悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (216)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百一

五メートルほどの直線通路から、咄嗟(とっさ)の判断で、左側に見つけた分岐通路に入り、さらにその奥にある曲がり角まで行って身を隠せれば良かったのだが‥、ぼくと高木セナにはそこまでの時間は無かった。入ったすぐの場所で仕切り壁にへばりつき、壁の一部である様に一切の動きを止めてじっとしている。やれたのはそこまでだった。
そして‥、直線通路に現れた『誰かたち』の気配が、こちらにだんだんと近づいて来る。彼らが『分岐』に差し掛かった時にこちらの通路へ顔を向けたら、当然ぼく達の姿は丸見えのはずだ‥‥‥

ぼくは仕切り壁に片頬(かたほほ)を押し付けた横向きの顔で、今曲がって来たばかりの分岐入口に目を向け、瞬(まばた)きもせず『直線通路側の四角く切り取られた視界』を注視していた。

カサ‥ サッ サクササ‥サク ザササ‥サククッ‥サク
やはり複数の足音だ。やがて、三、四人の重なった人影が、視界を横切り始めた。
予想はしていたが、彼らはみんな小学生だ。判別はできないが、ここに来て散り散りになっているクラスメートに違いなかった。
いや! 大人だ! 大人もいる! 子供達のすぐ後ろから、つき添う様に、見覚えのある輪郭が視界に入って来た。
そうして一秒、二秒、三秒、四秒、五秒をかけて、全員がぼくの視界を横切って消えていった。

ぼくは、いつの間にか止めていた呼吸を再開し、安堵のため息をついた。彼らの誰もがこちらに顔を向けることなく、通り過ぎて行ってくれた。すぐ横に居た高木セナからも、長い息が吐き出される音が聞こえた。
ぼくは頭の中に残った『五秒間の視界映像』を反芻(はんすう)してみる。通過して行ったのは全部で五人で、男子一人に女子が三人と、『あの先生』が一人だった。子供達に『腕が切れている子』や『切れた腕を持っている子』はいなかった様に思う。問題は、一番後ろを歩いていた『あの先生』で、右手に‥何か光る金属の様な物‥を握っていた気がする。途中置き去りにして来たアラタやランちゃんの姿が目に浮かび、嫌な予感がした。
「風太郎先生‥‥ みんなに何かしようと‥してる?」ぼくの口から独り言が漏れた。
「そっ そうだよね。一番後ろを歩いてたの‥ 風太郎先生だったよね」透かさず、高木セナがぼくの言葉を拾って確認した。
「‥‥少し戻ることになるけど‥‥ しばらく彼らの後をつけてみようか‥」ぼくは提案した。高木セナは、「うん」と頷いた。

彼らを見失わないうちにと、ぼくと高木セナはすぐさま行動を開始した。分岐通路から直線通路まで戻るべく、二人して覗き込む様にしながら『彼らが歩いて行った方向』である右に、角を曲がった。

「え?!!」

ぼくと高木セナは、凍りつく様に立ち止まった。
角を曲がって出た直線通路の僅か二メートル前のすぐそこに『風太郎先生』が、まるでぼく達を待っていたみたいに、背を向けたまま黙って立っていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (215)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百

「ひどい言い方かもしれないけど、ランちゃんもこのままにしておくしか‥ないみたいだ」
ぼくは、黙ったままで涙をぽろぽろ流し続けている高木セナに語りかけた。

「さっきは言いそびれたけど‥ 首と胴体が千切れて死んでいた人が、次に見た時はその全部がちゃんとくっついて、何事もなかったみたいに歩いてたんだ‥‥」
そんなぼくの言葉を聞いた高木セナは、複雑な表情を浮かべてこちらを見た。
「‥‥‥‥‥それってもしかして、風太郎先生のこと?」少し間を置いてから、彼女が質問してきた。
「ああ‥」もう隠す必要もないだろう。ぼくは頷(うなず)いた。「君がこの廃墟まで後をつけて来た葉子先生だって、林の中ですでに死んでいた‥はずなんだ‥‥」

「‥‥‥わかった」そう言って高木セナはやっと、倒れているランちゃんに背中を向けた。
ぼくは、力が抜けて垂れ下がっていた彼女の手を静かに取って、「行こう‥」と言った。

と‥ その時、これから向かおうとしていた直線通路の前方、おそらくその突き当たりの角を右に折れた奥からだろう、複数の足が地面を雑多に踏みながら近づいて来る『人の気配』を感じ取った。
「だっ 誰かやって来る」ぼくは高木セナに耳打ちした。
そして咄嗟(とっさ)に、今ここで『やって来る誰かたち』と出くわすより、できればやり過ごしてしまう方が得策ではないかと判断した。辺りを見回し、ぼくと高木セナふたりが身を潜(ひそ)ませる場所はないものかと探した。
「ん?!」前方に五メート程伸びる通路の左半(なか)ば辺り、絡まって垂れ下がったツタの塊(かたまり)に誤魔化されて見過ごしてしまいそうな窪みを見つけた。明らかにそこは通路の分岐(ぶんき)である。「あそこまで、走れるか?」ぼくは高木セナに声を掛け、返事を待たず、彼女の手を引いて走り出していた。

ダッ!!
ぼく達が分岐した通路に飛び込むのと、『やって来た誰かたち』が直線通路に姿を現したのは、ほとんど同時ではなかったかと思う。
ぼくと高木セナは息を殺し、足音を忍ばせて、左通路の出来るだけ奥へと身を運んだ。そして直ぐ様(すぐさま)、仕切り壁にピタリとへばりついて、一切(いっさい)の動きを止めた。
耳をそばだてると、『やって来た誰かたち』の複数の足音が、直線の通路をだんだん近づいて来るのが分かった。
ぼくは、『誰かたち』がこちら側の通路には目もくれず、そのまま真っすぐ、だだ真っすぐに通り過ぎて行ってくれることを‥願った。

次回へ続く