悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (81)

第二夜〇仮面 その二十五

私の顔が私の顔から離れて落ちて‥‥、ゆらゆらと水の中に沈んでいくのが見えた。
「えっ!えええ??」
私は咄嗟(とっさ)に水中に手を伸ばした。敷石の上から身を乗り出し、限界まで前のめりになって、沈んでいく自分の顔を何とか摑まえようとした。ザバザバと伸ばした手が水をかき回す。だが水の中の独特の遠近感に惑わされてか、顔を摑まえる事は叶わなかった。
「あァ‥ァ‥‥」水底の闇に溶けて消えていく自分の顔を見送って嘆きの声を上げた。しかし次の瞬間、更なる驚愕(きょうがく)の成り行きがすでに私の身に降りかかっていた。

ボチャン ボチャボチャ ボチャチャンン‥ン
水音が立て続けに響いた。
またもや私の顔から、今度は立て続けに複数枚の私の顔が離れていき、全部が全部水の中に落ちていったのだ。
「なッ?!な!な!な!なあああァ??!!」
顔が、顔が、私の顔が、四枚五枚と水の底へ、ゆらりゆらりと沈んいくではないか!
私は慌てふためいて前のめりの姿勢から体を反らせ、顔を上に向けた。下を向いたままだとどんどん落ちて顔が無くなってしまう気がしたからだ。

「どうなったの?!どうなった??私の顔 どうなったの?????」
両手を顔に持っていって触ってみようとしたが、怖くなった。どうなっているか怖くて触れない。皮が剥がれたみたいに、真っ赤な血が滲(にじ)みだした肉と筋だけの状態の顔になっていたらどうしよう‥‥。グロテスク極(きわ)まりない顔を想像したら叫び出したくなった。
「いやよ!そんなのおォォ!!!」

満月の夜の沼に、私の声が響き渡った‥‥‥‥‥‥‥‥‥
離れた水面(みなも)に立つ「みんなの顔」を着けてみんなの振りをしているもの達が、相変わらず私に手招きをし続けていた。
「か‥‥‥‥‥‥仮面‥なの?」私は我に返った様にそう呟いた。
水の中に落ちて沈んでいった私の顔はもしかしたら‥‥、私が着けていた仮面だったのかも知れない。顔から剥がれた全部が全部、私が今までに着けてきた、あるいは着けざるを得なかった、仮面‥‥‥‥‥。
私は、行き場をなくしていた両手をゆっくりと顔に近づけ、そして触れさせた。
そこには、いつもの皮膚の感触がちゃんとあった。眉も鼻も頬(ほお)も‥‥、どこにも異常な感じはなかった。
「仮面‥・だったのか、やっぱり‥‥‥‥」
胎内くぐりの洞窟を体験した事で起こり得た現象だったのかも知れない。私は仮面を、それもどうやら今まで複数のものを着けてきていて‥‥、今それがいっぺんに全部外れたと言う事だろうか。

顔出しパネルに残っていたみんなの顔を、私がみんなに着けさせた仮面だと骨董屋のおじいさんに指摘された時、身に覚えは無かったものの、完全な否定はできなかった。今落ちていったたくさんの自分の顔が仮面であると解釈しても、自ら意識して仮面を着けた自覚はなかったのに、やはり否定する気持ちはない。どうしてだろう‥‥‥‥‥‥

「そう言う‥‥‥ものなんだよ、きっと‥‥‥‥‥‥。生きていたら‥‥‥知らず知らずのうちにそう言う風になっちゃう事だって‥‥‥‥‥あるでしょう?」開き直った様に私は、そんな台詞を並べ立てていた。
「違う?‥‥違わないでしょ?‥‥‥‥‥」
私は両手で顔を覆った。急に悲しくなったからだ。
「誰か‥‥答えてよ‥‥‥‥‥‥‥」
そして予想した通り、目から涙が溢(あふ)れ出てきた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (80)

第二夜〇仮面 その二十四

あれは‥みんなじゃぁ‥‥‥ない。
何かが‥‥‥みんなの振りをしている‥‥‥‥‥‥

私は冷静になっていた。しゃがみ込んで敷石の縁(ふち)まで行って両手を突く。上半身を精一杯突き出して目を凝らし、「みんなに見える、みんなの振りをしているもの」を注意深く観察し始めた。
顔はやはり、最初に沼に来た時水に沈めた「みんなの顔」だ。目の虚ろさでそれと知れる。体は服を着ているみたいに見えるが、露出した手足の皮膚とどこか一緒くたに繋(つな)がっている感じがする。それに足元‥‥。五人とも水面に立っていると思っていたが、どうやら立っているのではない気がしてきた。沼の水は透明度が高く、空からは満月の光が降り注いでいる。夜とは言え、注意を払えば遠目にも水面のすぐ下辺りの様子がぼんやりと窺(うかが)える。水面下にある黒く見える何か‥‥、例えば太目の木の幹の様なものが水中に五本立っていて、五人はその延長上の連続体として水の上に出ている‥‥‥そんな印象だった。
私は目線を下げて、「五本の木の幹の様なもの」が深い部分ではさらにどうなっているのか見極めようと試みた。が、暗い水中の闇に紛れてしまって判別できなかった。ただ‥‥‥、水の中さらに下の辛うじて月の光が届くか届かないかのかなり深い場所に、鈍く光る丸い物体を発見した。それは二つあった。二つが横に、3メートル程の間隔を置いて並んでいた。

「‥‥‥‥‥‥‥目?」
正直、私にはそう見えた。二つの目が真っすぐにこちらを見据え、私の様子を窺(うかが)っていると‥‥‥‥‥‥

ゆらり‥‥・
一瞬、その二つの丸い物体が揺らいだ。目を細めた様な感じで表情が生まれたのだ。
「ひっ!」
私はびっくりして、敷石の上から突き出していた上半身を反射的に引き戻した。そしてその拍子に、石の上に思いきり尻餅をついた。
ガツッと、尾骶骨(びていこつ)を打ちつけた衝撃が脳天まで響いた。
その衝撃は、今までずっと違和感を抱えていた顎(胎内くぐりの洞窟の出口でやはり地面に打ちつけたところ)にも、ビリッとした感じの引き裂くみたいな痛みをもたらした。
「い‥‥いッ‥」私は思わず片手を顎に持っていって、痛みの走った部分におそるおそる触れてみた。そして、すぐに慌てた。手の感触では、傷口の様なものが顎の根元にパックリとひとつ、はっきりと分かるくらいに開いているではないか!
「何よ、何?いったいどうなったの??」私は今度は両手を使って顎のあちこちにペタペタと触り、懸命にその状態を把握しようとした。しかし不安が大きくなるばかりで埒(らち)が明かない。「鏡!鏡!かがみ!」小さな鏡はリュックの中に入っている。だが、私は投げ出してあったリュックから鏡を取り出す事はせず、敷石の縁まで急いで這って行き、さっきはそこから身を引き戻したのもすっかり忘れて、水面に思いきり顔を突き出していた。水を鏡にしようとしたのだ。
確かに水は私の顔を写し出してくれた。さらに水面に顔を近づけて、顎の状態をはっきりと確かめようとした次の瞬間‥‥‥

ボッツ‥チャン‥‥
「‥え?」

私の顔が‥‥・水の中に落ちた‥‥‥‥。
私の顔が私の顔を離れ‥‥落ちて‥‥‥、水の中に沈んでいくのが見えた‥‥‥‥‥‥‥

次回へ続く