悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (214)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その九十九

ぼく達は、倒れて動かなくなったアラタをそのままそこに置き去りにして、巨大迷路の先へと歩を進めていった。

想像はしていたが、アラタと出会った場所より先の迷路の仕切り壁は右にまがっても左にまがっても、ことごとくに、歪(いびつ)な赤い丸の『血のスタンプ』が押されていた。たくさん密集しているところがあったかと思うと、疎(まば)らなところもあって、その不規則性が却(かえ)ってぼく達に、それを『赤い花』もしくは『赤い薔薇(ばら)の花』のように感じさせた。
「これを全部‥‥ アラタくんひとりで‥やったのかなあ?」高木セナが聞いた。
「いや‥ そうじゃないと思う‥‥」ぼくは、わざと素っ気なく答えた。
ぼくは『血のスタンプ』について、すでにいくつか気づいていたことがあったのだが、高木セナには説明しないでいた。説明し始めると、この先で出くわすかも知れない『更なる出来事』を意識しないわけにはいかなくなる‥からだ。
そして案の定(あんのじょう)、左へくるりと回り込んだ通路の奥に、『それ』は倒れていた。

「あっ」
ぼくの後ろを歩いていた高木セナが声を上げ、駆け寄ろうとする。ぼくはそれを、彼女と繋いでいた手で制した。
「慌てるな‥」ぼくは手を放さない。
「だってあれって!あのシャツって! きっと、ランちゃんだよ!」
高木セナが言う『ランちゃん』とは、クラスで一番小柄な女子で‥、『ヒトデナシ』が芝生広場に出現した直後、葉子先生の指示によって『林の中の道を使って脱出を試みたグループ』の中にいた一人だったはずだ。

「慌てて‥無理に近づくな。あの子の倒れてる地面を見るんだ‥」ぼくは彼女を落ち着かせるべく、わざとゆっくり話した。「大きな血だまり‥ ができている」
「はっ‥」高木セナは、すぐに理解した。

ぼく達は静かに、『ランちゃん』らしき倒れている女子に近づいて行った。
「ほら‥ やっぱりランちゃん‥だった」高木セナは、嚙み締めるみたいに言った。彼女の目から涙が数滴、こぼれ落ちるのが見えた。クラスの誰からも自然と世話を焼かれてしまう高木セナにとって『ランちゃん』は、おそらく唯一(ゆいいつ)自分から世話を焼きたくなるクラスメートだったらしかった。
その‥ランちゃんは、まるで眠っている様に、自らの流した血の海に沈んでいた。体は仰向けで、両手両足は自然な状態で、小さな大の字を描くみたいに投げ出されていた。ただ‥不自然だったのは、彼女の右と左の両手とも途中からブツリと切断されていて、その切断された先の両腕は、辺りのどこにも見当たらなかった。地面に血だまりをつくっている大量の出血は、間違いなくその切断面からのものであった。
「どうやら他の誰かが‥ 彼女の両腕を『はんこ』代(が)わりに 持って行ったらしい‥‥」ぼくは呟いた。察するに、彼女の両腕を切り取った人物にとっては、その方が『作業』の能率が上がると考えたのであろう。現にこの通路の両側の壁は、他の通路の壁と違って‥‥ とびきりの『花ざかり』だった。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (213)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その九十八

「まるで‥ 赤い薔薇(ばら)の花 じゃないか‥‥」

そんなぼくの呟(つぶや)きに明らかに反応したのは、今までこちらに背を向けたまま動きを止めていたアラタだった。
彼はゆっくり‥、ゆっくりと振り向き‥‥、そして引きつったみたいに不器用に口角(こうかく)を上げて、声を出さずに笑って見せた。

「ア‥ラタ??」 ぼくはそんな彼を見て、顔をしかめていた。ぼくの肩口から覗き込んでいた高木セナも、「うっ」と小さな呻(うめ)き声を漏らした。
なぜなら‥‥、口角を上げることで曖昧に開いた‥本来なら白い歯が覗いているはずの口の中は『真っ黒』で、おまけによく見ると『その黒』はところどころが光りながら、もぞもぞと動いていたのだから‥‥‥‥‥

「おまえ‥・ 口の中に何か、入れてるのか?!?」気味の悪さからぼくは、いささか乱暴に問い質した。しかしアラタは、その質問が彼の耳に届くか届かないかの瞬間に、まるで体を支えていた芯棒(しんぼう)が抜けていくみたいに、足元から頽(くずお)れていった。

ズ‥ゥ ガクッ‥ガクガクリ‥ ドサ‥‥

「アラタッ!!」「アラタくん?!」そう叫びながらぼく達は駆け寄る。
アラタは、首と右肩だけを仕切り壁の根元にもたせ掛け、足と腰を地面に折りたたむ様にして倒れていた。そして、もうピクリとも動かなくなった。

「‥アラタくん‥‥ 死んじゃったの?」高木セナが、震える声で言った。
「‥‥‥分から‥ない」ぼくは答えた。だだそれだけで、呼吸や脈を調べる気はなかった。
目を落としていたのは、アラタの右手。動かなくなってからもその右手には、千切れたか切断された『彼自身の左腕』がしっかりと握られていた。傷口が開いたままでずっと『例の作業』を続けていたのなら、大量の出血で、死んでしまうのが当たり前なのであろう‥‥‥‥‥

「分からないんだ‥‥‥」ぼくは繰り返した。
「ど‥ どうして?」高木セナが戸惑った視線をぼくに向ける。
「生きてるか? 死んでるか? なんて‥‥、ここでは意味がない気がするんだ」
「え?」

「このハルサキ山、いや‥、『ヒトデナシ』という魔物の棲んでいるこの『ハラサキ山』では‥‥、死んだと思っていた者てもしばらくすると生き返ってる‥‥。生きているはずの者でも、まるで死んでるみたいに正気が無くなってる‥‥」
「‥つまり‥ それって‥‥‥」高木セナが強く見つめた。

「ああ‥ アラタだってこのままにして置けば、また動き出すかも知れない‥‥。どうやらここは、『そういう場所』らしいんだよ‥‥」

次回へ続く