悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (262)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百十七

先に入って行ったであろう風太郎先生やツジウラ ソノ、さらに葉子先生や他のみんなの後を追って‥この巨大迷路廃墟に足を踏み入れてすぐのことだった。ぼくとセナは確かに、奇妙な空間に迷い込んでいた。
迷路の仕切り壁がどこにあるのかも確認できない、先の見渡せない暗闇の空間だった。ただ‥、闇の奥から流れて来た読経が、通夜の最中らしい会場がこの先のどこかにあることを教えている‥ようだった。
その空間がいつの間にか消え失せ、仕切り壁にあちこち突き当たりながら迷路を歩けるようになった時、空間に迷い込んだこと自体が『暗闇の中の一時(いっとき)の幻覚』であったのだろうと思ってしまい、忘れかけていた‥‥‥‥‥


「 ‥‥確かに」 セナの問いかけに、ぼくはその一言だけを返した。
確かに、今彷徨(さまよ)っている迷路は、外から眺めていた廃墟の中味とは違う、『別の空間』なのかも知れない。
この遠足への『知らず知らずのうちの参加』を自覚してから、自分の身体が大人ではなく小学二年生のそれであって、背丈の違いから来る視界の低さや、歩幅の短さ、体力の違いを思い知らされていた。迷路の中を歩き始めてからも、空間の広さや距離感がしっかり把握しきれていない自分を感じていた。
「確かに、そんな気がする。どこがどう違っているかは、取り立てて言えないけど‥‥‥」
「だったら私たち、今どんな場所にいて、どこに向かってるんだろ?‥‥ このまま進んで、かまわないのかしら?」 セナがぼくに、これ以上にない真剣な口調で、再び問いかけてきた。
「すべては、『ヒトデナシ』の罠かも知れないね‥‥」 ぼくは軽口でも叩(たた)くみたいに言って退(の)けた。

ぼくは、この巨大迷路廃墟が、『ヒトデナシ』のアジトだと考えている。いや、間違いないことだ。そして『ヒトデナシ』は、人間(ひと)ではなく、底知れぬ能力で人間を翻弄(ほんろう)する『魔物』である。そんなことはもう、承知している。だからおそらく、これから先、どんな不測の事態に直面しても、然程(さほど)取り乱すことはないだろう‥‥‥‥‥‥‥
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」 ぼくはこの時、実は不思議な感覚に囚(とら)われていた。奇妙な自覚が、生まれつつ‥あった。

「ヒカリさん‥‥ どうか‥した?」 余程(よほど)ぼくが、普通でない表情をしていたのだろう。セナが心配げに声をかけて来た。

すべての出来事が『ヒトデナシ』が仕掛けた罠だったとしても、それを承知でぼくは、飛び込んでいくのだろう。
なぜならぼくは最初から、何もかもに薄々感づいていて‥‥、その経過と結末までもを、すでに頭のどこかに描いていた‥‥‥気がするのだ。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (261)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百十六

ツジウラ ソノや他のみんなをこの巨大迷路廃墟から連れ出し、さらにはハルサキ山を脱出しなければならない。その目的を達成するためには決して避けては通れない、未だ謎多き『ヒトデナシ』と呼ばれる魔物の存在‥‥‥‥‥
しかしぼくとセナは、是が非(ぜがひ)でもこの難題を解決しなければならなかった。まずはこの巨大迷路廃墟の中、ヤツの居所を突き止め、さらにその正体をも解明し、そしてさらにはヤツを退けるために有効な手段を見つけ出して速やかに実行してみる‥‥‥‥‥‥

「はたして‥ ぼくにそこまでのことが‥できるのか?‥‥‥」
迷路内の通路をセナと手を繋いで、右へ‥左へと‥注意深く歩を進めながら、ぼくは独り言を呟いていた。
「‥‥ねえ?」 そんな弱気な言葉が耳に届いたのか、セナが不満気な声を漏らす。
「ご‥ごめん。別に逃げ腰になってるわけじゃないんだ。何しろヒトデナシは、平気で人間を切り刻むようなヤツだ。ある程度の覚悟はしておこうと思ってさ‥」 ぼくは誤魔化した。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
セナはぼくにがっかりしたのか、一言も返して来なかった。そんな彼女にぼくは少しだけ腹が立って、ついつい厭味ったらしい言葉が口を衝いて出た。
「そうだった。君は特別に、ヒトデナシに襲われたり殺されたりしない人間だった。芝生広場に到着する前の林の中の道で、君の右手につけられた浅い切り傷は確か‥、君と魔物との間で交わされた取引の印なんだって言ってたもんな。この先出くわしても、恐れる必要はないわけだ‥‥」
それを聞いたセナが、黙り込んだまま急に立ち止まった。ぼくと繋いでいた彼女の手が、振りほどく様に離れて行った。

ぼくも立ち止まった。そして振り向いた。手を振りほどいていったセナが、どんな表情をしているのか気になったのだ。

「違う! 違うの!ヒカリさん」 セナが当惑した顔をして、何度も首を振っていた。「私が『ねえ?』て言ったのは、ヒカリさんをとやかく言おうとしたんじゃなくて‥‥、今歩いているこの迷路が、おかしくないかって‥言いたかったの」
「え??」ぼくは、呆気(あっけ)にとられた。「この‥迷路が‥‥ おかしいだって?」

「そう。ずっとここまで歩いてきて、思ったんだけど‥‥ 直線通路の長さとか、通路分岐の数とか、入る前に眺めた巨大迷路廃墟の外観からは相当かけ離れた規模の‥奥行きを感じるの。もしかしたら私たち、本物の廃墟とはまったく別の空間を、彷徨(さまよ)っているんじゃ‥‥ないかしら‥‥‥‥」

次回へ続く