのだろう。しかし、俺が忘れたかった過去を校舎ごと土の中に葬り去ろうとした時彼らが紛れ込んだのは、彼らが最初から「小学校の校舎の一部分」だったからだ。
小学生時代など、全てが希望に溢れ楽しかったわけではない。大概は酷くくだらなく、どこかぼんやりと悲しかった。校舎の壁や天井や廊下のあちこちにある古くから取れないシミ汚れとか、照明の届かない隅の暗がりみたいにだ‥‥‥。膨大な程に存在した時間の中、ふざけ合い、つまらないいたずらをしてただ面白おかしくその時を過ごして何が悪い?そんな小学生なんて履いて捨てる程いるだろう‥‥。
俺は「彼らの王様」でも何でもなくて、整列した時に一歩先に足を踏み出して目立ってしまったただの慌て者程度の存在なのだ。
彼らはきっと、俺を仲間として扱ってくれて‥‥この場を何とかしてくれる‥‥‥‥‥‥。

委員長は格別慌てた様子もなく、粘土のクラスメートたちを二つある出入り口のトビラの前に陣取らせ、内鍵をかけるよう命じた。

何の前触れもなく、突然、校内放送で音楽が流れ始めた。
「マイム・マイム」。フォークダンスの定番曲である。
教室内のスピーカーからも適度な音量で流れ出したマイム・マイムは、その場の緊張感に全くそぐわない代物だった。

ガシャーン‼
教室後ろのトビラの覗き小窓のガラスが、粉々に吹き飛んだ。
その破壊音に俺が思わず目を開けると、モップの柄の部分が小窓から突き出て、トビラの前に立っていた粘土のクラスメートの頭にグサリと刺さり、見事に貫いているのが見えた。
次には小窓から数本の白魚(しらうお)の様な手が現れ、にゅーっと細い腕が伸びて、そのうちの一本の手が内鍵を探り当ててカチャリと外した。

マイム・マイムは流れていた。
曲中の、「掛け声」を掛けるタイミングで勢いよくトビラが開き、彼ら「子供たち」が天突きで「強く押し出されたところてん」の様に教室になだれ込んで来た。

その光景は何故か俺に‥‥・書店で見たブリューゲルの絵画の一枚を思い起こさせていた。
これから繰り広げられる出来事が決して‥‥‥‥愉快なものではない予感がした。

次回へ続く