悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (257)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百四十二

この『遠足』の当初からの流れを振り返って、『赤い花』がぼくを導いてくれていた事は間違いなさそうだった。
それゆえに‥、きっとこの先も同じ事が続いていくだろうと言う予感めいたものが、頭を擡(もた)げた。

「 そうさ‥ 十分(じゅうぶん)考えられる‥‥ 」
ぼくはそう呟いて、目の届く範囲の通路の壁に血で描かれて(?)いる『赤い花』を、ゆっくりと見渡して行った。
壁板の表面ですっかり乾ききった状態で無数に咲いている血色の花々は、こうして改めて眺めてみると、偶然かそれとも意図的にか、分散と密集を適度に繰り返しつつ咲き乱れ、『いつかどこかの野原で目にした見事な花畑の風景』を彷彿とさせた。

「 ヒカリさん。さっきから、何を見てるの? 」
「 ‥‥うん。壁に押された‥血のスタンプを見てたんだ。やっぱりぼくにはこれが、『赤い花』‥ それも『ばらの花』に見えて‥しかたないんだ‥‥ 」
「そう‥‥。私は気味が悪いから、なるべく見ないようにしてる。だって、アラタくんやランちゃんのこと思い出しちゃうし‥‥‥ 」 セナは俯(うつむ)いて、目に涙を浮かべた。
巨大迷路廃墟に入ったばかりの通路の壁はまだそうでもなかったが、通路を奥へ奥へと進めば進むほど、壁に押された血のスタンプの相対的な総数はどんどん増えていっていた。切り落とした何本の人の腕をスタンプにして、流れたどれだけの人の血がインクの代わりとして使われたのか、もはや想像ができなかった。

「 ぼくはこの壁の‥ 赤い花々の連続を眺めていると‥‥、何かを見落としてる気がしてならなくなってきた。しばらく聞こえていた『野ばら』の歌声は、ぼくらにその何かを教えてくれていたんじゃないかという‥気もする‥‥‥‥ 」
「 何かって‥‥ もしかして、このずっと真っ直ぐ続くだけの通路から脱出する方法? 」 セナが俯いていた顔を上げ、涙で潤んだ目を輝かせて問うた。
ぼくはその問いには敢えて答えず、再び目を通路の壁に向けた。
答えを待っていたセナもぼくの視線に釣られ、首をそろりと回して、辺りの壁を観察し始めた。

「 わ‥ら‥べ‥は みいたあ‥り‥‥ 」
しばらくして、セナが鼻歌を歌い始めた。シューベルトの『野ばら』だった。彼女は彼女なりに、『何か』を掴(つか)もうとしていたのだ。
セナは通路進行方向、向かって左側の壁に沿ってゆっくりと体を移動させながら、本当なら見たくもない『クラスメートの流した血で出来ているかも知れない花々』に、懸命に目を凝らしてくれていた。

そして、さらにしばらくして‥‥‥‥‥ 
ああッツ!! 」 彼女の素っ頓狂(すっとんきょう)な声が、直線通路に響いた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (256)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百四十一

「 聞こえて来たあの『野ばら』の合唱は‥罠なんかじゃあなくて‥‥、ぼく達の到着を待ちわびて歌い始めたものなのかも‥知れない‥‥‥ 」
ぼくはそう、声に出して言ってみた。

「 え?‥ どういうこと? 」 セナが、小首を傾げて訊ねた。
「 ああ‥いや‥ ただ口に出して見たかったんだ 」 ぼくは答えた。
「 ええェ?? 変なの 」
「 そっそうかぁ? ハハハッ 」
ぼくは思わず笑い出してしまった。彼女の返した『変なの』という表現が、まるで本当の小学二年生の反応みたいだったからだ。

ぼくはその時、これでいいんだ‥‥と思った。『遠足』に紛れ込んでしまってから、この世界で進行していったあらゆる現象に対しての、ひたすら頑(かたく)なだった自分自身の認識が、そこかしこから緩(ゆる)んで、見る見る解(ほど)けていくのが分かった。
例えば‥‥ ぼく達が彷徨(さまよ)っているこの『巨大迷路廃墟』にしたって、今まで、ハラサキ山の魔物である『ヒトデナシ』のアジトなのだと思い込んでいたが、それは本当に確かなことだろうか?
今ここには‥、生きているか死んでいるか、あるいは自らの意思かそうでないかは別として、遠足参加者のほとんどが集められている気がする。まるで今回の『遠足』の最終的な目的が、ここに集(つど)うことだったとでも言うように‥‥‥‥
そしてぼくも結果的に、今こうしてここにいる。

ぼくの無意識の領域のどこかに‥‥、当然ぼくが執筆したであろう『シナリオ』みたいなものが存在していたのかも‥知れない。
そして振り返ってみれば‥‥、その『シナリオ』を進行させる役割を持つ『キーワード』らしきものも‥‥思い当たるのだ。

本来の遠足の目的地だったハルサキ山の芝生広場。その‥もうすぐ芝生広場に至る林の中の道から、偶然目撃してしまった『赤い花』。その瞬間から、ぼくの『赤い花』への執着が始まり、芝生広場に到着してからは、あちこち探し回る羽目(はめ)になった。
そして、とうとう見つけ出すことが出来た『赤い花』とは、先乗りしていて行方知れずになっていた水崎先生の‥巨大迷路廃墟の外壁に腹を裂かれて逆さまに吊るされた血まみれの死体‥‥だったのだ。
水崎先生も『赤い花』に姿を変えられ、ここに集められていた‥‥‥‥

「 ぼくはどうやら‥‥ 最初から『赤い花』に導かれることで‥‥ ここまでやって来たらしい 」と‥しみじみ呟(つぶや)いた。
そして、今佇(たたず)んでいる迷路通路の内壁(うちかべ)のそこここに、まるで群生して咲いているみたいに見える‥‥ 切断した腕を使った血のスタンプで描かれた『赤い花』‥‥ に目を遣(や)った。

次回へ続く