「テレビまんが」なんて呼ばれてた。前編

突然ですが、アニメ(一般に言うところの)について気ままに書いてみたくなりました。
宜しかったらお付き合い下さい。

タイトルにある「テレビまんが」とはつまりアニメの事で、私の幼少期(日本のアニメーションの黎明期とも言える頃だったのかも知れません)、テレビで放送されるアニメは確か「テレビまんが」などと呼ばれていました。
「まんが」の動く絵が、テレビで観れる。絵には声や音がついてる。元気な少年やかわいい女の子の情感あふれる台詞や、光線の発射音とか爆発音。どの作品からもキャツチーな主題歌が流れてきて、いつの間にか覚えてしまい、一緒に歌える。二次元だった「まんが」が、限りなく三次元に近づいていく感覚です。キャラクターの玩具が発売され、人形やプラモデルを手に取ろうものなら、子供たちにとってもはやそれは三次元の世界だったのです。
「ウォㇽトディズニーのアニメーション映画」と比較して動きがどうとかこうとか、観ている側はたぶん考えていませんでした。つまりそれらは、「テレビから流れてくる動くまんが」と言う認識で一つのジャンルとして世の中に受け入れられていったのだと思います。

ロボットものは人気がありました。「鉄腕アトム」と「鉄人28号」。どちらもお菓子メーカーがスポンサー(そのほとんどが一社提供だった)で、マーブルチョコの筒の中には、アトムのシールがへばりつくみたいに入っていたし、グリコには鉄人のスタンプがついていて、応募して、パズルみたいに分解と組み立てができる鉄人の人形がもらえました。こう言う一つ一つのアピールが「テレビまんが」を、着実に子供たちの生活の、もっと言ってしまえば社会生活の一部にしていったのです。各局で、ゴールデンタイムの放送枠が定着していきました。
因(ちな)みに私の前の世代はおそらく、アトムも鉄人も「実写版のドラマ」としてテレビで観ていたんだと思います(ちゃんと確認できないですが‥)。実際に再放送などで少しだけ見た覚えがありますが、子供の目にはかなり不気味なものに映りました(確か「忍者ハットリくん」の実写版を観た時もけっこう気味が悪かったです。同じ感じ)。

他にロボットで好きだったのは「エイトマン」。かなり本格的なSFで、大人っぽくてとてもクールでした。こちらのスポンサーは食品メーカーで、のりたまを見ると今でもエイトマンのオープニングが頭の中に浮かびます。
子供たちにとって、「宇宙」も人気を博すキーワードです。「宇宙エース」「宇宙少年ソラン」「遊星少年パピィ」。また、「お化け」とか「妖怪」もブームがやって来て、「オバケのQ太郎」はギャグだけど、「ゲゲゲの鬼太郎」「どろろ(どろろと百鬼丸)」とかは、今とは違ってこの分野での鮮度が高くて、モノクロームの映像もかえって雰囲気づくりに役立って、大変面白かったです。

映像がモノクロームだった話ですが、東京オリンピック(1964)でカラーテレビが普及していきましたが、カラーの番組やカラーのアニメが出そろって放送される様になったのは、随分後の事だったと記憶しています。この時代、アニメをカラーで楽しめたのは映画館での「東映まんがまつり」などで、新作長編と数本の短編の組み合わせが嬉しいやら時々退屈やらでした。「サイボーグ009」の劇場版はカラーで、009たちのユニホームが原色でとてもきれいだったのを覚えています。ただ、今でも不思議に思うのは、人形劇だったはずの「ひょっこりひょうたん島」が、新しいエピソードの新作としてアニメになって上映されていた事です。何でかなあ?‥‥‥

次回も続けます

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (105)

第三夜〇流星群の夜 その十九

世界の主(おも)だった国々が協力を惜しまなかった『ジェイコブズラダー(ヤコブの梯子)』と呼ばれる『軌道エレベーター計画』は、発表の当初から今に至るまで滞(とどこお)る事なく着実に進行し、その進捗(しんちょく)状況は公式な発表として、包み隠さず逐一(ちくいち)報告されていた。
‥‥いや、されていると‥‥‥‥‥‥思われていた。

しかし、『人の口に戸は立てられぬ』とはよく言ったもの。世はまごうことなき情報化社会である。真偽や源(ソース)は不明だが、インターネット上で様々に呟(つぶや)かれては消えていく(おそらく意図的に削除されていったものであろう)幾多の情報が存在し、それらを丹念(たんねん)に紡(つむ)いでいくと、『軌道エレベーター計画』とは全く異なるもう一つのシナリオが見えてくる事に気づかされた。世界中のほとんどを占める、傍観する立場でしかない人々にとってそれは、『一筋の光明』とは程遠い、むしろ絶望の香りが漂う内容であった。

計画は本来、低コストでの宇宙進出を目指すものであったはずである。ところが、準備段階と称して膨大な予算を掛けて、短期間の内にかつてない数のロケットが宇宙に向けて打ち上げられていた。そしてそのほとんどが、すでに運用されて久しい『国際宇宙ステーション』に向けてである。
『軌道エレベーターの資材と、その建設に必要となる諸々(もろもろ)の機器』と言うのが公式発表の名目であった。『国際宇宙ステーション』は宇宙での計画遂行の拠点として指名されたわけで、作業施設や機材置き場、作業人員の居住スペースなどなど、増設に次ぐ増設を繰り返して行った。
その頃ネット上に流れ、すぐに消えていった書き込みがあって、居住スペースがかなり大掛かりなものになっているとか、宇宙ステーション全体を移動させる為の出力の大きい推進装置が取り付けられたとか‥‥いずれも文末に何故(なぜ)の疑問符が付けられたものであった。各国の首脳や王族、大手企業や資産家らの謎の動きや関わり方、巨額な資金の流れも取り沙汰(ざた)された。そして、頻繁(ひんぱん)に登場する様になったのが『ノアの箱舟』とか、『ノアの箱舟計画』と言う名称である。『箱舟』とはどうやら、『国際宇宙ステーション』を指し示すものらしかった。

『軌道エレベーター計画』はフェイクで、『ノアの箱舟計画』を推し進めるための隠れ蓑(みの)ではあるまいか?
『国際宇宙ステーション』は、選ばれた少数の人間を収容する『ノアの箱舟』になろうとしている?‥‥‥‥‥‥

そう言った考えを導き出す者も少なからずいたはずだ。
だが、『謎の病』がまん延する地球から脱出して宇宙空間に非難するなど、病の正体が依然不明のまま(感染性のものかどうかも分かっていない)であると言うのに、はたして意味があるのかとか、宇宙ステーションで滞在できる期間などたかが知れていて、病が終息するまでそこに避難し続けるのは到底無理であろうなどと、すぐにその考えを取り消してしまった。そして、地球の未来にかかわる別の可能性についてさらに考えを巡らせる事になる。
だったら一体、他にどんな事が考えられるのか‥‥‥‥‥‥・‥‥

「近い将来‥‥、この地球自体に何かが起ころうとしている‥‥‥‥‥のでは‥‥あるまいか?」

次回へ続く