ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (28)

別冊付録 第四話「死体」の周辺 その三
久しく帰る事がかなわなかった田舎「T町」に最近足を運ぶ機会がありました。
少なからぬ不安を抱きつつ騒然とした状態を想像しながら町に入りましたが、いたって平穏で、のどかな数日を過ごすことができました。
今も続く「イルカの追い込み漁」ですが、県から捕獲枠が決められ漁期も定められています。私が訪れたのはどうやら嵐が去った後だったようで、漁の始まった日にはやはり反捕鯨活動家が押し寄せ、機動隊が出動したそうです。

活動家の皆さんは港や岬の見晴らしがいい場所に陣取り、漁を監視します。時には妨害行為に及ぶ事もあるので、県警や海上保安庁は警戒体制を強化しているのです。
「くじらの博物館」を中心に様々な施設がある一帯を「くじら浜公園」と言い、その中に映画「ザ・コーヴ」に登場する問題の入り江があるのですが、その真ん前に臨時の派出所が設置されていたのには驚きました。

「ザ・コーヴ」のアカデミー賞受賞から8年‥‥町を離れて生活している私にはもはや傍観者として町を見守りつづけるしかないと言うのが実感ですが、ただひとつ「あれはまずかったかもなあ‥‥」と今も思う記憶があります。
私が中学か高校生の頃(はっきりと時期を特定できない)、町の観光事業も軌道に乗りさらなるPRにと持ち上がった企画だったのでしょう。すでに入り江内で生け捕りにされていたクジラを相手に「突き銛(もり)漁」のデモンストレーションを行い、その模様をテレビ中継させたのです。
テレビを観ていた私は、何とも言えない嫌な気持ちになったのを覚えています。
今にして思えば、捕鯨の伝統を誇示するあまり、獲物に対する何か仁義のようなものを欠いていたと感じました。生き物の生命を奪いそれを糧とする漁師の方々や私達もせめてもの礼儀は尽くすべきで、見せ物や宣伝に使うべきものではなかったのではと‥逆に寝た子を起こす結果になったのではないかと考えます。
「食」に流れる血は付きものです。しかし我々はそれを時々忘れてしまい、流れ出た赤い血を嫌悪するのです。
現在、クジラの解体作業は囲いと天幕で覆われた場所で行われ、血も適切に処理されているようで、関係者の方々の気苦労が絶えない様子が慮(おもんばか)られます。

町に帰って確かめた事がもうひとつありました。
例の「トンネル」がどうなっているのかです。

「トンネル」はまだあり、素晴らしくきれいに明るくなっていました。
穴がふたまわりも大きく拡がり、周辺の山を削って道路も拡げられ、車が楽に対面通行できるようになっていました。穴が大きくなったせいで風通しが良くなったと言うか、闇が澱む場所が無くなりトンネルの長さが短くなった錯覚に陥りました。

私が何故、この「トンネル」にこだわっているのかと言うと、「トンネル」の近辺で本当に怖い体験をするのは今綴っているお話が終わった後の、高校に行くため駅まで自転車通学していた頃の事で、機会がありましたら後々に書いてみたいと思います。
その時はぜひ、「トンネル」を外の世界との境界、この世とあの世の「境」と位置付けた「異界論」を展開してみたいと思います。

 

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (27)

別冊付録 第四話「死体」の周辺 その二
古式捕鯨発祥の地とされる「T町」ですが、その歴史は四百年前にまでさかのぼると聞いています。しかし、今回取り上げるイルカやゴンドウクジラなど小型の歯クジラ類(以降総じてイルカと呼称します)を捕獲する「追い込み漁」がT町で本格的に始まったのは比較的新しい様で、明治から昭和初期にかけての記録にちらほらと登場します。

「追い込み漁」の方法です。数隻の船で船団を組み出漁し、回遊するイルカの群れを発見すると取り囲むようにして船を進めます。前にも記した通りイルカが音に敏感に反応する事を利用し、それぞれの船のへりを叩いて音を出す、近年は金属の棒を海中に刺しそれを叩く事でイルカの群れの進路を変えさせ、最終的に湾や入り江の中に追い込んで網を掛けて退路を断つのです。

群れごと追い込む漁方ですから、一度に数百頭単位の漁獲が可能になります。
さらに、生け捕りですから湾や入り江内でしばらくの間様子を見る事もできます。
例えばすべてのイルカが水揚げされるわけではなく、地元の「くじらの博物館」は言うまでもなく水族館などの施設に飼育用として運ばれる場合も数多くありました。国内外で飼育されているイルカの大部分がT町で捕れたものだと聞いた時期もあります。
しかしながら少なからぬ数の群れごと一網打尽にするこの段階で、反捕鯨団体の批判を浴びるわけですが、さらにイルカを殺し市場に揚げ解体するに至っては言わずもがなです。

第四話「死体」に書いた、私が小学生の頃港の市場で幾度も見てきた光景流れた血で赤く染まる海水は、反捕鯨活動家の方々から見ればまさに大虐殺の現場そのものなのでしょう。

反捕鯨問題と言うのは様々な要素が綯い交ぜ(ないまぜ)になっている様な気がします。食文化の相違、偏見や宗教倫理観の隔たり、国家や団体のエゴや思惑などなど、真正面から対峙すると途方に暮れる感があります。

次回は、T町の今‥‥例の「トンネル」の話も含めて書いてみたいと思います。
もう少しお付き合いください。